錦鯉暗殺

 社会の授業で鯉を狩ることになった。

「ミドリ町担当が三班ね。五人で一匹殺害してくること」

 ウノウノ先生に手引きをもらい、放課後五人で鯉を探した。

「鯉?」ペットショップの店員は若い女の人だった。「うっとこにゃおらん」

「本当ですか」

「鯉もいないの?」

「ウーパーじゃ駄目? ウーパーならいるよ? え? 嫌?」店員は泣いた。

「鯉もいないなんて」店を出た後ペル子が激しくなじった。「潰れるぞありゃ」

「しかり」頷きながら皆歩道を進んだ。先頭のガストが振り向いた。「次の候補はどこ?」

 事前学習で作った羅針盤をユーキャンが覗いた。「次は神社だ」

 歩いていける天満宮に少し大きな池があり、橋から覗くとなるほど鯉がいた。紅白のもの、黒白のもの、金色のやつが山ほど群れていた。

「鯉を?」事情を話すと社務所の男は大仰に首を振った。「うちの鯉は国宝だよ。不老長寿のお化け緋鯉さ。歯も生えてる。うん千万するぞ。悪いが他を当たってくれ」

「にべもない」ガストは呻いた。「みな鯉を殺されるのが嫌らしい」

「どうしようか」ゲバラも嘆いて虫を潰した。「鯉を飼う家もそう多くないのに」

 鯉を飼う次の家は地元では有名なやくざの屋敷だった。

「こんにちは」ガストがポンピンを押した。「鯉殺させてください」

「鯉をね」家主という中年男性は煙を吐くと煙草で窓を指した。「あいつかい」

 窓辺にゴルフクラブとゴルフ穴があり、窓の向こうには庭園が広がっていた。手入れされた和風の庭の中心にある大きな池の中で、まるまる太った黒色の鯉が動いた。

「一匹でいいんです」ガストがやくざに頭を下げた。「殺させてくれませんか」

「いいよ。大変だな小学生もきょうびは。好きなの選びな」

「本当ですか」

「値段は安くしておいてやろう。大負けに負けて一万円でいい。あれで安物なんだ」

「あの、お金ないです」ペル子がいった。

「何でも元手はかかってんだよ。ただで物くれる人なんかいないぞ。子供でもそれは一緒だよ君たち。勉強だこれも」中年は苦笑し火を消すとソファにもたれた。「まあ、それじゃこういうのはどうだ。お金がないなら交換にしよう。鯉はやるから誰か一人角膜をくれ」

「角膜って」

「目だね」

「どうする」ゲバラが皆の方を見た。「誰かあげれるやつとかいる?」

「私やだ怖いもん」ペル子が嫌そうにいった。「痛そう」

「角膜ってまた生えてきますか?」

「医者に訊いてみんと」男はどちらともいわなかった。

 結局リーダーのユーキャンが引き受けることになった。家主が電話を掛けユーキャンは隣室に連れて行かれ、二時間ほどで戻ってくると目に包帯を何周も巻いていた。

「包帯だ。ユーキャン前見えんのそれ」

「真っ暗だ。何も見えない」ユーキャンはいった。後にまとめの新聞を書く時調べたが、角膜とは目の透明な部品で、物を見るのに大切な物らしかった。

 約束の鯉を一匹もらい、ついでにやくざは冷凍の蟹も一匹おまけでくれた。ユーキャンが泣かなかったご褒美とのことで、相談の結果それはユーキャンの物になった。

 ゲバラとガストでユーキャンの手を引き、鯉の入った洗面器はペル子が抱えて歩いた。

「何にせよこれでミションクリャーね」そういったペル子がマンションの影の永久日陰で凍った水溜まりに足を滑らせた。落とした鯉は洗面器から飛び出しごみ捨て場にいたカラスがそれを目ざとく持ち去っていった。「あっ」

「鯉がっ」

 叫んでもカラスは戻らずユーキャンの角膜は結局無駄遣いになってしまった。さっさと殺しておけばよかったとカメラ担当のガストは嘆いた。

 意気消沈その日は皆家へ帰り、翌日もう一度放課後集まった。

「ミドリ町にあと鯉は一箇所だ」マックのテーブルにゲバラが地図を広げた。「桜庭って家。稀代の頑固ジジイということだ」

「交渉じゃ分が悪い。こっそりやっちまおう」ガストがシェイクをずるずる啜った。

「そうだな、問答無用だ」

「この日のために借りてきたわ」ペル子が手提げからワイヤーを取り出した。「お母さん若い頃イリノイでアサシンをしていたの」

 ナイフを受け取りガストは振ってみた。マックの机にぐっさり刺さった。「すげえ本物だ」

「手裏剣もあるよ」

「すごいやっ。ペル子の母さんは忍者だったんだっ」何も見えぬままユーキャンが騒いだ。

「今度はいけるぞ」ガストが窓の外を見ると白い模様が交差点を覆っていた。「雪だ」

 意気軒昂四人は最後の頼みである桜庭邸に向かった。

「春に一度入院して」

 桜庭義美は線の細い老人だった。「疱疹も酷いし、これでも半分に減らしたの」

「ですか。でも沢山ありますね」盆栽が並ぶ狭い庭をゲバラは老人に続いて歩いた。バケツやブロックに渡された板の上に、鉢が見えるよう何列も並んでいた。「お世話大変ですか」

「大変じゃねえけど、いつ死ぬか判んねえから」そういい老人はよちよちと歩き、手製の小池にゲバラを案内した。池というよりコンクリートの小さなプールで、苔で汚れた年季物だった。コンクリートの深い水の中で、立派な錦鯉が十数匹泳いでいた。「植木もこいつもそっくり人にあげちゃうことにしたの。もらってくれる人紹介してくれるっていうから」

「寂しくない?」

「寂しいけど、おれももう八十三だし、もう来年までもたねえな、いつ死ぬか判んねえから、もらってくれる人紹介するっつうから、そっくり人にあげちゃうことにしたの」

 池や辺りを確かめた後、ゲバラは老人と共に家へ上がった。既に頑固成分を切除済みらしい桜庭翁はその後居間で戦争の話をゲバラから取材される予定で、ゲバラが家主を引きつけている間に、ガストとペル子で鯉を殺し去るという手筈だった。

 二人の居る居間の外を音を殺してガストとペル子は進んだ。塀の外ではユーキャンが往来を見張り有事は異常を知らせる筈だった。段々になり高く並ぶ盆栽の鉢に隠れ、二人は庭の最奧コンクリートの水槽の下へ到着した。池は居間から真正面に見える位置で、無事にここから脱出するためにも素早く静かな作業が求められた。

 ユーキャンから合図はなかった。ナイフを構えてガストはペル子を見た。ペル子も頷き、コンクリートの縁に手を掛けた。

「みなさま」「こんにちは」「日本」

 今まさに手を掛ける時突然どこか近くで選挙カーの声がし、辺りに盛大に谺した。しまったと思ってガストが見ると、ガラスの奧居間の老人と目が合った。

「何やってるお前ら!」

 老人がレースカーテンとガラスを一度に開け鬼の形相で怒鳴り散らした。声量に二人が怯んで思わず武器を持つ手が止まった瞬間桜庭老人の首にワイヤーが掛かった。「ぐっ」

「ガスト早く!」老人の首を絞めながらゲバラが叫んだ。その声で顔の位置を悟られたらしく老人の疱疹の指がゲバラの鼻と目を貫いた。「あえっ!」

「ゲバラ!」ペル子が叫んだ。

 血を吹き思わずゲバラが拘束を解くと老人はゲバラの肘を真反対にへし折った。ダブルクリックみたいな音がして腕があさってを向きこめかみを殴られゲバラは崩れた。

「くそがきどもぶっ殺してやる!」

 ペル子が手裏剣を握って老人に襲いかかるも老人はゲバラを仕留めた灰皿をペル子の顔面に叩き付けた。ペル子の鼻がひしゃげ二撃目で眼球が飛び出し強烈なダンクを老人が決めると鼻の穴から固形物が吹き出した。

「ジジイVSガストだ!」ゲバラが叫んだ。

「しゅっしゅっ」ガストがナイフで牽制すると老人はペル子を脇に抱え振り回して対抗した。ペル子のローラーシューズが鞭のようガストを襲った。ガストが突くとナイフはペル子のあばらで止められ、そのまま老人に奪われてしまった。

「ごおー!」ペル子を捨て老人がナイフを振り上げた。

 ガストはナイフに拘らず低くぶつかり老人を倒した。並んだ盆栽の不安定な足下にぶつかると二人の頭上に鉢が落ちた。割れた鉢が老人の額を割り、ガストは破片で何度も老人を殴った。老人は砕け血まみれだったがガストの脇にもナイフが刺さっていた。

 ガストは立ち上がり池へと歩き出した。「早く鯉を」

「逃げろ婆さんっ!」桜庭翁が叫ぶと鯉のふりをしていた桜庭のお婆さんがばしゃりと水から飛び出しそのままダッシュでガストをクリアした。

「まっ待て!」

 ガストは慌てて老婆を追い狭い塀の間を駆け抜け、殆ど同時に門から表へ飛び出した。

 躍り出た老婆とガストを通りがかった選挙カーが猛スピードで撥ね飛ばした。電柱にぶつかり老婆は霧散し、ガストは近くの民家まで何メートルも転がった。

「無念!」叫びユーキャンが雪の中に倒れた。体が畑の土色だった。

 カーは再び走り出した。もう一度ガストを轢きガストの足が取れた。積もり始めた薄雪の中白色の選挙カーは二段階右折し、雪の路上に死体と轍だけ残った。

 車は大路を行く!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る