殺人少女
殺人少女の坂本鉄子は普段は中学三年だった。涼しい朝に学校へ向かった。
「早く着いたら仮眠を取ろう。いつも授業中寝てしまうから」
勉強のできない鉄子はテストが間近に迫り少し焦っていた。
「あと二週間何とかなるのか無理な気がする」
「おはよう鉄子」
名前を呼ばれて鉄子は少し震えた。振り返ってみると声は友達のГ子だった。
「おはよう」
鉄子が返すとГ子は笑った。キリンのような笑顔だった。Г子は鉄子と同じクラスで席も近くの友達だった。
「ねえ知ってる九十先生家で死んでたんだって」Г子は鉄子と並びながらいった。「八つに裂かれてたんだって」
「それ私」
「ああそうなの何だ」
「うん」
「来ないと思えば」死んでんだものとГ子はいった。
それきりГ子は黙った。やってしまったと鉄子は思い消えてしまいたくなった。俯いて髪の中で自分のろくでもなさを実感し、それから顔を上げГ子の耳たぶを見た。
泡立てたようなГ子の耳朶は綺麗だった。柔らかい髪もかかっていた。工場の前を通ると霧の粒が体にかかった。「どうしよう」鉄子は立ち止まった。霧は通過していった。
「なあに」Г子が振り返り微笑んだ。
「私Г子を殺したい」そういってから鉄子は変身といった。
注射器を取り出して腕に突き刺す鉄子を見てГ子は何もいわなかった。鉄子も無言で変身をした。何もできないただの中学生である鉄子は殺人衝動が起こるとスタインベックの短篇集をお湯で戻したものを静脈注射することにより殺人少女に変身する。(した。)具体的な変化としては服装が制服から学校指定のジャージに変わり、自転車と鋸がその場に出現していた。
変身が終わり鉄子は辺りを見回した。幸い変わらず辺りは静かで目撃者もГ子のみだった。変身などは恥ずかしいので見られたくはないと鉄子は思っていた。
変身が終わったので、Г子は息を一つ吐いてから「じゃあ私逃げんね」と笑い、手を振りながら踵を返した。
小走りで去るГ子を追いかけるべく鉄子は自転車にまたがった。すぐに追いつくと鋸を振ってГ子に当てた。
「痛」
小さく強くそういうとГ子はその場に蹲った。鉄子が止まったので追い抜いて鉄子も止まった。Г子の左耳周りからは血が流れていた。鉄子は右手の鋸を見た。刃に髪と皮膚が付着していた。
自転車を立てて停めると、鉄子はГ子を手で倒しその上に乗った。
うつ伏せのГ子の背中は息をする度少し動いた。顔は見えなかった。制服の生地は熱っぽかった。鉄子は迷ったが横の刃をГ子の後頭部に縦に当て、ギーコギーコと挽き始めた。ざりざりという音がГ子からあがった。結っていた髪の厚みがばらけて、 床屋のように辺りに散った。長い髪で道路一面が真っ黒になった。
皮に刃が食い込むとГ子の体が暴れだした。気にせず肘を引くと爪で木を擦るような音が響いた。手のひらには引っかかりの度に軽い振動が伝わった。
髪の中から頭の丸みに沿って血が虫のように流れ出た。Г子の膝から下がバタ足をするようにして鉄子の背中をたたたと叩いた。くすぐったくて鉄子は笑った。空に上っていく声は黄色かった。肘と腹筋を使って鉄子は頭の中の音楽に合わせて鋸を挽いた。ごりごりという音が涼しい朝によく響いた。中に入るほどに角度をつけて前屈みになって刃を潜らせた。頭に入ると何も無いようなゆるい手応えだけが伝わってきた。鉄子はГ子の首を横にして頭の上三分の一辺りを水平に切り出した。最初の切り口からはマーブル色をした絵の具水溶液が溢れ出して坂の下の方へと流れていった。 頭蓋骨が削れるざらざらした音が手首を伝った。
「取れた」
取れたГ子の頭の皿は鞄にしまって鉄子は急いでジャージから制服に着替え自転車で学校へ向かった。気付けば遅刻する時間だった。
「遅れてごめんなさい」
鉄子は担任の額縁先生に叫んだ。先生は呆れて笑った。
「汗拭きなよ」
「はいすいません」
「授業を始めます」授業を始めますと先生はいった。それを聞いてクラスメイトたちがどっと沸いた。
「はははは」
「ははは」
髪を押さえつけながら鉄子は急いで自分の席に着いた。何の授業だったかと考えたが判らなかったが誰にも訊けなかった。友達をすぐ殺してしまうので友達がいないためだった。
「そうだГ子は私の最後の友達だったんだ」
自分にはもう友達は一人もいないのだと考えると鉄子は泣きそうになった。友達を殺すようなやつとは誰も友達になってくれないのだと改めて鉄子は強く思った。
「最強の筋肉を持つ男を撲殺するためには人が皆持っているイコライザの調整とおよそ六畳ほどの厚さのガラスが必要となります。このことは昨日の深夜に明らかになりました画期的な米櫃洗浄法です」額縁先生がヘディングと黒板に記した。「ペットボトルの味は髪についたガムがうなじで溶ける味です」
「ガムは取ろうとすると髪が抜けました」選挙委員が挙手して喋った。クラスがまたどっと笑った。赤ちゃんが三つ爆笑した。
「授業についていけない」鉄子は思った。「いつも寝てるせいだどうしよう」
授業が終わり鉄子は額縁先生へ駆け寄った。
「どうしたの坂本遅刻付いてないよ」額縁先生は出席簿を傾けた。
「先生あの勉強教えてください別に授業と」
「補習するのまあ坂本芳しくないからなあ」
「お願いします」
「いいよじゃあ放課後に」
「すいませんありがとうございます」
額縁先生は鍵のように微笑んだ。いい笑顔だなと鉄子は思い、思ったことが消えればいいと思った。
「嫌われてまではいないみたいだ」
「なあに坂本さん」同級生が元気に振り返った。綺麗な髪が揺れた。
独り言を聞かれてしまったと気付き鉄子は赤面した。何でもないよと足元の同級生の死体に弁明した。先生に気付かれぬ内に廊下の窓から通りに捨てた。服も変身してしまったので急いで着替えねばならなかった。頭から落ちたその男子は花壇を壊してコの字になっていた。
「じゃあ牛の胃袋は四つあるんですね」
「そうそう。だから日本の将来は全く安心なんだよ」
「良かった」
「ちなみに山羊には気道が二万個あるから」
「そして山羊から取れるのが邯鄲男なんですね」
「それだけ判れば大丈夫そうだよかった」先生はお茶を飲んだ。白い首だった。
「ありがとうございます」鉄子は座ったまま頭を下げた。
外を見ると日没だった。一枚脱いだ野球部たちは後片付けをし始めていた。
「あの先生」
「なあに坂本」
「明日も教えてくださいませんか忙しいですか駄目ですか」
「いいよ」
嬉しくて礼をいって鉄子は帰った。階段を駆け下りると踊り場にいた野球部員にシャトルの代わりに打たれてしまった。野球部員は陳謝をしたが鉄子も笑って速度を詫びた。
内履きを脱ぎながら嗅ぐと服に先生の匂いがついていた。
「私が学校で人殺しすれば先生も私を嫌いになるに違いない」
学校の帰りに出会った小学生の集団を父兄ごと殺しながら鉄子は思った。「もう学校ではやめようなるべく気をつけよう」黄色い帽子からはみ出る帽子の中身の赤さを見つめて鉄子は思った。目の前で一年生が潰れていくのを虫の息の六年生と手足のない初老の男性が見ていた。眼球を蹴りながら鉄子は家路を辿った。
翌日の授業もうずくまるように耐えて、掃除の終わった教室で鉄子は先生と語らった。勉強もしたし漫画の話もした。他にも話せたらと思ったが鉄子に話題がそれほどなかった(先生のする趣味の粘土の話はよく判らずついていけなかった)。広がらない割りには話は弾んだ。先生は親身になれれば許容範囲的なレベルの冗談をよく口にした。とても楽しいと鉄子は思ったがだからどうしたと思いながら笑った。笑った拍子に膝をぶつけた。
学校で殺人ができない分は夜中に補った。変身して寝静まった人家の窓を木のバットで割り、起きてきた家人を窓ガラスの付着したバットで砕いた。起きてこなかった家人も殺した。寝たまま死んだ子供たちの顔は母親似だった。父親とも似ているかは父親が歪んでしまったのでよく判らなかった。脳味噌の色は母より父似だった。
別の家では歯軋りの酷い女の子がいた。鉄子が鋸の刃を歯に当てて歯ブラシのように左右に引くと、歯軋りよりもすごい音が鳴った。歯茎は血を噴きぼろぼろになり乳歯はぽろぽろと喉に落ちていった。唇も口角もぐちゃぐちゃになり女の子は泣いた。
そんなことを夜毎しているので結局授業は寝ていて置いていかれた。
「ちゃんと授業も聞きなよ」と額縁先生は笑いながらいった。
「ごめんなさい」鉄子は身が千切れる思いだった。
「来週はテストだし頑張ってね」
「あはい」立ち上がる先生を鉄子は見上げた。椅子を触るとまだ生だった。
「この週末は勉強しなきゃ」コンビニで店員をおでんに叩きつけながら鉄子は呟いた。「外出するような暇なんか」
何故自分は真っ直ぐ帰宅せずコンビニに入ったのだろうと鉄子は考えた。一刻も早く机について勉強を始めねばならないはずだった。
鉄子は募金箱で店員の首を砕いた。
「私何やってるんだろう」
その週末は鉄子はずっと家にいた。殺人衝動と闘いながら試験範囲をどうにかし続けた。教科書を読み返すだけで集中が途切れ、一ページ読んでは漫画を二冊読んだ。一問解けないともう駄目だと力が抜け、一問解けると安心で力が抜けた。進まない手に汗を掻き自分の体温にいらいらして、何度も何度も水を飲みその分何度もトイレに向かった。
土曜の夜にはたまらなくてご飯だよと呼びに来た姉と兄を殺した。階段を転げ落ちた姉の上にラジカセを落とすと膝に命中して重い音がした。可動域が広がった膝で歩きながらお母さんと呼ぶ姉の頭に拾ったアンテナを鉄子は差した。受信はしなかった。ちょうどトイレから出てきた髪の長い兄を坊主になるまで鉄子は殴った。頭皮や目や鼻や耳が取れるたびに小分けして血や肉とともにトイレに流した。顔面が消えて手足の先がなくなった頃にトイレが兄で詰まり、呼ばれた母がばこばこすると兄の破片が大量に逆流し戻ってきた。
日曜には両親を食べながら必死にページをめくった。何か口にしていないと集中できぬ気がしたが食べていてもすごい集中というわけでもなかった。甘いものを食べるだけで頑張っている気になり、それが自分でも判るので、より頑張るためによりいっそう手が伸びた。気が付くと口の中が切れてぼろぼろになっていた。
月曜日のテストはもしか上手くいったのでないかしらと鉄子は思った。紙面も埋まったしあまり手も止まらなかった。このまま頑張ろうと思い家に帰り机に向かった。夜中に自分のミミズが這ったノートを見返すと不安で不安でしょうがなくなった。プリントが頭に入らず唸り続け、気が付けば朝になっていた。祖父母を風呂場で殺しているうちについ眠ってしまったようだった。範囲は半分も見れていなかった。
火曜日のテストはそれでも思ったほど酷い感触も無く終わった。その日は誰もいない家の居間で泣きながら勉強し、水曜日にはテスト中に教室の皆を殺して回った。クラス全員と前後のクラスを殺し終えてから、これは平均点が下がるのかしらと鉄子は思いついたがすぐに頭を振った。「そんなわけないじゃあないか」
静かになった教室で色んな形の生徒たちをかきわけ皆の血だらけの答案用紙を鉄子はカンニングして回った。答えがばらばらな場合誰を参考にすればいいのか誰が頭のよい子なのか鉄子は判らなかった。友達を殺すようなやつと友達になってくれるやつはいないのだと鉄子は呟き、自分が可哀想で泣いた。開始間もなかったので結局後半はずるもできなかった。チャイムが鳴るまで粘っても殆ど真っ白(真っ赤)だった。
三日学校を休んでから鉄子は夕方に登校した。既に額縁先生には電話を入れてあった。
「どうしたんだ坂本試験休んで」生徒指導室に現れると額縁先生は心配げにいった。
「私のテスト採点しました」合わせる顔がないので鉄子は俯いてそう訊いた。
「ううん」
「教えてくれたり駄目ですか」
「駄目だけど教えるとどれも厳しい感じだったよ」先生は困ったように笑った。「勉強したのにね」
「はい」鉄子もしょうがないので笑った。「出来た気が、したんですけど」
「ねえ坂本」
「ねえ先生私ったら殺人少女なんですよ。先生は赴任したばかりで知らんでしょうが私クラスの子達や先生たちや知らない人らや皆殺しですよ。殺さずにはなんかいられないんです。殺された人の代わりに来たんですよ先生。私は中一までは何のとりえもない何のとりえもない何のとりえもない糞がきである日唐突に何のとりえもない私は殺人衝動が沸き起こりスタインベックの短篇集をお湯で戻したものを静脈に注射することで殺人少女に変身するようになりするんです変身この通り」鉄子はジャージの袖を持ち上げて自転車のベルを鳴らして見せた。反対の手には匕首を持っていた。
「何のとりえもない私はこうして日夜何も悪くない人たちを殺して回っているんです。仲間も五人います。みな殺人をする少女ですが名前はそれぞれです。何故五人おり私だけじゃないのに私だけが殺人少女を名乗るかというと私が一人目だったのもあり差別化がいらないのあるけれども私が他の四人と違い殺人以外に取り立てて語ることのない人物だったこともあります。私がこのことを先生にいわなかったのはそんな機会が別段無かったこととこんなことを知られたら嫌われてしまうんではないかと、私が人殺しと知ったら先生はもう笑ってくれないんじゃないかとそういう風に思ったからです。でももう何か色々と耐え難いです。先生はどうですか私が人殺しでどう思いますか私の血の臭いが体に付いて」
「西日が眩しいね一階なのに」真っ暗な先生はそういって手を翳した。「そういうのりは嫌いでもないし、好きでもないし、だから」
先生の声を聞くだけで心臓が裂けそうになり汗も吹き出て、とても答えを待っていられなくて思わず鉄子は先生の喉にドスを突き立てた。ごぼごぼごぼと音を立てて額縁先生の喉から真っ黒い血が湧き出ていった。鉄子は喉から刃を上に動かして顎から額まで顔を真っ直ぐ切り開いた。先生の薄めの唇は二つになると急速に変色していった。面の皮を引っぺがして放り投げると力任せに頭蓋骨を叩き割って目玉と脳味噌を鉄子は取り出した。先生の脳は鉄子の手に余る大きさで、持っていると自重で段々広がっていった。
「青い脳味噌ね」
窓から殺人仲間の一人である眼球少女の島村が入ってきた。おはようと鉄子はいうと島村は何でといい笑った。
「私が人殺しだといったせいでこんなに青いのか」
「そんなこといったの」島村はそういいデスマスクを拾った。
「たとい好かれても嫌われてなくてもそんなのよくよく知らないからで、私が詐欺してそうなんじゃないと、私はこんなに気持ち悪いと知られて好かれていれればいいなと、本当の自分も判らないけど駄目なとこ知られていたって大丈夫だっていう風に持っていければ悪いことないかと思ったのに」
「欲が出たってことでしょう」島村は笑って額縁先生の皮を被った。「駄目では駄目だと知ってショックか」
「別に」鉄子は先生の脳味噌を腿の上に置いた。「速さが普通に戻っただけでしょ」
窓の外の校庭から野球部が興味深そうに室内を覗いていた。鉄子は何となく先生の死体を机の陰に隠した。眼球少女である島村は振り向くと野球部たちに向けてあっかんべえをした。あかんべえのべえの時に露出した眼球が弾丸の速さで飛び出し坊主頭を撃ち砕いた。眼球はサードの辺りで旋回し引き返すと元の目蓋に収まった。
「私もうちょっとましになろう」
鉄子は呟いた。
「じゃあ人殺しとか駄目だね」
「そうねもうやめよう」そういい鉄子はしゃがむと額縁先生の服に鼻を当てて臭いを嗅いだ。「勉強もしなきゃ」服は鉄の臭いがした。
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