第21話 ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ?
全員キャスト、舞台装置なしというプランが部内の明暗をはっきり分けたのは、並木にも分かった。
まず、沙の目が明るく輝いた。
「やる! やります!」
与えられたのはエルシノア城の従卒という、いてもいなくてもいいような人物だった。それでも勢いづいたのは、五十鈴のプランに興味を持ったからだろうと思われた。
現に、五十鈴の話を聞いていた時から、もう目つきが子供の眼差しに変わっている。
だが、陽花里は渋った。
「う~ん……でも、ね、私……舞台に立ったこと、ないし。あ、はは……」
言葉はおっとりとしているが、その笑顔の中でも目だけがイヤだと言っている。並木は奈々枝をちらりと見やったが、やはり、つれない言葉が可愛らしい声と共に返ってきた。
「ごめん! 無理!」
小柄な奈々枝に頭の上でぺちっと手を合わせられると、つい何も言えなくなってしまう。その辺りは、自分もそこいらの男であることを思い知らされる。だが、ここは心を鬼にしてかかるよりほかはない。
できる限り低い声で、呻いてみせる。
「せっかくのミキサーゲーム、台無しにしやがって……」
部室閉鎖が報告されたときの、奈々枝の一言だった。ゴーリキー『どん底』に登場する浮浪者サーチンの台詞をもじったものだ。
奈々枝は真っ赤になって陽花里の後ろに隠れる。
「あんなの、誰だって……」
照れてみせるが、並木は退かなかった。
「身体に似合わぬドスの利いた声! とっさにそんなシャレを思いつく機転! 役者としても十分に面白い!」
う~ん、と照れ笑いをした奈々枝の返事は早かった。
「やる!」
うろたえたのは陽花里である。
「奈々枝ちゃん!」
「やろうよ、陽花里ちゃん」
転んだ同盟者の誘いに、呻き声が応じる。こんなときの女子集団は、並木の目にも脆かった。
「……じゃあ、やってみよっか、な」
「やったあ!」
きゃあきゃあ言いながらしがみつく奈々枝に困り果てたように、陽花里は並木に曖昧な笑顔を向けた。
興奮気味の沙は、五十鈴に念を押す。
「ええと、まず、エルシノア城の従卒は、場面が変わった瞬間に別の人物へと早変わりするんですね」
だが、台詞はない。城中でハムレットと小芝居の打ち合わせをする役者のひとりだ。
叔父による国王暗殺をあてこする無言劇が始まると、役者は1本だけの木としてその場に立ち尽くす。
その木は、次のシーンでは宮殿の柱となる。
ハムレットが廊下をうろつきはじめる、あのシーンだ。
「ここに残るか? 雲を霞と消え去るか?」
子供のまなざしのまま、沙はハムレットの言葉を口にする。五十鈴は冷ややかにツッコんだ。
「柱は喋らないから」
宮殿の他のキャストも、柱となって舞台上に乱立することになる。沙は遠い目をして、その演出を解釈してみせる。
「そこに隠れたポローニアスを、ハムレットが殺害するわけですね?」
「で、ハムレットは、デンマークからイングランドに留学させられる」
張り合うかのように、五十鈴はその先を解説した。だが、沙の興奮は止まらない。
「で、その柱は、やがてやってきたノルウェー王フォーティンブラスの行進に混じって歩きだすんですね?」
「それが場面転換になるの」
分かり切ったこと聞くんじゃないとでもいうように、五十鈴はぶっきらぼうな答えを返した。沙はそこにも食い下がる。
「次のシーンは海賊との戦闘ですよね?」
目を生き生きと輝かせる沙のヤル気を挫かんばかりの冷ややかさで、五十鈴は言い放った。
「あなた、波になるんだからね、海賊じゃなくて」
「ざざーん!」
役をもらった沙は、いささか興奮気味である。
「その稽古、今日から始まるんですか?」
並木はその喜びようが不思議でならなかった。沙の役は、台詞もなければ、ほとんどの場面では人間ですらない。
「こんな役でいいのか?」
そう聞いてみたら、大真面目な顔でこう答えた。
「こんな役……なんかありません、いるのは……こんな役者だけです」
傍で聞いていた五十鈴が、一言でまとめてみせる。
「つまらぬ役などありはしない。つまらぬ役者がいるだけだ……by・スタニスラフスキー」
そうなったらそうなったで、別の問題が生じる。
新たなキャストを舞台に並ばせて、改めて立ち稽古を始めた五十鈴は、
「それは別にいいんだけど」
ぼやきながらも、本来のキャストには厳しいダメ出しを加える。
「はい、そこセリフ飛んだ!」
すんませ~ん、とクローディアス役の比嘉が頭を掻く。
「ローゼンクランツの後にギルデンスターンのセリフでしょ!」
ローゼンクランツとギルデンスターン。
ハムレットの学友だが、正直、いてもいなくてもプロットには支障ない。それだけに、影が薄かった。
従って、台詞も飛ばされがちになる。
その原因を、宮殿の柱を務める陽花里が的確に指摘した。
「キャスト増えすぎたんじゃない?」
五十鈴は一言もない。図星を突いた陽花里を、奈々枝がたしなめた。
「それ言っちゃダメ! 本当に影が薄くなったんだから。あの2人」
ステージ上に、一瞬で気まずい空気が漂った。五十鈴はその場で静かにしゃがみ込むと、何やら考え込み始める。
並木はとっさに叫んだ。
「はい、10分休憩!」
時間を無駄にするまいとばかりに、ステージからはキャストたちが一瞬にしていなくなる。残った沙を、並木は気遣った。
「あ、こっちはこっちでやるから」
「ナニその言い方」
いきなり凄まれて、並木は縮み上がる。
「いや、邪魔しちゃいけないかなって、考え事の」
「じゃあ、ほっといて」
冷ややかに突き放して、五十鈴はまた、抱えた膝の間に顔を埋めた。その傍らで、並木は立つのか座るのかよく分からない姿勢のまま、うろたえている。
床に脚を揃えてペタリと座った沙は、その顔をしばし眺めていたが、やがてこう言った。
「ローゼンクランツとギルデンスターンって、結局どうなるか知ってますか?」
「死んじゃう」
一応、台本には目を通してあるが、この一言しか返しようがなかった。それなのに、沙はしつこくツッコんでくる。
「どんなふうに?」
「さあ…ハムレットがホレイショーに死んだって言ったから」
そこで五十鈴が低い声で口を挟んだ。
「休憩時間、無駄にしないで、そこの2人」
沙の追及の矛先は、部長から演出に向かう。
「この2人より、あの2人の心配じゃないかな?」
「あなたね」
睨み合う2人の視線から逃れようとするかのように、並木はアリーナの奥に目を遣る。
ステージの正面に、5分を経過した時計が見えた。
残り5分で、五十鈴を立ち直らせなくてはならない。
ローゼンクランツとギルデンスターンの2人がいないと、ハムレットはデンマークに帰れない。
この2人が父の仇クローディアスからイングランド王に向けて託された手紙には、到着したハムレットを処刑するよう記されている。
それに気づいたハムレットは、持ち主を殺すよう手紙を書き換える。このトリックの成立が、物語をクライマックスに導くのだ。
五十鈴も、時計を見ながらつぶやいた。
「だから忘れられちゃいけないの、ローゼンクランツとギルデンスターンは」
何を思ってのことかは分からないが、心の中がどこかで五十鈴とつながっているような気がした。
そこで沙が、素っ頓狂な声を上げる。
「あ、みんな帰ってきましたよ!」
だが、五十鈴の機嫌は地の底を這い回っていた。演出のテンションが下がると、ステージ上の稽古も停滞する。
見かねた並木は、稽古中に横から口を挟んだ。
「五十鈴、今日はもう……」
「できます、私」
だが、集中力を欠く五十鈴はろくにダメ出しもできなくなっている。それでも、役者が演出の目を気にしながら稽古しているのは、並木が見ても分かった。
「ダメだ。稽古にならないよ、これじゃ」
ローゼンクランツとギルデンスターンの存在感どころの話ではない。だが、五十鈴にはもう、それを感じる余裕は残っていなかった。
「取り返さなくちゃいけないでしょ、今までの分!」
言うなり、五十鈴はステージから飛び降りた。並木はうろたえたが、こんな時にはどう言えばいいのか、とっさには思い浮かばない。
「おい、上がり框!」
やっと口にできたのが最低の一言だったと気付いたときには、体育館から五十鈴の姿は消えていた。
やれやれ、と沙が舞台袖へと引っ込む。これにも慌てた。
「おい、どこ行く!」
「連れてきます、イスズ先輩を」
ちらりと振り向いた沙は、そこで何かにハタと気付いたようだった。
「あ、ローゼンクランツとギルデンスターンに言っといてください、どの場面でも、彼らは身の安全が第一だって」
そう言い残すと、沙もまた、五十鈴の後を追って姿を消した。
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