第24話 部室内外の線描

 沙は、ひとつの芝居が完成しつつある高揚感が、日に日に高まっていくのを感じていた。

 自分が書いたものとは違う。500年前に意図したものとは違う。だが、後世の知恵を得て、自分には見えていなかったものが見えてきたような気がしていた。

 転生前に上演されたらしい『三文オペラ』と同じことを、自分が生み出したハムレットも確かに口にしている。

 《世界の蝶番が外れてしまった》と。

 もし、今、こうしているこの世界に安住してはならないのだとしたら、自分も、このままではいられまい。この時間は、何らかの形で終わるのだ。

 そう思うと、居ても立ってもいられなくなる。もっとも、なぜ転生したのかも分からないのに、何をするべきかが分かるわけはないのだが。

 強いて言えば、この一座を現状に陥れたことの後始末ぐらいだろう。 


 職員室の椅子にもたれて背中を向けた顧問に、沙は直談判を試みた。

「部室を開けてください」

 元はと言えば、少女の身体であることも忘れて、男子と共に部室で着替えようとした沙に原因があるからだ。

 だが、顧問はすげなく断った。

「開けなくてもいい」

 もちろん、これでめげる沙ではない。これは、『お気に召すまま』の道化、タッチストーンが決闘の第一段階とする「儀礼的返答」に当たる。

 再び、同じ言葉を繰り返す。

「部室を開けてください」

 やんわりと答えが返ってきた。

「俺が開けたくないんだ」

 これが第二段階。まだまだ「穏便な警句」にあたる。決闘にはそうそう至らない。

 まだ、押す余地がある。

「部室を、開けてください」

 つっけんどんに突っぱねられた。

「物の分からん奴だな」

 これが第三段階。ケンカの引き金となる「乱暴な回答」だ。ちょっと警戒が必要だ。

 ちょっと息を溜めて、深刻な顔で頼んでみる。

「部室を……開けてください」

 顧問はちょっと怯んだが、もともとこっちを見てもいない顔を迷惑そうに背けた。

「言いがかりだ」

 これが第四段階。明らかな反発を示す「激しい非難」だ。厳しい局面になってきたが、後には引けない。

 力を込めて訴えてみた。

「部室を、開けてください!」

 同じくらい強い口調で言い返された。

「開けないんじゃない!」

 第五段階まできた。ケンカなら買うぞという意思表示であるところの「挑戦的反駁」だ。

 これ以上は、踏み込むと本当の戦闘状態になる恐れがある。だが、ここで折れるくらいなら、最初から来ない。

「部室を……開けて、ください」

 絶対に引かない、という口調で畳みかけてみる。

「開かないんだよ」

 開き直りとも取れる言葉が返ってきた。「間接的虚言」……開戦の一歩手前、最後通告だ。

 だが、諦めるわけにはいかない。

「部室を、開けて、ください」

 息を吸い込み吸い込み、一言一言区切りながら訴える。

「閉まってはいない」

 わけの分からない返事だった。完全な「直接的虚言」だ。こっちの話など聞くつもりがないということだ。

 だが、沙はタッチストーンの生みの親だ。こんなときの切り抜け方はちゃんと心得ている。

「もしも」

 そう、この一言だ。どんな揉め事も、この言葉ひとつでなかったことにできる。

「もしも、私たちがこのまま県大会へ進んだら……」

「進んだら?」

 顧問は鼻で笑う。だが、沙は努めて朗らかに告げた。

「今まで部室を開けなかったことを非難されるでしょうね、あちこちから」

 それがどこなのかは、沙も知らない。それを見抜いてか、顧問は余裕たっぷりに聞き返してきた。

「落選したら?」

 沙はぽつりと答えた。

「部室を開けなかったせいになります、先生の」

 顧問は何も答えずに、ただ、くつくつと笑う。沙も、それ以上は何も言わずに職員室を出た。

 既に、答えは出ていた。


 そして、2週間後。

 期末考査の最終日。

「やったああああ!」

 相模が叫んで、扉の開いた部室に駆け込んだ。1年生スタッフが、後に続く。ミナミが叫んだ。

「女子が先だろ!」 

 クローディアスとポローニアスが口をそろえて言った。

「ああ、僕たち気にしませんから一緒にどうぞ」

 オフィーリア役のミナミに、その場で2人まとめて小突かれていれば世話はない。

 結局、暑い日差しの下で男子たちを待たせて、女子たちは先に着替えにかかる。

 沙が部室の外で突っ立ったままでいると、ヒカリがおっとりと笑った。

「あ~、遠慮しなくていいんだからね、沙ちゃん」

「いや、あの、私は……」

 部室の中からとっとことやってきたナナエが、腕をぐいと掴んでくる。

「沙ちゃんが着替えないと、男子も入れない!」

「いや、でも、私は……」

 抵抗も空しく、2人の女子部員は小柄な後輩を部室に引きずり込む。

 さっさと制服を脱ぎ捨てていたイスズが急かした。

「急いで、時間が惜しい!」

 は~い、と答えたヒカリとナナエから、沙は慌てて目をそらす。

 17世紀の役者は、全て男だった。女性の役は、声変わりをする前の少年が務めていた。

 だから、女性が集団で着替える場などには出くわしたことがない。

 確かに、結婚した年上の女性は我が子を宿してはいたが、それとこれとは別問題だ。

 52歳という年になったとはいえ、うろたえるときはうろたえる。

 しかも。

「ひっ……!」

 上着を脱いで下着一枚になったところで、どう言い表したらよいか分からない感覚が、背筋を走り抜けた。柔らかい感触が、身体の前と後ろでたゆたっている。

 耳元で、イスズの息が囁いた。

「部室開けてくれてありがと……この間のお返し!」

 胸が背中から離れると、胸を後ろから掴んだ手をほどいて、イスズは沙を急かした。

「さっさと着替えないから!」


 稽古着に着替えた女子たちがぞろぞろ出てくる部室の前で、男子は汗まみれになって待っていた。

 ナミキがぼやく。

「稽古前に倒れちまう」

 すると、皮肉っぽい眼差しを送りながら、イスズが冷たく言い放った。

「ごめんなさいね、沙ちゃんがなかなか服着てくれなくて……」

 目をしばたたかせて固まるナミキの後ろで、クローディアスとポローニアスが顔に片手を当てて駆け出した。

「ちょっと……鼻血が……」

 その背中に、オフィーリアが悪態を浴びせかける。

「ついでにその妄想も洗い流してこい!」

 ナミキはナミキで、何事もなかったかのようにヒカリとナナエに声をかけた。

「照明と効果の機材、立ち上げなくちゃいけないんだけど……」

 手ぶらの担当者は互いに顔を見合わせると、それぞれ座長に答えた。

「照明変わらないんなら、舞台袖でも点けたり消したりできるんです」

「ざざ~ん、て言うだけで、海のシーンになるんだし」

 そこで口をそろえて言うことは、これだった。

「キャストやるの、楽しくなったから」


 だが、小道具や衣装の準備は急がなくてはならない。時間がないので、台詞の全くない沙たちは、その作業に回された。

 部室の中は昇りつめた太陽の熱がこもるので、外にゴワゴワした青いシートを引いて、その上で剣の代わりになる紙を丸い木材の芯に巻き付けたり、布の切れ端を縫い合わせたりする。

 あまりリアルでなくていい、というのが演出であるイスズの方針である。だが、そう言われると、かえって困るものだ。

 てきぱきとお針子を務めるナナエに尋ねてみた。

「どのくらいまでなら、手を抜いていい?」

 道化のように気の利いた答えが返ってきた。

「肩の力が抜けるくらい」

 それまでは、どこまでも手間暇をかけろということだ。

 やがて様子を見に来た五十鈴は、いかにもみすぼらしい、つぎはぎだらけの衣装を作ったナナエにも、いかにも粗末な沙の仕事にも、こう言ってOKを出した。

「肝心なのは、頑丈に、安全に作ることよ」

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