メルヴィル第六先生の

 昨日助けた六十羽の鳩を埋めていると秘密警察が訪ねてきた。警察は二人組みだった。

「メルヴィル第六について話を聞きたい」

 私服刑事はそう呟いた。

 

 メルヴィル第六先生の、右の胸には心臓があり、左の胸には脳味噌があり、左の足には戦争時代の、家でも壊せる機関砲、右こめかみには世界を巡る、電波を集めるパラボナアンテナ、右眼球には凸面レンズが、左の耳朶には鋭利な刃物が、右手の指には懐中時計が、両二の腕には空飛ぶ翼が、お腹の中には核爆弾が、それぞれ静かに埋め込まれていた。頭の中には夢と希望と、秘めた野心と卑屈な理屈と、他人を見下ろしあざける心と、長続きしない愛と情けが、互い傷つけ同居をしていた。メルヴィル第六先生にとって、この世における、大事なものとは、金と甘味と本と希望と、眠りと自分の生命だった。メルヴィル第六先生にとり、何より嫌いな生きたものとは、彼の住居に近付いた虫と、彼の周りを飛び回る虫と、笑った振りして唾を吐いたり、汚いくせして潔癖なやつと、綺麗なつもりで振舞うやつと、当たり障りのないやつと、自意識過剰で悲しいやつと、人の話しを聞かないやつと、自分が好きで仕方がなくて、それに自分で気付かぬやつと、口が死ぬほど臭いやつだった。これらを嫌った理由としては、先生自身もそうだったからで、つまりは同属嫌悪であった。メルヴィル第六先生が、それより何より嫌ったものは、彼より頭のよいやつであった。メルヴィル第六先生は、劣等感と、優越感で、それだけのために生きているよで、とても見ていて難しかった。

 ある夜真黒いフードの男が、右手にナイフを軽く握って、メルヴィル第六先生宅に、予約もないまま襲撃をした。

 メルヴィル夫人も二人の息子も、凶刃に倒れため息をついた。フードの男は大泣きしながら、折れたナイフを今でも頼りに、メルヴィル第六先生の、書斎の扉を静かに開けた。メルヴィル第六先生は、植木に水を、やっていたので、男はナイフの僅かな刃先で、仇の頚部を切って開いた。血は出なかった。悲鳴もなかった。メルヴィル第六先生の身には、血もリンパ液も、ないためだった。首に開いた傷口からは、血液ではなく蒸気が噴き出し、書斎は瞬時にホワイトアウトし、瓦斯霧の明ける頃には侵入者の姿はなく、床に溶け残ったフードだけが落ちていた。

 メルヴィル第六先生は昔、ボートから落ちスクリューに飲まれ、千切れて死んだ、ことがあり、そのとき偶然通りがかった、狂科学者の小林さんが、いたずら心で肉片を掬い、自宅のラボでこねくり回し、塩とバニラを振りかけた結果、メルヴィル第六先生は、いかした人造人間として、第二の命を歩み始めた。その頃メルヴィル先生はまだ、メルヴィル第二と名乗っていたが、五年ほどしたある日の昼に、トラックに轢かればらけてしまい、そのとき偶然散歩をしていた、二人の姉妹の狂科学者に、再び命を作ってもらい、そういう事件が何度かあって、末、第六にいたるのであった。

 自分のいわれやそういう過去を、私に細かく語った後で、メルヴィル第六先生は、深い吐息をついた後、ソファにもたれて右目を瞑った。

 改造人間メルヴィル第六を襲う輩は後を絶たなかったがそれは先生の秘める火力によるものというよりは偏にその酷い性格のためだった。反政府組織テロリストたちが、あるいは各地の警察組織が、メルヴィルホームをノックするのは、もちろん人間兵器メルヴィル第六を使ったり使えないようにしたりするためだったが、誰もが必ず帰る頃にはメルヴィル第六先生の不快さにげそりとしつつどうあいつを嫌な目にあわせてやろうかという忌憚のないまっすぐな心と共にあった。そうした私怨からメルヴィル家はしばしば爆撃されたが、そのことをメルヴィル夫人が夫に相談しても夫は知らん顔だった。

 夫人の足が対地ミサイルで千切れてもメルヴィル先生はバリヤーの中で一人股間を掻いていた。バリヤー一人用だものと訊かれてもいないのに言い訳もした。家が壊れても先生は自分だけホテルに泊まった。夫人は保険が降りるまで庭にテントを張った。重なる出費に家計が逼迫しても先生は毎日一人カラオケで散財した。三日に一度はオールだった。自分さえ無事なら基本先生は頓着しなかった。留守中に家を五人のテロリストが襲撃し、帰宅の頃には夫人が燃えていても、大事な本とCDを避難させるだけだった。

 ある日先生は急に子供が欲しくなった。といっても先生に生殖能力はなかったので、片栗粉に自分の糞便と千切った脳味噌の欠片を混ぜて子供を作った。できた男児はとても臭かったので、作業の効率化も兼ねて第二子を作る時には片栗粉を飲んで胃の中で子を作り口から吐き出した(その子も胃液で結局臭かった)。二人の子の首の付け根には金属片がしこたま仕込まれており、先生はこめかみのアンテナで二人の行動思考を何となく逐一捉えた。子供が大したことを考えていなかったので、飽きて先生はネグレクトした。先生がマインスイーパに毎日熱中している間に、二人の子供とメルヴィル夫人は仲良しになった。一緒にパン屋に行く三人に気付きなんだよと先生は涙をこぼした。その日の襲撃者はリヤカーで車裂きにされた。


 秘密刑事の二人には、私はそういう細かいことは、あんまりそれほど話さなかった。

「私とやつとは何もないすよ。ただの教師と生徒ですから」

「嘘いうな」

「お前とあいつは、結構仲良くやっていただろ」

 二人の私服は口々にいった。

「お前とメルヴィル第六が、一緒にカラオケしている姿が、防犯ビデオの夢に出てきた」

 ちなみに二人の秘密刑事は、どちらも小さな女の子だった。

「だからお前に訊いているんだ」

 私は肘で、脇腹を掻いた。


 私が先生と出会ったのは大学の授業でだった。ある年の死生学の講座で、過去に死亡経験のある先生が講師として私の通う学校に呼ばれたのだった。初回の授業の時先生は全裸で教室に現れた。百人ほどの生徒の前で三時間全裸で自分の偏見と欺瞞と自己愛に満ちた死生観を語った。次の授業からは別の先生に代わってしまったが、ある日近所の本屋でデジタル万引きをしているその人を見かけ私が声を掛けたのだった。

 その頃既に先生は妻と子を亡くした後で独り身だった。メルヴィル先生宅にはソファと酒しかなかった。家屋は穴だらけのまま修理もしていないようだった。先生はソファに横たわると訊いてもないのに自分の半生を語り始めたのだった。語り終えると先生は右目を瞑った。その間椅子がないので私はたちっぱだった。

「足がもげてもⅢ度の火傷でも生きていたのに、どうしてナイフで脳刺されたくらいで死んでしまったんだろう妻は。土くれのくせに何で失血死んだんだろ子供たちは。おれなんか何度も死んでんのに」

 先生はそういいチューハイを呷った。そんな話しはどうでもいいと私は思った。私は単に先生の全裸がまた見たかっただけだった。

 先生はとても不快な人間だった。自分の不快さに気付かぬ点、気付いていて開き直っている点、直せぬ不快さに自分で落ち込んでいる点どれもが不快だった。緊張すると先生は何故かよく全裸になった。一緒にカラオケに行くと複数人でカラオケするのが初めてな先生は歌いながら緊張してすぐ脱いだ。私と先生はしょっちゅうカラオケに行った。私は歌わなかった。

 カラオケなぞ馬鹿のするものだと思っていたからだ。

 ある日先生宅で先生の書いた小説を読んでいると州軍一個小隊の襲撃を受けた。先生は感想待ちで緊張していたので全裸だった。書斎にロケットを放ち突入した軍隊は私(の持っている自作の小説)をかばって仁王立つ全裸の先生を見てなんか嫌な気分になって撤退していった。私は先生の背中を見ながら硝煙にむせた。先生の書いた恋愛小説は独善的で下品で吐き気がするものだった。よくこれで賞取れたなと私は思った。

 先生と私は仲良くはなかったのだが、ある日先生に「貴男はしかし私が最近出会つた誰より気持ちが悪い御仁でせうね」と告げてみたところ、自尊心の強いメルヴィル先生はいたく傷ついたらしくホットプレートをひっくり返してしまった。焼きそばと鉄板が先生の足の上でじゆうじゆうと頬を染めていた。私は単に最近先生以外の誰とも久しく会っていませんよといいたかっただけだったのだが先生は急に卑屈になった。卑屈になるなようざいからさというと、先生は泣き出した。泣きやむと先生は、「君はしかし私がこれまでに会つた誰よりも素的な人だつたのだ」といって私の家から出て行った。それは単に先生が私と侵入者以外の誰とも久しく会っていないだけだろうと思って私は焼きそばを拾ってゴミ箱に捨てた。妻子を差し置き適当にでまかせをいえるあたりも不快だった。

 ともかくその日以来先生は世界中の喧嘩相手と戦いに旅立ってしまったのだった。アンテナで通信を傍受し勘で暗号を解読し、全身の火器で作戦を打ち破る先生に敵はいなかった。勿論味方もいなかった。世界中に放射能をばら撒き続けていたからだ。


「お前だったらメルヴィルの、強さの謎とか弱みなんかを、何か一つも知っているだろ」

「そうでなくとも誰も知らない、その手がかりを、掴んでいるだろ」

「あいつの狂気が何故なのか、どうしてあいつはああなったのか、あいつの狙いが何なのか、望みが何かを知っているだろ」

 先生のその、目的については、多分世界の征服だろうと、思ってはいたがそれは黙った。

 気付けば雨が、降り出していた。鳩埋める用に掘った地面が、ずるずるぬかるみだしている。

 もう過去百度は訊かれた問いに、私は今度も知らんといった。

「あいつと私は、仲良かないすよ」

「では何故お前の、住む町だけが、この町だけが、無事でいるのだ」

「お前に何かがあるんだろうが」

「いえよみんなが苦しんでるんだ」

 人のことなど知るかと私は、少しだけれど心に思った。

「人のことなど知ったことかよ」

 気付けば口にも、出していた。

 秘密刑事は険しく睨む。

「お前もあいつと似ている感じか」

「あんな男と一緒にするなよ」

「お前はやっぱり仲良しだったか」

「よし逮捕しよう逮捕しようか」

「思想犯だし、馬が合わない」

 私は二人に取り押さえられる。少女のくせに、さすが刑事で、腕っ節では勝ち目がなかった。

 私は花壇の泥を舐めつつ、その不快さを、味わっていた。

「ああ不快だなあ。肥やしの味、獣の匂い。てめえら二人の言動だって、人の言葉を信じぬあたりも、というか顔とか印象とかが、とても不快で仕方がないです。ああしかしメルヴィル第六先生、あんたは何だかきもくてうざくて、他人のことなどお構いなしで、そのくせ人には構って欲しくて、何だか自分を見ているようで、本当不快で仕方なかった。先生も不快だが先生を嫌うてめえも不快で仕方ねえよ。どいつもこいつもお前も私も、せこくて不快で意地汚ねえよ。妻が好きだったんだろう。でも不快だったんだろう。子供可愛かったんだろ。でも飽きたんだろう。どいつもこいつも素敵なくせして、どれも不快で堪らんだのだろ。不快や素敵に序列をつけたり、そういうことすら不快なのだろ。私だって先生のこと好きだったが全裸が、先生は不快で堪らんかったし、仲良しになりたかったが、どこにもなるべくすらなかったんですよ。あいつは不快で間違っているが、そうでないやつはどこにもいなじゃないか」

 喋ったところで、二人の刑事に、猿のくつわをかまされた。全身が泥に濡れながら、先生助けと私は思った。

 その時雷鳴響く空から、大きな何かが落ちてくるのが、泥の入った私の目にも、二人の刑事の目にも映った。

「何だあれ」

「あっ」

 落ちてきたのは大きな翼と、電柱くらいのしっぽを生やして、両手に漫画の雑誌を持った、メルヴィル第六先生だった。

 先生! と、私は思って失禁をした。

「メルヴィル第六!」

 二人の刑事は発砲したが、ガンガンのその、厚さの前には、支給銃なぞ無力であった。メルヴィル第六先生は、しっぽで刑事の足を払うと、雑誌で鼻梁を、殴って殺した。二人の小さな少女の刑事は、先生の午後のおかずになった。骨は私が鳩と一緒に、掘っていた穴に埋めて隠した。

「第六先生」私はいった。

「気持ち悪いな泥に塗れて」先生は顔をしかめて呟く。「肥やしが鼻からこぼれているぜ。前歯が二本もなくなっているぜ。気持ち悪いなあっちへ行けよ」

 先生の尾は犬みたいだった。

「世界征服もう終わったの」

「何で知ってるおれの目的」先生はぴょいと驚いていった。

「見てりゃあ判るよ馬鹿だもの貴男」

「世界征服もう飽きたんだ。だからもうさ、やめるよ侵略」

「そう」

 良かったじゃない秘密警察、と少し私は適当に思う。

「ところで先生何しに来たの」

 助けてもらって私はいった。

「ねえ結婚しよう」

「いいよ」

「式を挙げに来たんだ」

「よし踊ろう」

「はあーよいさ」

「よいさ」

 先生は笑った。私は先生に飛びついた。右の胸からどくどくと心音がした。先生のしっぽはばたばた悶えた。

 私は男で先生もだが、二人は三日で結婚をした。子も先生が、吐いて作った。センデベ太郎と、その子を名づけた。三人で毎夜、踊り明かした。ちょっと楽しい毎日だった。先生はもう私の前で全裸になることもなかった。センデベ太郎は美形だったが、とてもくさかったので先生も私もあまり劣等感を刺激されずに済んだ。本当毎日が幸せだった。

 結婚して半年後にメルヴィル第六先生は急性マグロ鮨中毒でこの世を後にしたが、私とセンデベ太郎は保険金保険金と笑顔で叫んで、休まず一月飛び跳ね続けた。保険には入っていなかったけれど、そうでもしていないと、何だか世界が凡て不快で、不快で不快で仕方がなかったからだ。

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