短編
@konakemuri
病気の先生
病気の先生のお見舞いに家を訪れると先生のお母さんが私を出迎えてくれました。
「お見舞いにきました」花と菓子を渡し私は名乗りました。「青柳先生にお世話になってる、五年二組の入江チュウ子です」
「遠いところを」御苦労様ですといい先生のお母さんは頭を下げました。白髪の分け目から頭皮が覗いていました。「どうぞお上がり下さい」
先生の家は木造平屋で、板チョコみたいな外見でした。庭の物干しに背広とベルトが干してあって、先生のものだと私は思いました。
「息子は小さい頃心を患いまして」
案内された台所で私は冷たい日本茶を頂きました。湯呑みは小さい花柄でした。台所の床はマックみたいな拭きやすい素材で、色んな緊急車両のイラストが描かれていました。
「虐待を受けていたのです。今でも時々夜泣くことが」
「そうなんですか」お母さんの話に頷いてから私はストローを吸いました。「では先生は心の病気で休んでるんですか?」
「腰痛です」お母さんがいいました。
薄暗い廊下をお母さんについて歩きました。とても寒い廊下でした。何度も人間が行き来をしたせいか、板張りの床はつるつるよく滑りました。
「先生は元気ですか」
「調子はよくないです」低い背を更に丸めて先生のお母さんはゆっくり歩きました。お母さんの掴むまだ新しい手すりを見て、先生が付けたのかなと私は思いました。「学校で見るのとはきっと様子も違うでしょう。どうか驚かないであげて下さいね」
腰痛の先生は柵の付いている大きなベッドに寝かされていて、私の知っている頼もしい先生とは確かに別人のようでした。
「こんにちは先生」私は屈みこみ顔を近づけました。「遊びに来たよ」
「喉にチューブが入ってるんです」学習椅子をお母さんは私に勧めてきました。「どうぞ」
先生は青いパジャマで、ぼんやりと宙を眺めていました。寝間着は股間がふっくらしており、髪の毛もひげも伸びていて、眉毛も増え、黒縁眼鏡も今はしていませんでした。
「先生私判る。チュウ子だよ。お見舞い来たの。意識はあるんですか」
「薬でぼんやりしてるの」そういいお母さんは点滴をいじりました。
「みんな先生心配してるよ」私は話して先生のでこを撫でました。「早く元気なってね」
先生のお母さんが先生のおむつを替えだして、寒かったのか先生がそれで目を覚ましました。私に焦点が合うととても驚いた顔をして、喋れない口でもぐもぐといいました。
「起きたのね先生」私は思わず笑いました。「先生のお母さんこれって少し外せませんか。私先生と話したくて」
「ごめんなさいチュウ子さんお医者じゃないと外せないのよ」
「そうですか」残念だがしょうがないようでした。新しいおむつが付けられるところで、めくれたパジャマの裾から背中の大きな褥瘡が見えました。目が覚めた先生は何かいいたいことがあるのか激しく身動きして私に何かを訴えかけていました。「どうしたの先生」
「きっと喜んでるんだわ」「本当嬉しい先生。先生のお母さん先生はどうして縛られてるんですか」「落ちると危険だから抑制しているだけよ」「そうなんですか。鎖が食い込んで手首の肉が剥けちゃってるわ」「かわいそうだけど本人の為よ」「そうですか……」
点滴を早めると先生は再びまどろみ、用があるらしくお母さんも部屋を出て行きました。私は机に見つけた眼鏡を先生にかけてあげて、椅子に腰掛けて一人で話しかけました。
「腰痛ってこんな大変なんだね。全然知らなかったよ私。ごめんね先生、私何も知らなかった。一月前、先生が急に学校来なくなってから、クラスのみんなすごい心配してたんだよ。どういう病気かは全然判らなかったけど、早くよくなれって毎日いってたもの。みんなで行ったら大事だからクラス代表で私が来ることになって。そう、お土産があるの。みんなの寄せ書きと、折った紙鶴」私はランドセルから千羽鶴と色紙を取り出して、色紙は無理矢理先生に握らせて、鶴の群体は窓辺に吊しました。「先生私ね低学年の時に友達が入院してたの。お見舞いその時は一度も行けなくって、その友達結局そのまま死んじゃったの。子供がなるがんだったんだって、一年間も入院していて。行けなかったなんて嘘だよね、私お見舞い面倒くさかったの。お見舞いなんてしたことなかったし何したらいいか判らなくて怖いし、誰か誘って行きなさいってお母さんにいわれても、行くふりだけして別の子のうちで遊んでたの。漫画とか読んで。そしたらさ、死んじゃった、もう二度と会えなくなった、今はいいやと先伸ばす内に、取り返せないほど遠くに行っちゃった。今更遅いよね。でも間に合うなら謝ってもやり直したい。先生が病気でお休みしますって聞いてからずっと、その子のことを思い返していたの」
先生の薄く開いた目が私を見ている気がしました。下まぶたに沿って黄色い目やにが溜まっていて、ティッシュの紙縒りで私はそれを吸い取りました。先生は静かでした。
「クラス代表って半分は嘘、私が自分で来たくて来たの。また私たちに授業してよ。先生の意地悪クイズまたやりたいよ。私担任は先生がいいよ、よくなったらまた毎週校外学習しようよ。先生の横ついて裏山歩くの私好きだよ。他の子だってそうだけれども」
気付くと先生のお母さんが後ろに立っていて、花瓶を机に静かに置きました。「息子を好きでいてくれるのですね。入江さん、あなたなら息子の病気を治せるかも知れません」
「どういうことですか」
「息子は実は腰痛じゃないのです」
「そんな! 腰痛じゃないなんて!」
「息子の体内には悪い虫がついていますとても小さい虫の集団です、とても小さくすばしこいので医者には見えないんです、病院でも見つけられませんでした」「そうなんですか」「私には全部お見通しです普段は脳の深い位置に隠れているので手が出ませんが、息子を縛ると虫が苦しんで脳から体へ逃げ込むんです。その時が虫を取り出すチャンスそこであなたの助けがいるんです」「私私に」「出来るのよ大丈夫。全部任せて。あなたは横になっているだけでいいの」「私、私も先生を助けたい。出来ることあるなら、よくなって欲しい」「決まりね」真剣な目のお母さんに連れられ私は先生の和室を後にし先ほどの台所の大きなテーブルにお母さんの指示で寝かされました。
「緊急手術を始めます」本当は医者だという先生のお母さんはエプロンを着けて包丁を持ちました。「虫は感染するかも知れない。痛くなっても最初は我慢よ」
「我慢します」私は寝たまま返事しました。虫は人間を操ることが出来るらしくその予防措置として私も布テープで縛られていました。「お願いします!」
「いざそれ!」お母さんが包丁を振り下ろし鈍い音がして私の臍に刺さりました。最強の下痢のような痛みが内臓を襲って私は思わずのたうちました。「あえっ」
「我慢よ!」お母さんが包丁を引き抜き、臍の穴に料理鋏を突っ込んで私のお腹をばちばち裂きました。そのままの勢いで腹中を素手や鋏でぐちゃぐちゃに掻き回しました。「取れたわ肝臓よ! フゥ!」お母さんは大物を両手で振りました。「虫は苦しむと肝臓に逃げ込むの生き生きしてるこの臓器と息子の虫だらけレバーを取り出し替えれば病気は治る道理!」「痛いよー痛いよー」「もう少しの我慢よ今カレーを温めてるから」コンロの火を強めお母さんは私に呼びかけました。「このカレーをお腹に流し込めば痛みはすぐに治まるから!」
「痛いよー痛いよー」私は泣き叫びました。「助けて先生!」
台所の入り口に管だらけの先生が現れ、髪を振り乱して自分のお母さんに突進しました。圧力鍋を握っていた先生のお母さんは先生のチャージをお腹に食らい、バランスを崩して強火の大コンロに倒れました。
「ぎゃあ」お母さんの髪や服やエプロンに火が回りました。
「青柳先生!」私は叫びました。先生は沸騰したカレーを頭からかぶって床をごろごろのたうっていました。くぐもった声が時折聞こえて、まだ口にチューブが入ったままのようでした。先生のお母さんは火達磨になっていて火は瞬く間に家の壁にも広がり、先生は自分でチューブを引き抜くと声を上げて少量げろと血を吐きました。そのままふらつきながら私の方へ来て、テーブルの上の包丁を掴みました。「先生! お母さんが!」
「母親なんかじゃない!」掠れた声で先生は叫び、ぶるぶる震える手で私を縛るテープを切ろうとしました。指が上手く動かないのか包丁を持ったまま鋏を無理に握って、何度もテープを突き刺しました。「駄目だっ、外せないっ、チュウ子!」
「誰かいますか!」つるつる滑る音が廊下から響いてすっ転びながら消防士の人が数人現れました。「大丈夫ですか! 怪我はありませんか!」
「手伝ってくれっ」カレー塗れの先生が叫びました。「この子が動けないっ」
「何してるんだあんた!」包丁と鋏を握った鬼気迫る先生を見つけると消防士達は数人がかりで先生を床に押さえ込みました。抵抗する先生を消防士の人が殴るのが見えました。床の隅では先生のお母さんが赤黒く焼けて倒れていました。「死んでるぞ! 何て惨い」
「お前がやったのかっ」消防士が先生を叱責しました。
「やめて下さい!」先生を助けようと思い、私は力を振り絞り一生懸命に叫びました。
「病気なの! 先生は病気なの! 先生は悪くないの! 乱暴はやめて!」
私の言葉で消防士達は納得したらしく、気を失った先生をいじめることをやめました。失火も間もなく消し止められて、私と先生と先生のお母さんは救急車で運ばれました。
一ヶ月後私は退院しましたが、先生は学校に戻ってきませんでした。
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