歩程

 幼馴染のAは小二まで女子でその後は机だった。


 馴れ初めは体操教室の幼年コースで、私が体操をやめてからも家が近かったので遊び相手だったりし、母親同士も比較的馬が合うらしくて、家族ぐるみで付き合いがあったのだが、小学校に上がったある日下校中のAが現金輸送車にはねとばされ、生きながら十六の肉片に分裂してしまうということがあり(小数点以下洗い流し)、以来Aの両親は本人の代わりにAの学習机を実の娘として育てるようになり、周りの人間もそれにおいそれと同調してしまったりし、そういった苦労もあったものの本人の努力でAは無事小中を卒業し、私と彼女は電車で五駅の同じ高校に進学をした。

 人間の頃は線の細い気弱な子だったが、机になってからは両親が他の子に負けないよう育てたらしく、その甲斐あってか日に日にAは積極的な人間になっていって、中学で打ち込んだ長距離で表彰されたりなどもしていた。対称的に放牧されてどんどんインドアになっていった私を、彼女が外へ引っ張り出すような関係にもなり、遠い高校に起床時間が早くなってからは、起きれぬ私を部屋まで起こしにも来てくれた。

 毎日目覚めると決まって彼女の抽斗が目の前にあって、寝ぼける私の蒲団を無理やり奪ってから、私の鞄の教科書を入れ替えるAのスカートと足(八本)(机と椅子)をぼんやり見ながら、私はゆっくり自分の制服に着替えるのだった。自分の椅子に私を座らせAは歩き出し、駅へ向かうAに座りながら私は自分の朝食をとり、コーヒーを飲んだり歯を磨いたりし、余裕があれば二度寝などもした。とかく私は朝は調子が悪くて、駅の階段を走ったことも、乗る電車を自分で探したこともなかった。彼女のおんぶやだっこになって、電車の中で彼女は人に揉まれ、私は座って髪を梳かしたり、朝の課題を片したりした。

 足の多いAは吊皮なしでも安定していて、場所を取るので周りは迷惑げで、時々彼女に手をつくリーマンなどもいて、痴漢を告げると大概は謝られた。


 学校では机が離れていて、私とAとはそうべたべたする感じでもなかった。

 学校の私の机はやたらがたがたして、板なんかも割れ出していて、そういう不具が殊の外気障りで、いつも今一授業に集中できなかった。そんな時彼女の方を見てみると、彼女は大概熱心そうに授業を受けていて、体育会系の他の子などと比べても、机に向かうことが苦でないたちみたいだった。

 学校で彼女に腰掛ける子はそれほどいなかったが、それでも時々はいて、じゃれる彼女らを遠く見つめていると、何となく私はばつが悪くなった。比較的友達の多い彼女とそういつも一緒にいるわけでもなかったけれど、陸上部のない日などは一緒に帰って、休みの日に気が向けば買い物などにも行くことはあった。


 小さい頃から変わらぬ部分で、互いの家へ泊りに行きあうことなどもあった。私の部屋でのAは空いている床で眠り、Aの部屋での私は生前の彼女のベッドで眠った。

 寝ている時の彼女はいびき一つ掻かず、本当にただの机のように静かで、寝ざめのよさの代わりかどうか、ちょっとのことでは目を覚まさなかった。気付けば一人で寝ていることや、話の途中で寝られることはしょっちゅうで、たとえば蹴りつけてみたことなどもあったけれど、大抵のことでは目を覚まさなかった。一度彼女の寝ている際に、勝手に彼女の右の抽斗を開けたことがあって、どこかの時点でもらったらしい手紙や、まめな日記がそこに整頓してあった。

 一番上の鍵の抽斗には手製の脳髄が水に浸けてあって、一番下の大きい抽斗には各種の人工臓器が綺麗に敷き詰めてある筈だった。確か小五の頃クラスの男子に無理にこじ開けられて、腹膜が裂けて腸が戻せず大騒ぎになったこともあった。

 抽斗の隙間からかすかに漏れる息を聞きつつ、寝顔を見てから私も蒲団に戻り、そういうことをしているせいでもない筈だが、朝はやはり彼女が早いのだった。


 学習机の彼女は足腰も丈夫で、横幅もあり、あまり女子には見られにくく、そういう悩みを口に出すこともあり、私にとっては彼女の真っ当な人間性や、いろんな引き出しの多さがまた羨ましくも感じ、互いにないものねだりをしながら気づけば十年付き合っていて、何も望んだわけではなかったが、消去法的に一番の友達ではあった。

 気怠い日、体調の悪い日、嫌なことのあった日、疲れた買物帰り、負ぶわれるようにAに腰掛け、そのまま運ばれて帰ることもあった。彼女の天板にもたれて突っ伏しながら、ナイフの傷を私はよく眺めた。

 彼女にとって小学校時代はわけても辛苦の連続だったらしく、その頃自傷する癖などを身につけて、よくあちこちを切りつけたりして、たとえば母親に見つかってなんやかんやとあったらしいが、詳しいことは私は聞いておらず、ただ傷ついていく友達を見てどうすべきか判らずにいただけで、特別の手助けも出来ぬまま、彼女は自力でそれを乗り越えていた。

 あるいは私も知らない引き出しがあって、今もそこに何かしらの思いをしまいこんでいるだけなのかもしれず、周囲にはいい子の練習の成果だけ、見せているということなのかもしれなかったが、制服の下、あまり見えにくい位置、かつて彫られた傷だけ彼女にまだ残っていて、塞がらぬまま古びてそこにあった。ほんの気まぐれで私がそれに触れると、怒ることもあり、笑ってみせることもあり、見た目に反する大人びた言葉で、私を窮屈にさせるのだった。


 用意、と声がかかり、ホイッスルが一度吹かれた。前傾のAがゆっくり走り出し、一定のペースでトラックを周り始めた。

 足の動きが繰り返されて、ミシンのような運動をした。上体が風を切るよう揺れて、やがて一つのテーマに見えた。

 吹いた風が向こうの方で見えて、やがて私の方へ届いた。ちぎれるように足が痛くて、私は思わず肩が竦んだ。

 遠く見える陸上部は違う種類のフォントに見えた。スペースを幾つもそれぞれが挟んでいて、そのうち一人のローマ字がAだった。

 何周するのか判らなかったが、私の短距離より普通に速そうだった。歩幅はそれほど広くなかったが、他の子よりも綺麗な走りに見えた。段々他の子と差が付き出して、ほぐれた部員の後方に彼女は移動した。彼女の表情はここからは判らず、暑いか寒いかも想像がつかなかった。

 冬時分のマラソン大会で、私も五キロを上意で走らされた。走っている時随分と孤独で、耐えられない種類の空しさに覆われていた。彼女がどうして走っているのかや、走っている時どういう気分なのか、訊いたことがあったかもしれなかったが、答えはもらえなかったのだと思う。部活なんて碌な意味でしているものではないし、もしかしたら全て惰性かも知れなかった。彼女が特別なわけでもないのなら、卒業とともにやめるだろうことではあった。

 三年間が終わった時彼女は何キロを歩き終えているのか。どれほど遠くまでそれは行けるのだろう。私は彼女と同じ道を移動している筈だったが、そういうことが何となく気になった。帰り道だけなら多くとも半分、この三年では計りうる差で、その後全てが変わった時に、いよいよそれは判らなくなる筈だった。

 寒いので立ち見をやめ私は帰った。彼女はトラックをまだ走り続けていた。


 私たちも高三になり、次の予定を埋め始めていた。見たことのないジョッキが渡され、一気飲みしているみたいだった。

 親に苦労を随分かけたからと、高校を出たら彼女は就職するつもりらしく(デスクワーク)、漫然と進学希望の私が彼女といられる時間も、恐らくあと少しと思われた。

 十年来彼女にもたれっぱなしだった私も、遅まきながら一人で立って生きる準備を始めて、ある時向き合いある時は隣を歩き、一つのようだった私たちは少しだけ距離が開いた。自分のもののようだった彼女の引き出しにもそうおいそれと手をかけられなくなっていき、代わりが欲しかったわけでもないと思うけれど、私は少しずつ早起きの練習を始めた。

 一人で目を覚まし食事も身支度もして、委託していた自分を取り戻そうと努めた。殊更にそれは苦行になっていて、大きな木の根を張ったようでもあった。親に頼り別の子に頼り、受験に明け暮れ浮き沈みもし、それでも最後の一週間玄関で待つ彼女と並んで、まだ明け切らない朝の通学路を、二人で一緒に歩けるようにだけはなれた。

 雪の後の道で私は十歩も歩かずに転んだ。肘を彼女の角で打って、みじめにも気が走った。すぐ終わる朝の繰り返しのサイクルが私の足の裏をぬるぬると送られていった。とても大きい壁のような朝の地面に、これだけはずっと続くものなのだという風にも思えた。

 足が多い彼女は健脚で、私はすぐについていけなくなり、息荒い私にペースを合わせて、いつもの半分の早さで彼女は歩いてくれた。幅を取り並び歩く邪魔な私たちを朝の凄い形相の人々が次々追い抜いていった。この朝一つに辿り着くまで、どれだけの行程を各人歩き終えたのだろうと思った。

 駅までの上り下り、こんな道を彼女は今まで歩いていたのか、青い顔でふと私が見やると、寄り添う彼女も死人のような面をしていた。

 誰でも朝は辛い、人なら当たり前のことだったが、馴染みない表情の友人の横顔を見て、新しい一面に気付いた気もした。

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短編 @konakemuri

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