複数人の回転

「やあはじめまして。マルコだよ!」窓際で男が振り返った。暗く逆光だった。「複数人の回転運動が始まったのはもう随分前のことになるから、その始まりを忘れた人もいるだろう。いずれ多くの人に関係のある現象なんだけど、ここで二人の人間を紹介しようと思う」

 カーテンにダンスパーティーの写真が映写された。手を取る男女が映っていた。

「一人は男で一人は女、男を馬鹿といい女を眼鏡という。どちらも互いが相手に向け使った呼び名なんだが、ここでもそれを使おうと思ってる。端的に人物を表しているからね。女は眼鏡を掛けてたし、男は十分馬鹿だった。馬鹿も眼鏡もこの世にはまだ溢れているが、そんな二人と思って欲しい。二人は回転によって遭遇し、同じ所を何度も回り続けた。時には相手に振り回されて、長い時間停滞することもあった」音がし男女が航空写真に変わった。

「回転の始まりは事故だったんだ。日本のどこだかにあったブレスランド研究所なる小さな会社が爆発を起こし、でかめの煙が空を覆ったんだ。日本中の空さ。知らないけど。煙は上空で雪に変わり夜更けに日本中を銀世界に変えた。雪といってもありものと違うよ。その説明に当時新聞やテレビは四苦八苦していたように思う。報道を更に噛み砕けばまあ普通より変な雪ってことだな。その特性は人々の生活に多大な影響をもたらしたんだ。

 最大の特徴としてその雪はよく滑る雪だった。溶けかけの状態が保たれる性質らしくてね、凍っては溶けを日夜繰り返し道行く論客を片端から転がした。つるつるどーんつるつるどーんつって。あまねく人が滑りまくった。転げる人間で往来は溢れ都市機能は半ばストップし、乗り物の事故も多発して終いには家まで滑ったとか。つるつる滑る人間達はばらばらに地上を移動し始め、やがてその運動に指向性のあることが発見された。滑る人間が吹き溜まらず滑走する先がそれぞれ異なることに気付いたんだ。雪で地上の摩擦がゼロになったことで回転が発見されたのさ。回転も事故の生んだ災害だといわれている。倒れたらそのまま立っているなら立ったまま、人々はどうやら一点を中心に円運動をしているということが滑りながら調査した学者の発表で明らかになった。衛星のようにとそれは説明された。回転の中心は各人で異なり、その速度も円周の長さも異なっていた。回転しない人間も実は散見されていた。雪では滑ったが円を描くことはなかったんだ。彼らは率先して災害から立ち直っていく。

 どういう作用で人々が回転してるのかは明らかになってないんだ。ごめんね。回転の中心は全国に遍在し、共通項も曖昧らしい。明らかになったこともある。回転の軌道には複数の人間が必ず同時に存在しているんだ」

 男は椅子から立ち上がり、部屋の電気をかちかち点けた。

「この部屋は馬鹿の――男の呼び名だよ――使ってた部屋さ。随分前だけどね。あまり面白い物はないね。映ってないけど足下は畳だ。映写機? これは持ち込みだ。馬鹿は結構インドアだったんだがこういう生活は回転以降は失われた。冬降った雪は夏にも消えず、人々は変わらずつるつる滑り続けた。災害は人の暮らしを変えるね。それは全員が舟で生活するようなもんさ。舟は操れずそれぞれが違う円を描いてる。ある日一人が気付くんだ、同じ軌道でぐるぐる回ってるやつがいると。向こうもこっちに気付くといつのまにか回転の径が縮まって、円周の二艘は接触を果たすんだ。二人は何を話すだろう。仲良くなれたら何よりだが、喧嘩になるかも知れないね。この回転だが中心は動かず、しかし円周は増減することが判ってる。も存在しているらしい。同一軌道上の人間が死ぬと解放されるんだ。回転しない人がいると話したが、偶々相手がいなかったのかも知れないね」男の足下で転がるような物音がした。男は屈んで何かを拾った。「毛糸だ。馬鹿は編み物でもしたのかな?」つるつる引くと毛糸が伸びて、男はそのまま糸を引き続けた。ブラインドに影絵が出来た。「絡まった。戻せないぞ。最悪だ。切るしかない」男が捌け物音がし、鋏の影絵が糸の影を切った。

 写真は再びダンスする男女に戻った。

「赤い糸ってどう思う。運命が鉄の棒だったらきっと行動も縛ってしまうんだろう。仏か誰かが業を煮やして棒の中心に釘でも刺したら、二人はぐるぐる回り続けるだろう。追い合う回転木馬のように。何も手につかなくなる。災害は人から自由を奪うけど、みんな絆に囚われてしまったんだ」男が右手から光の前に戻って、椅子に座るとサンドを齧った。「行きたい所へ誰も行けなくなった。ランチ一つに大騒ぎさ。飛行機も失われた。山手線にも乗れない。ライブやコンサートも難しくなった。そもそもバンドが集まれない。望む誰かと共に過ごすことはかなり困難になり、違う人生を歩まざるを得なくなった。

 予期せず自分が誰かに囚われた時、馬鹿は馬鹿だからまあいいと思ったんだってさ。既に多くの人が回転の中心で逢瀬を果たしていたし、そういう話はニュースにも乗っていた。単なるブームで馬鹿は回転の中心を目指したんだ。回転の収縮がどう起こるかは一意じゃない。好意で接近したり、憎しみで近付いたりもする。意図に関わらず再現性もなく、一言でいって巡り合わせだ。その時は何故か上手くいって馬鹿は中心へ接近した。回転の速度は円が狭いほど速くなる。フィギアと一緒さ。実は円が小さくなるほど各人に流れる時間は加速するんだ。反対に中心から遠ざかるほど老化が遅くなると判ってる。まあ馬鹿は馬鹿だからそういうことは気にしなかった。障害に会いつつ少しずつ円を狭めていくと、やがて建物の影に外着の女子を何度も見かけるようになった。それが眼鏡というわけさ。相手が女子と判り幾分馬鹿はほっとしていた。おじさんだと悪いらしい。二人の中心はある遊園地の中で、そこには他の人の回転の中心も固まっていた。距離を取り回る人々をすり抜け二人は遂に接触を果たしたんだけど、女子の方が鋭利なスコップを持っていて、接触と同時にそれで襲いかかってきたんだ。馬鹿は馬鹿だから間合いに入ったんだね。それが二人の最初の遭遇さ。

 眼鏡は端的に性格が悪かったんだ。馬鹿な男とつるむ気は彼女にはなかったし、回り続ける暮らしにもうんざりしていた。利害の一致で接触は果たされ、眼鏡の攻撃で馬鹿の指はちょん切れたらしい。馬鹿は逃げたし眼鏡は追うことが出来なかった。二度目の接触はその一週後、円が縮まって二人はもう一度遊園地で出会った。今度は眼鏡はスコップを持ってなかったんだが馬鹿の方がバットを持っていた。馬鹿は馬鹿だからやられた分やり返したんだ。その後長い間二人は微妙な距離を取ったまま、同じ所をぐるぐると回り続けることになる。

 眼鏡はその後は会敵を避けつつ馬鹿を仕留めんとした。基本自分が通った場所を相手も通るからその軌道上に罠を仕掛けたんだ。見事トラバサミに馬鹿は足を引っかけた。その後も落とし穴やピアノ線、毒矢や地雷と先々でトラップが馬鹿を襲った。馬鹿は馬鹿だからよく引っかかり、また一周した眼鏡が自分で穴に落ちることもあった。馬鹿が罠を仕掛けることはなかった。馬鹿だから作れなかったんだ。代わりに彼は足跡を追った。眼鏡のことを知ろうとしたんだ。回転の軌道は人と交わることもあったし、同じ所に留まる人もいて、眼鏡とすれ違った人から馬鹿は眼鏡の話を聞いた。取り巻く他人や軌道の落とし物から彼女の人となりを知ろうとしたんだ。眼鏡を掛けてること、手先が器用なこと、どうやら性格が悪いことなど、少しずつ馬鹿は見知っていった。それは本当の眼鏡からすれば幻のような像だったんだが、馬鹿にはそれは気付けなかった。

 ハンカチ落としは知ってるね? あんな感じで馬鹿は手紙を出したんだ。警戒しつつ眼鏡は落ちてた手紙を拾って読み、それから悩んで返事を書き、軌道上に落とした。数週間後手紙を拾い、馬鹿は入っていた剃刀で指を切った。その後同封の手紙を読んで、また眼鏡に向け返事を書いた。返事を拾って読むと今度は眼鏡は怒り狂った。次に眼鏡が手紙を書いたのは馬鹿が十五通もしたためた後だった。

 文通と二人の距離の相関だけど、出すほど離れもしたし、出さずとも変わらぬこともあった。遠回しな言動で相手を振り回し、また振り回され、時に停滞もしたし、似た所をぐるぐる回り続けた。眼鏡は軌道の相手が複数居たらどうする気だったんだろう? 全員スコップで殺す? 馬鹿は何も考えてなかったろうが、偶々二人は二人だったんだ。どうにも相手を振り切れなくて、どんな急いでも絶対に追いつけなかった。

 距離の変え方を先に掴んだのは馬鹿の方だった。地図とコンパスとコンパス(文具)で回転の軌道を割り出し、眼鏡の座標を上手く合わせて誕生日に夏の海辺をプレゼントしたらしい。自分は山で蚊に食われた。馬鹿が思い付いたのはそれくらいだったんだ。そんなで何が変わるというんだろう? ただ二人の輪はまた少しずつ縮まり始めたんだ。

 複数人の回転は三人の回転もあれば、十人の回転もあった。最大はファンとアイドルの五百人の回転で、手に手を取り合い彼らはマイムマイムをしたそうな。とても幸福な関係だと思う。いつか幸福も彼らから立ち去るだろう。一人の人も勿論居る。軸が自分なのか彼らだけどこへも行ける。何にも振り回されないようだ。いつまでは判らないけれど。多くの人が死ぬまで誰かと回り続けている。馬鹿と眼鏡も再会を果たした。今も遊園地で互いを見ながら、すごい速さでくるくる回っている。こまのように。小さな嵐みたいに。事故の被害者で賑わう遊園地の中で、ダンスパーティーのように回り続けているってわけさ」暗転。

 

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