第9話 おっとり系ほんわか娘には理解できない危機

「だからさあ、顧問いないと困るんだって、顧問!」

 部室の壁にもたれた並木慎吾は、昨日に続いて今日も頭を抱えていた。それを尻目に、篠原陽花里は悠々とスポットライトの灯体を撫でさすっている。

「別にいいんじゃないのかなあ? 居ても仕方がない人なんだし」

 もの言いは穏やかだが、言うことは五十鈴よりもキツいのが陽花里である。さらに、五十鈴が筋を通すのに対して、陽花里は人格攻撃しかしないところに特徴がある。

「そりゃ確かに、部活の最初と最後に来て、偉そうなこと言って帰るだけだけどさ」

 その辺りは、並木も否定はしなかった。陽花里の罵詈雑言はさらに続く。

「昨日なんか、その辺でちらっと顔だけみせて帰ったじゃないですか、何も言わずに」

「そこなんだよ」

 並木が部長として頭を悩ませているのは、まさにその点だった。

「あんだけのことを見てたくせに、今日も黙っていなくなるってのは何かあるんだよ、やっぱり」

 部室が揺らぐほどの大乱闘が行われた跡を見ていたのは、顧問も含めて1人や2人ではない。それでも、今日まで指導や叱責といえるものは、何ひとつとしてなかった。

「気にしない、気にしない」 

 そう言いながら陽花里が愛撫している灯体を、並木は気味悪げにちらりと見やった。

「それ……何?」

 陽花里とは別の女子が、いきなり答えた。

「スポットライトです」

「いや、そうじゃなくて」

 つい数日前に入部したおきないさごにどう言い直していいのか迷っていると、陽花里が代わりに答えた。

「照明機材の説明してるんです」

「そう、じゃあ、続きをどうぞ」

 姿をくらまして何をしているか分からない顧問に頭を悩ませているよりも、こっちを聞いていた方がよほど健康的だと並木は思った。

 陽花里はいつものおっとりした口調に戻る。

「ええとね、こっちのレンズがとつで、こっちがフレネル」

「……どう違うのか分かりません」

 沙に区別がつかないのも無理はない。並木自身も、1年生の時は区別がつかなかった。

「見れば分かるから」

 陽花里は、2つの灯体を並べてみせる。

「こっちのレンズ、真ん中が膨らんでるでしょ? これが凸」

「ギザギザになってるのがフレネル?」

 並木に比べて、沙は呑み込みが早いようだった。だが、かつて並木が理解できなかったのは、そこではない。

「フレネルって、なんでフレネルって言うの?」

 そっちかよ、と並木は思ったが、自分でも説明ができない。

 だが、陽花里はというと、さらりと答えてみせた。

「ジャン・オーギュスタン・フレネルさんが作ったから」

 18世紀末から19世紀半ばにかけて活躍した物理学者で、光の屈折などについて研究したことなどを長々とまくし立てるのは聞き流す。

「……で、こんなふうに表面がギザギザの輪になってるから、光が舞台の床にまっすぐ当たるの。その代わり、エッジ端っこはぼんやりするけどね」

「凸のほうは、はっきりするんですね?」

 察しのいい沙を、陽花里はぎゅうっと抱きしめる。

「よく分かりましたね!」

 並木も曖昧だった舞台照明の基本は改めてよく分かったが、やはり顧問の居場所が分からないことの恐怖を拭い去ることはできなかった。

 そんなことは思いもよらないであろう陽花里の講釈は、延々と続く。

「で、これを吊るとサスペンションライトになるの。通称『サス』」

 舞台用語を並べ立てられると、初心者は大抵、頭がフリーズする。だが、沙はカンが鋭いだけでなく、好奇心も旺盛だった。

「それで、床を照らすんですね?」

「そう、フレネルは、全体を照らす『地明かり』に使うの。凸レンズはエッジがはっきりしてるから、床の一部分に当てるのに便利ね」

 陽花里は、部室の奥にある灯体を畳の上にずらりと並べて、その機能を説明した。

 

 パーライト…スポットライトに似ているが、レンズが電球と一体になっているため、灯体そのものにはついていない。また、スポットライトと違って焦点を合わせることフォーカスはできないが、光の筋を見せたりするのに便利である。


 ホリゾントライト…横一列になっており、背景幕を色で染める。床に置くものをロアーホリゾント(通称 ローホリ)といい、天井から吊るものをアッパーホリゾント(通称 アッパーホリ)という。


「ウチはね、学校で上演するとき、これだけで全部の照明をまかなってるんだ」 

 物言いがほんわかとしているので、灯体が少ないと言っているのか、それとも自分のやりくりを自慢しているのか、よく分からない。

 だが、初心者の沙が分からなかったのは、そこではない。

「全部?」

「ステージに行った方が早いかな」

 陽花里は、ふうわりと立ち上がる。いい感じに照明が当たったときに床から反射した光そのもののように。

 だが、逆に並木の気分は暗くなった。顧問がいないと困る問題は、まさにそのステージにあったからだ。


「え~とね、あの辺にシーリングライトを吊るの」

 稽古の真っ最中に、陽花里が舞台の袖から指差してみせるのは体育館の天井シーリングである。目の前で練習しているバドミントン部の白いシャトルが、ときどき高々と上がってくる。

「フロントサイドスポットライト、通称FSエフエスは、あっち」

 体育館の壁の上には、ギャラリーとなっている細い通路が見える。陽花里は離れて立つ沙をぐいと抱き寄せて、その辺りを指差した。

「あの高さに足場を組んで、スポットライトを斜めから当てるの」

「何に使うんですか? あんな危なそうなところから光当てて」

 尋ねる沙にキスでもしようとするかのように、陽花里は顔を近づける。並木は慌てて止めた。

「おい、陽花里!」 

「……なに想像したの? やらし~、あいつらみたい」

 指さす先には、クローディアスとポローニアスの下ネタコンビが演出の五十鈴から小言を食らっている。

「あいつらだって顔見えないでしょ、頭からの明かりだけじゃ」

「……すみません」 

 しょげる並木など知らぬ顔で、陽花里は指のポイントを変えずに説明を続ける。

「で、あの辺とこの辺から当てるのが、ステージサイドスポットライト。通称SSエスエス

 続いて舞台の天井と床を同時に指さす。

「パーライトは上手と下手の天井から、それぞれ下手と上手に当てるの。通称、ブチガイぶっ違い。床にスポットライト置くこともある。通称コロガシ転がし

 講釈は延々と続いたが、並木はそれぞれの箇所に使う灯体の数を想像して頭が痛くなった。

 もっとも、陽花里はそんなことは気にも留めない。

「も~、設営が大変。シーリングは横一文字のバトンに固定して、体育館の梁からロープで吊らなくちゃいけないし」

 そこで沙は、アリーナにいるバドミントン部や、その向こうにいるバレーボール部を見渡した。

「あの人たちは? 危ないと思うんですけど」

 やはりカンのいい1年生だと、並木は安心した。ひとりくらい、こういう後輩がいてほしい。気苦労が少なくて済む。

 その辺りが何も分かっていない陽花里には、ぼやかないではいられない。

「だから、顧問の調整いるだろ、こんどの稽古」

 照明合わせの日は、体育館を使う全ての部活動が練習できないことになる。各部の顧問に頭を下げて回るのは、演劇部顧問の仕事だった。

 それを頼もうにも、いないのではどうにもならない。

 困った顔をしてみせても、陽花里は動じなかった。ほんわかと笑ってみせるばかりである。

「お願いね、照明仕込みのプラン、立てとくから」

 顔と物言いと仕草はおっとりとしているが、どうしてどうしてこの娘、照明に関してはなかなかに強引だった。

 

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