夏祭りの工事

 学校から帰り私が郵便受けを開けると工事のチラシが入っていた。

「チラシ入ってたよ」

「夕刊は」

「ある」私はまとめて母に渡した。一番上にあった黄色いチラシには薄い印刷で夏祭りの工事のお知らせと記してあった。「夏祭りだって」

「今冬だよ」

「三月一日開催って」ちょうど一月後の日曜日だった。「何だろね」

「開催場所桜つつじ公園」母は紙を手にとった。「聞かんなどこだろう」

「近所じゃないの」

「地図があるすぐ近くだ、橋の手前の辺りだよ」

 私は紙を覗いた。「アレ子ちゃんとか住んでた辺りだ。あすこらへんに公園なんて」

「気づかぬ内変わったのかもね」ご飯出来てるよといい母はカレーに火を入れた。

 翌日学校で私はアレ子を見かけた。話しかけるのは久しぶりだった。

「アレ子ちゃん」

「やあ」アレ子は私を蹴った。

「痛ははは」

「ははは」

「ねえアレ子ちゃん訊きたいんだけど家の辺りに公園ある」

「殺しのあった石田公園のこと?」

「そんな離れてなくて。祭りあるでしょアレ子ちゃんちのすぐ横らへんで」

「空き地ならあるけど」アレ子が私を蹴る。「祭りって?」

 放課後二人で一緒に帰った。アレ子は私を車道に突き飛ばした。

「あぶないなあ」

「ははは轢かれれば」アレ子ははにかんだ。「よかったに」

 一人でいるには寒い冬の日で、繋ぐ手の中で画鋲が私を温めた。幸せだろうと私は思った。

「ないねえやっぱ公園とか」アレ子がいう。「嘘吐いたの?」

「どうだろうね踏まないで足」コンビニの隣にあるアレ子の家は巨大だった。裏の空き地はほんの小さいものだった。「一杯食わされたかな」

「お姉ちゃんお姉ちゃん」二人の幼女がアレ子目がけて歩道を駆けてきた。

「お帰り」

「よおただいまいい子してた?」アレ子が二人をトラップし止めた。

「妹?」

「うん。一番下とその上。会ったことなかったっけ」

「多分」私は蹴られた脛を押さえた。「顔似てるねお姉ちゃんと」

「そうかな」アレ子は笑って私の首を絞めた。姉に倣い妹たちも私を蹴り始めた。

「家だし帰るねまた明日」

「うん」私から妹を剝がし去るアレ子に私は手を振り別れた。「妹さん名は何というの」

「桜とつつじ」

 家路の途中トラックと何度もすれ違い、なんだろうなと私は思った。

 翌日学校にアレ子は来なかった。アレ子が好きだった多くの生徒は塞ぎこんでいた。

 放課後訪ねると巨大なトラックが荷台を傾けてアレ子の家に土砂を流していた。大量の土で辺りに砂埃がたちこめた。アレ子の家は庭や階段と一階部分が既に土に埋もれていて、アレ子家の隣のコンビニも同様だった。塞がれた店内で店員が何事かを叫んでいたが、ショベルから土砂が降ってすぐに見えなくなった。

 アレ子の家とコンビニの一角は赤いコーンと黄と黒のパイプで囲いをされていた。その内側で何台もの車と何人もの人が土をやりくりしており、それをさらに野次馬が囲った。

「何て土」

「基礎を作るんだろう」知らない野次馬の人が腕組みしつついった。「いい手つきだ」

「やめろお」叫び声がするので二人がそちらを見るとアレ子とアレ子の家族が檻に入れられ捕まっていた。檻の周りには工事関係者ぽい男が数人いた。

「静かにしなさい」男の一人がいった。

「中にまだつつじと桜がっ」アレ子の父親がいった。母は泣いていた。

「ご迷惑をお掛けしております」男が家族に一礼した。男の周りの関係者もそれに倣った。

「掛けんなよっ」父がいった。

「夏祭りの工事だって」おじさんが道路の端に立っていた金属で出来た看板を指差していた。看板には大きく「ご迷惑をおかけします夏祭りの工事を行っています」と書かれていた。

「ご迷惑をお掛けします夏祭りの工事を行っています平成十九年二月二十八日まで時間帯んーからんーまで駅南第三処理分区工事発注者旭市役所夏祭り課電話んー施工者株式会社中村建設電話んーだって。やっぱ夏祭りだよ」

「そうか」

「楽しみだな」

 翌日は一日小春日和で体育のマラソンが少しだけ楽だった。工事現場に行くとクレーン車が宙に大きな夏の太陽を吊るしていた。

「夏の太陽だ」私はいった。「このせいで暖かかったんだな」

 高く組まれた鉄の足場の上で命綱を腰に巻いた作業員が入道雲の設置をしていた。私が腕時計を見ると文字盤のガラスの内側が露で曇っていた。

「夏だ。川から野蛮な臭いがする」冬服の下着が汗でびしょびしょだった。極彩の影が前方に伸びていた。工事現場からは土を固める音が響いた。

「ご迷惑をおかけしております!」

 不意に大声がしたので二人はそちらを振り向いた。「あっアレ子ちゃん」

 交差点に立った鉄の柱にアレ子が張り付けられていた。後ろ手に鉄柱を抱く姿勢になり有刺鉄線で固定してあった。頭には黄色いヘルメットを被っていた。

「何してるのそんな格好で」

「ご迷惑をお掛けしております!」アレ子は演説するように声を張った。目は少し泳いで斜め上目遣いだった。「このたび夏祭りの工事を施工することになりました! 工事中は大変ご不便・ご迷惑をお掛けいたしますが、安全には十分配慮し施工致しますので、ご理解とご協力をお願い致します! 期間平成十九年二月下旬から三月上旬午前九時から午後八時までの間、です! ご迷惑をお掛けしております!」

 さらに少し進むとアレ子の父が車道の真ん中に固定されていた。

「この先夏祭りの工事のため車両通行止めとなります! すいません! すいません! 大変ご迷惑をお掛けしますが迂回のご協力をお願いします! ご迷惑お掛けしております!」

「建設的だね」その翌日も学校が終わると私は工事を見に行った。太陽はよほど大きくなって一帯はすっかり夏になっていた。通うたびにアレ子の家族とすれ違った。

「スピードをおとせ!」裏通りにアレ子の母が吊るされていた。「通り抜け出来ません! 通り抜け出来ません!」逆さ吊られているアレ子の母は叫んでいた。頭は剃りあげてるのかなと思ったが、地面に抜けた髪の束が積もっていた。青い車が現れて「抜けたいんですけど」とアレ子の母にいうと、アレ子の母はそらで迂回路の説明をしてのけた。

 アレ子の家とコンビニと空き地のあった土地は今はすっかり土とブロックで固められていた。元は平坦な土地だったのがその一角だけ小さな丘ほど盛り上がっていた。工事の現場は丘の頂上に移っているようで、どうもそこに公園があるようだった。

「どんな祭りがあるんだろう」私は期待で胸を膨らませた。

 鉄柱に縛られたアレ子はぐったりしていた。作業服の男が水を掛けると小さい声でご迷惑といった。私が眺める前で歯が自然と抜け落ちていった。

 アレ子の父や母は皮だけにされて吊るされていた。暑さでくたばってしまったようだった。皮には生前口にしていた工事に関する情報が印字されていた。「後三日で夏祭りだね」

「ああ祭り?」餃子に蓋して母がいった。「何かずっと工事してるよね」

「チラシあったじゃん。ねえ一緒行こうよみんなで」

「友達と行けばいいじゃん」

「えー」私は寂しい人間だった。

 二日前になるとトラックが荷台に人間を乗せてきて、クレーンで公園に吊り上げて運び込んでいた。フックに掴まり持ち上げられる人間は大人もいれば子供もいて、なるほど祭りには人がいるもんなと私は思った。人間は百人ほどいて、当日は盛況が予想された。

 祭りの当日私は浴衣を着せて貰い、母と二人で勇み出掛けた。録音なのか囃子がいるのか、太鼓や笛や鉦やの音、歌う音頭が遠く空から聞こえて来ていた。

 マウンテンバイクで移動する小学生をよけながら夕暮れ時の見知った通りを歩いた。

 公園の麓に着いたが、思ったほど道は混雑していなかった。夕焼けを背負う石垣の上には葉の陰と連なる提灯、スピーカーの姿が見えた。祭りの気配に私は昂揚し、早く早くと母を急かした。楽しそうな喧騒が高いところから聞こえて来ていた。

 公園の入り口がなかったのでぐるっと辺りを一周したが、石垣を登る階段が見つからなかった。念のためもう一周してみたが、ただ綺麗に積まれた土台が確かめられるだけだった。

「入れないじゃん」母がいった。コップのようにただ高くなっている土地の上で、運ばれてきた人たちが祭りをしているのだけ伝わってきた。しばらくその場で窺ってみたが、上へと登る誰かの姿はなかった。祭りにやってくる人もちらほらいたが、ぐるっと回るとそのまま帰っていった。私たちも暫くして帰った。

「ただ冬の工事だったか」母がいった。

 祭りが終わると翌日から解体工事が始まった。屋台や電飾が運ばれるのを私は見ていた。祭りの後に顕著な少し寂しい気分になった。土台も公園もそのまま撤去された。

 撤去が終わるとそこは更地になり、アレ子は学校には戻って来なかった。古紙回収の時にチラシがないか探したが、既に捨てたかどこにも見つからなかった。

 あれは祭りでなくただある工事のお知らせだったのだなと私はそれで気付いた。

 祭りには行きたいままだったので、本物の夏を待つことにした。

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