激突の部室

第7話 女子の正義とカンフーアクション

 演劇部に倉庫兼部室としてあてがわれている、使用されなくなった20畳ほどの古い給食棟。

 そのドアを開けた五十鈴が見たのは、数日前に入部した1年生、おきないさごの姿だった。

 足元にブレザーとブラウスを脱ぎ捨てた沙は、制服のスカートを残して、上半身はブラ1枚。

 その周りを取り囲んでいるのは、パンツ一丁の男子部員たちである。

 何か考える前に身体が動いたのは、五十鈴だけではなかった。

「何しとんじゃあおのれら!」

 ドアの中に飛び込むや五十鈴を追い抜いて、すさまじいフットワークで男子2人に襲いかかった美少女がいる。

 左右の腕を広げて、続けざまに薙ぎ倒す。

 二十四式太極拳第六式、「倒輦猴とうれんこう」を操るのは、オフィーリア役の2年生、更井さらい美浪みなみだ。

 入部して以来、役柄の幅の広さは校内外で高く評価されている。

 

 地区大会『サロメ』(オスカー・ワイルド)にて

 サロメ…天衣無縫のサイコパス王女。

     「お父様、ヨカナーンの首を頂戴!」

 県総合文化祭『オイディプス』(ソフォクレス)にて

 イオカステ…悲劇の王の母にして妻。

     「夢の中で母と枕を交わした男は……」

 予餞会

 『シラノ・ド・ベルジュラック』(エドモン・ロスタン)にて

 ロクサーヌ…芸術オタクの高飛車ブラコン少女。

      「好きなら、もっと素敵な言葉で告白して!」


 今年の新歓公演などは『三文オペラ』(ベルトルト・ブレヒト)で、究極のチョイ役「白馬の使者」を演じている。

 極悪人を裁判まで追い詰めた町衆の努力を水泡に帰する、「王様のお触れにて無罪!」の一言で観客を唖然とさせるのは、並大抵の技ではできない。 

 因みに床に転がったのは、何かというと下ネタの制裁を受けている、クローディアス役の比嘉ひが信二しんじとポローニアス役の苗木なえき竜輝りゅうき、共に2年生である。

 基礎練習で身に付けた太極拳を自在に操るのは、1人ではない。


「女の敵ども」

 そうつぶやいて、第三式「白鶴亮翅はっかくりょうし」で相手の身体を反転させながら臍に掌打を入れたのは、ハムレットの親友ホレイショー役の佐伯さえき幸恵ゆきえ、3年生である。

 感情の起伏は乏しいが、舞台に立てば主人公を際立たせる名脇役となる。今回の大会で引退となるが、やはり下級生を立てるスタンスに変わりはない。

 一声呻いてがっくりと膝をついたのは、やはりハムレットの友人であるマーセラスを演じる須藤すどう信一しんいち、2年生であった。


 別の声が囁く。

「ダメよ、おイタは」

 優しくたしなめながら相手の両耳を両拳で潰す第十四式「双風貫耳そうふうかんじ」を放ったのは、照明担当の篠原しのはら陽花里ひかり、2年生である。物腰や物言いはおっとりとしているが、機材の扱いには厳しい。


 可愛らしく叫ぶ者もいる。

「えいっ!」

 可愛らしい声で、自分より背の高い舞台監督男子の鳩尾に掌打を決めるのは、音響効果担当の柚木ゆずき奈々枝ななえ、これも2年生だった。男子とて我が身をかばうのは無理もないが、小柄な体でその手を弾き上げ、この「玉女穿梭ぎょくじょせんさ」を打ち込むのはなかなかできることではない。

 見かけの幼さの割に、音響機材に関しては妙に詳しい娘である。


 そして、最後は2年生の五十鈴である。

 第一式「野馬分鬃やばふんそう」で部長の3年生、慎吾の腕を捉えるや、もう一方の腕で胸を抑え、その手で顎を引っ掴む。達人がここで発勁はっけいを入れれば、肩甲骨が外れて肋骨が砕け、首の骨が折れるところだ。

 

 ……以上の技は、冗談でも決して真似してはいけない。危険である。


「痛い痛い痛い!」

 悲鳴を上げた並木を解放してやるなり、五十鈴は半裸の沙に駆け寄る。

「大丈夫? 何もされてない?」

 呆然としている沙を盾にするように、並木は弁解した。

「待て待て待て誤解だ!」

「ちょっとごめんね沙」

 五十鈴は素肌が剥き出しになった肩を押しのけると、逃げようとする慎吾の腕を抱えるように絡め取る。

「往生際が……」

 寄せた波が返す勢いで、腕をぐいと引き寄せる。

「悪いって……」

 横たえた腕をポンと押し出したが、並木は倒れまいと踏ん張る。だが、五十鈴の連続攻撃は止まない。

「……いうのよ!」

 胸の前で円を描いた両手が、親指を揃えて叩きつけられる。全体重を一点に集中した掌打「双按そうあん」が、男ひとりの身体を倉庫の壁まで吹き飛ばす。

 これが、二十四式太極拳第七式・第八式「攬雀尾 《らんじゃくび》」である。


 ……常人には絶対に不可能ではあるが、やはり危険なので真似をしてはいけない。五十鈴の激怒をしてはじめて、可能な技である。


 それはそれとして、柔道部の払い下げらしいビニール敷の畳の上に、演劇部の部長、並木慎吾3年生は地蔵倒れに倒れ伏した。

「部長!」

「慎吾!」

「並木!」

 男子たちが壁際にばらばらと駆け寄る一方で、女子たちはブラの胸元を隠そうともしない沙を囲んで、部室の中央に陣取った。

 五十鈴が低い声で、なおも問いただす。

「で、この格好の沙を半裸の男どもが取り囲んで、どう言い訳する気?」

「待てよ、俺たちがそんなことする男に見えるか?」

 ステレオで泣き叫んだのはクローディアスとポローニアス……比嘉と苗木である。

「見える」

 間髪入れずに言い切った美浪に、まだ意識のある男子は残らず震えあがった。恐怖のあまり口も利けないのを見かねたのか、被害者であるはずの渚が口を開いた。

「ごめん……私が自分で着替えたんです、一緒に」

 他の1年生たちは、その様子を呆然と見ているしかない。

 そこへ、どやどやと暑苦しい男たちが部室の中に雪崩れ込んできた。

「何だ、凄い音がしたぞ」

「倉庫揺れてたけど」

「あれ? 並木じゃん」

 サッカー部だのラグビー部だの陸上部だのが口々に勝手なことを喚き散らす。だが、その目はやがて、男としてやむを得ない反応を示した。

「見るな」

 佐伯の囁きひとつで、いかつい男たちは沙の素肌から目をそらす。その様子を微笑を浮かべて眺めていた陽花里は、柔らかく促した。

「出てってくれるかな、着替えたいんだけど」

 催眠術にでもかかったかのように、男どもが踵を返して部室を出ていく。奈々枝は伸びあがって手を振った。

「ばいば~い、また明日ね~!」

「じゃあ、僕らもこれで……」

 男子部員たちは、いつの間にかジャージに着替え終わっていた。むりやり服を着せられたらしい乱れ髪の部長を、両脇から担いでいる。何事もなかったかのように出ていこうとするのを、美浪が一喝する。

「まだ話は終わってねえんだよ、アタシらの!」

 男子部員たちは部長を床に横たえると、肩をすくめて正座する。女子5人の怒りの波動を、4人で分け合って浴びようとしているかのようであった。

 だが、その涙ぐましいまでの友情は、ひとりの男を眠りから覚ました。

「じゃあ、聞いてくれるよな……長い話じゃないけど」

 

 早い話が、男たちにとっては事故、もしくは災難だった。

 先に部室に来て着替えようとしているところで、沙がズカズカ入ってきたのである。

 裸の男たちに倣うように、ブレザーとブラウスはさっさと脱ぎ捨てられた。最初は呆然としていた男たちのうち、まず我に返ったのは部長の慎吾である。

 ブラのホックを外そうとするのを止めようとして、思わず手を差し出した。女子が見たら誤解されない状況を止めようとして、他の男子も駆け寄った。

 そのときドアが開いて、女子たちが頭に血を上らせたというわけである。

「本当?」

 沙に尋ねながらも、五十鈴は男たちから目を背けている。

「本当」

 沙はこともなげに答えた。これで、全ては一件落着するはずである。だが、五十鈴をはじめとする女子たちが納得しきれないでいるうちに、新たな事態が忍び寄っていた。

「何をしていた」

 バイオリンのように粘りつく声が尋ねる。だが、その姿は影となって、よくは見えない。部室全体に緊張が走った。

「いえ、何も」

 部長の並木が愛想笑いをすると、その声の主は薄暗がりの中に溶けて消えていく。部員たちの安堵の息が、そのまま見送りの言葉となった。

 だが、部長は沈痛な面持ちでつぶやく。

「まずい……」

 五十鈴の目に、沙が怪訝そうに首を傾げるのが見えた。

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