グラタンの作り方

「お姉ちゃんは人殺しかもしれない」

 そういった多藤君の方を私は振り返った。「多藤んちお姉さんいたの」

「お姉ちゃんが怖いんだ」

「どうして人殺しかもしれないの」

「気になるの」

「じゃあうん」

「それならうちまでついて来てよ」私は多藤君の家に遊びに行くことになった。

 多藤君の家は公園のそばの一軒家だった。

 多藤君の家にはお母さんがいた。多藤君の家には多藤君のお母さんがいて私の家にはきっと私の母がいた。多藤君のお母さんは椅子に腰掛けてテレビを見ていた。

「こんにちは高橋です」私は挨拶をした。

「あらどうもこんにちは」多藤君のお母さんはそういって微笑んだ。テーブルについていた肘にはレースの模様が刻まれていた。はがす時嫌な音もした。

 鐘をつくような金属の音がした。何だろうと私は思った。

「今の音はお姉ちゃんよ」多藤君のお母さんはいった。「この子のお姉ちゃんは人殺しじゃないわ」

 私は庭を見た。庭は火事になっていた。火事だ。

 お姉ちゃんだよと多藤君がいった。いわれたがそれでどうなのだと私は思った。うちの子は人殺しじゃないのとお母さんはいい、突然その場で跳躍を始めた。私は不安になって多藤君を伺い、お姉さん本当に人殺しなのと訊いた。人殺しじゃないのよ違うと弁明しながらテレビに中段蹴りを入れるお母さんは心の中では泣いていた。テレビの画面は罅割れていて、脛は千切れて血が吹き出ていた。白い画面が真っ赤になるまで何度もキックは入れられ続けテレビがあるからテレビがあるからとお母さんは呟いていた。多藤君が庭に下りたのでお母さんの丸い脛を眼に焼き付けつつ私も後を追った。

 庭は伸び放題の草に埋もれていた。降りると借りたサンダルは隠れて見えなくなった。多藤君のお姉さんは庭にはおらず、多藤君は庭の奥、隣家との柵の隙間へ入っていった。後に続き私も角を曲がるとそこに黒い大きな仏壇があった。仏壇からは黒い裸足が伸びていた。

「火事に」多藤君がいった。

 仏壇の中には中学生が座っていた。お姉さんと私は思った。お姉さんは右手に百円ライターを二本持って左手に焦げたツバメを握っていた。

何といえばいいか私は迷った。

「こんにちは。多藤君の友達の高橋です」

「こんにちは姉です。私は人殺しを目指しています」焼ききれたツバメの眼球を穿りながらお姉さんはいった。「私テレビを見ていたの。見ていたのはテレビなんだけど、人殺しとは何だと思いますか」

「あの」

「誰か殺せば人殺しか、殺さなければ人殺しでないか。勿論そうだろうけど、それはおかしくないですか。テレビでは殺しの他に野球もやっているけれど野球は面白いです。みんなが頑張っています。頑張らなきゃ優勝できないけれど、頑張った人も多く負けてしまいます。私が野球をしたとして、優勝できたら私は頑張った人だけども、では優勝できなかった私は何かというといろんな私が限られず残っている気がします。私は頑張ってけれど負けたかもしれないが、さぼりの成果で負けたかも知れず、負けた私が必ず頑張ったとは限らないですよね。おかしいというかずるさの話で、何かしてない時の肩書きの話です。人を殺してない人の話です。

 野球が面白いのは速い球も綺麗なバントも頑張らなければできないからで、才能や環境であぐら掻いたら出来ないものを見れるからで、いい試合の楽しさや、人殺しの十分ないけなさに比べ、人を殺さないことが何かの価値を十分に表しているかしら。つまり、人を殺さないことって才能や環境かしら。才能や環境にあぐらを掻く行為ってどこへ行っても褒められはしないだろうし、才能だけでも優勝すりゃいいのか、殺せないから殺せないことに価値はあるのか、そりゃあどっちもそうだろうけど、進歩はしない気もします。

 私はテレビを見てるとテレビに出たくて、何だか時々羨ましくて、馬鹿にされたり撫でられたりを、私もやって欲しくなります。野球のうまさや人殺しとかの、そういう他人の形の強さが、馬鹿にするだけの強い空気が、あればいいのにと思います。実際どうかと命は大事だ。だけど殺さんのも当たり前だ普通殺さないじゃない。私は人を殺さないことに硬さも速さも熱い感じもあると心で思えなくって、殺してないというのが当たり前だから殺すと面白いし、殺さないことがすごい気がしなくて、だから人を殺さないだけでその信用だけでテレビに出れるような付加価値を見出せればそれはいいことでしょう。そういうためには努力でしょう。人殺しはすごい。人が思いつかんこと考えて、誰かが出来ないことをして、もしそれが努力なく出来てるんなら、それは才能なんでしょう。人殺しはすごい。人を殺さんのもすごい。人を殺さんのが才能や環境だったら、そこは努力がいるのじゃないか。殺せぬから殺さんのでなく殺せるけれど殺せないこと殺さんとまずいのに殺さんこと殺したいのに殺さないことが大事なのじゃない。人殺しだって色々いるでしょ。よさや悪さやいろんな基準で、殺した人に差がついてるなら、まだ殺してない人を一くくりにするのずっこくねえすか。

 人に出来んことするやつがいて、そのすごみが才能とかなら、そういうのがない私は努力しなきゃ駄目でしょう。人殺しが努力じゃないとして、私は憧れて人殺しになるんだから鍛錬による努力殺人を発見する必要があるし、人を殺さないにしてもいつでも殺せなくてはならない気がします。人殺したから人殺し殺してないから殺してないというそれはそりゃ大事だろうけど、胡坐を掻くのは自滅した時怖い。私は殺人行為により人殺しとなるのでなく、努力を目的とした行為に左右されない殺人者になりたいんです。既に家族は私を人殺しと評価してくれています。私の評価なんてまだそんなもんです。あるいというか正直私は二十一世紀顕密問わず既に努力殺人は達成されているのだとも思います。それは方法の円熟を意味するんだろうけれど出遅れた私にはやはり努力するべきと思います。人間は腐ると終わりです」

「ところでここは何なのですか」

「ここは私の秘密基地です」

 その後私たちはお姉さんの秘密基地で遊んだ。仏壇の中にはスズメの巣があった。暗くなる前に私は暇を告げた。夕飯は焼き鳥だそうだった。多藤君はいまだ怯えていたが、お姉さんが人殺しでも殺人行為をしたわけじゃないと私は判って色々考えた。

 それからしばらくそのことはそれまでだった。十年がたち小学生だった私は大学生になった。大学生の私はある日スーパーで多藤君のお姉さんとばったり再会した。先に気付いたのは私で、先に相手が誰か思い出したのはお姉さんの方だった。

「お久しぶり高橋さん多藤の姉です」

「よく覚えて」私は十年ぶりに会った多藤君のお姉さんをよく見た。お姉さんは印象が違って見えて名乗られるまで誰かは判らなかった。十年も経てばと私は思った。

 お姉さんは夕飯の買出しだった。グラタンを作ろうと思ったがグラタンとは何を入れるものなのか何を入れたらいいのか判らないとのことだった。私も知らなかったので、適当に肉と野菜と魚を渡した。グラタンの素とかないのかなとお姉さんがいうので一緒に探し、ついでにグラタン皿も探した。

「料理を勉強しようと思って」お姉さんは重そうなマイバッグを揺らした。「何か覚えた方がいいかと」

「結婚でもされるんですか」何でそうなるんだろうと私は自分で思った。

「結婚は大事ですよね」お姉さんは俯いて笑った。

「お姉さんはまだ人殺しですか」

「私はまだ人殺しですよ。まだって何ですか人殺しに」

「一度殺せば人殺しですが出所とかすればとかも何か大変なんでしょうけど、お姉さんは達成を理由にしない努力殺人者なのだから、努力やめたら人殺しじゃなくなるんでしょ」

「そうだったっけ」手提げを持ち替える指は赤かった。持ちましょうかと私がいうとグラタン食べてきますかとお姉さんがいった。

 多藤君の家には多藤君と多藤君のお母さんがいた。多藤君の家にはたまたま多藤君とお母さんがいたが、私の家には今私はいないし私の母もいないはずだった。

「どうもお久しぶりです」多藤君はいう。中学以来の多藤君は見た感じ駄目な若者だった。お母さんは少し老けていた。

「グラタン出来たよ何とかなったよ」笑いながらお姉さんが台所から顔を出す。手にはグラタンの作り方という特集か何かの雑誌を持っていた。持ってんなら買うものメモれよと私は思う。本当に大丈夫か確かめにお母さんが立ち上がる。二人は何だか仲が良さそうだった。

 久しぶりの多藤君は無言だったし私も黙って椅子に座っていた。それほど話すこともなかったが沈黙が駄目で私は話しかけた。

「お姉さん結婚するの」

「さあよく知らない話してないし」

「そっか多藤君今何してんの」

「何だかこのまま腐ってくみたい」

「お姉さんはまだ人殺しだって」

「あいつこそどんどん劣化してったよまるで」

「多藤君人間腐ったら終わりだよ多藤君」

 お待たせしましたといってグラタンを持ったお姉さんが現れた。テーブルに直置きしようとするお姉さんを制止してお母さんが受け皿を配った。いい匂いがした。

「いただきます召し上がれ」お姉さんは人生の最初からずっとそうだったような顔で笑った。「ごめんね高橋さん食べれる味ならいんだけど」

「いえ」

「あんたも残さんでよ鶏入ってないから」

 多藤君は無言だった。

「またそう黙って」お姉さんは仕方なさそうに笑った。

「そりゃ倒れてからじゃ遅いもの。ちゃんと毒見は済ませたの」お母さんがはしゃいで小突いた。

「やだなあ人を人殺しみたく」

「お前が人殺しなもんかよ」

 多藤君が小さくいった。湯気以外の皆が止まった。十年前はお姉さんを怖がる弟で、十年で腐った青年に成り果てて、今はテーブルの向いで俯いている多藤君を私は見た。

「お前はもう全然だ。人殺しでもなけりゃ努力もないだろう。どうでもよくなったんだろう。馬を乗り換えたから十分でない価値で十分なんだろ。あぐらを掻くことにしたんだろ。当たり前のものがすごいことだとちゃんと気付いてだからそれでよしとしたんだろ。子供の屁理屈が恥ずかしくて大人のおもちゃに手を出すんだろう。お前は人殺しかもしれなくて、だけど今は違って、なのにまだ人殺しだといい張って、努力してつじつまを合わせないお前はもう人殺しじゃないだろう。お前は人殺しじゃないんだから、お前は頑張ったとは限らない」

 お姉さんはものすごい勢いで立ち上がると、多藤君の眼窩に指を突っ込んでそのまま顔を引っ掴んで、泣き叫ぶ多藤君を台所へと引き摺り込み、オーブントースターの扉を下ろすとまだ熱を持っている真っ黒なその中へ力任せに叩きつけた。ぎゃあという多藤君の絶叫とじゅうじゅうという唾液の蒸発する音がした。お姉さんは左手で多藤君の後頭部を押さえつけたまま右手でトースターのつまみを回した。肉の焦げ付く匂いがしたが換気扇はまだ回っていた。

「私は人殺しだったよね」と、多藤君を殺し終えたお姉さんはいった。

 床の多藤君はグラタンの表面のようだった。

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