第4話 束の間の灯のために

 少女ウィリアム・シェイクスピアの呼びかけに、練習をサボって制服姿に見とれていた少年たちは、やたらと声を張り上げて、大きなボールの投げ合いに励みはじめた。

 あの頃もそうだった、とシェイクスピアは思う。

 俳優をやりながら脚本を始めたときは、周りの役者と衝突するばかりだったのだ。そのときの思いは、『ハムレット』にも託されている。

 原典から意訳された台本には、その辺りはちゃんと残っているだろうか。

 気になった少女は、パラパラと台本をめくってみる。本来なら、ハムレットがオフィーリアを「尼寺へ行け」と罵った後の場面のはずである。

 あった。ハムレットの台詞だ。


《見栄を切るな、感情に流されるな。かといって、畏まっていてはいけない》

《最後に信じるのは、自分の理性だ。動作は言葉をなぞり、言葉は動作をなぞれ》

《あるがままの自然を、鏡のように映し出せ。それが演技だ》

 

 どいつもこいつも、そうだったのだ。

 だから『マクベス』にも、こう書いた。


《可哀そうな役者たち、短い出番で舞台の上を大げさに跳ね回って声張り上げて》

《結局、何の意味もない》


「消えるがいい、束の間の灯」

 少女はつぶやいたが、ウィリアム・シェイクスピアはこのとおり、消えることはなかった。何のことはない、死の後に来る悪夢の国は、ここにあったというわけだ。

 かといって、死んで転生してしまったものは仕方がない。その悪夢が、背中を叩く。

「ダメ出ししてもいいでしょうか?」

 ダメダシ、というのがいまひとつ分からなかったが、逃げ場も味方もいないところで「イヤだ」と言ったところで助かる見込みはない。せいぜい、できることは目を合わせないで返事をすることぐらいだ。

「どうぞ」

 じゃあ、と前置きした編み髪の娘は滔々とまくしたてる。

「やっぱり、分かんないわけですよ、あのぎこちない動き。あれで熱いハムレット、っていうのもよく分かんりません。なんだか、中途半端に憂鬱に見えます」

 実をいうと、勝ち誇ってどんな小言を浴びせられるかと、少女ウィリアム・シェイクスピアは少しばかり固くなっていた。ところが、この小娘の言うことはきにするほどのことではない。

「ありがとうございます、それで満足です」

 思いっきり笑ってみせると、エンシュツとか呼ばれている演技監督ディレクターも白い歯を見せた。だが、誰が見ても、お互いの心に刃を隠し持ったままであることは分かる。その場の空気は、再び凍りついた。

 座員という座員が怖いもの見たさで少女2人の睨み合いへ釘付けになっている隙に、少女シェイクスピアでは不発に終わった呼びかけが、再び試されていた。

「ねえ、どうだった?」

「サーイコー!」

 白いボールを手にして白い脚を剥き出しにした娘たちの黄色い歓声が、座長のナミキに向かって投げ返された。随分と顔が広いようだ。

「本当?」

 観客への薪のくべ方としてはなかなかのもので、これが17世紀のイングランドであれば、グローブ座で国王一座の公演を任せられるのではないかと思ったくらいだ。

 だが、娘たちの反応は冷たかった。

「ウソ!」

 そう言う顔は明るい。どうやら、その関心は舞台よりも座長本人にあるらしい。それでもナミキはめげなかった。

「本当は?」

「笑った!」

 舞台を見ていたらしい数名が、声を揃えて単語で答える。いつしか少女シェイクスピアも編み髪のディレクターも、その声に聞き入っていた。

 観客のナマの反応とは、しばしばこういうものである。言葉では言い表せないものこそが素直な感情であることを、少女シェイクスピアは知っていた。 

 ナミキが2人に向き直って2本指を開いてみせる。

「だってさ!」

 編み髪の娘は舞台上の高い高い天井を仰ぐと、長身の舞台監督ステージ・マネージャーに力なく告げた。

「集合かけてくださ~い」

「集合!」

 マネージャーの指示で、クローディアスとポローニアスも下手ステージ・ライトから、不満たらたらでやってくる。

「今日、もしかして出番なし?」

「バイト休んで来てんのにな」

 案の定、オフィーリアの拳が2つの頭にまとめて炸裂した。

「みんなそうなの!」


 ステージ上で座員が円を描いて座ると、編み髪のディレクターはためらいがちに用件を切り出した。

「実をいうと、ちょっと分かんなくなっちゃって」

 ちらっと座長に目を遣ると、無言の頷きが返ってくる。

 見下ろしていた少女シェイクスピアは、これも気に入った。自分が死んだ後も、グローブ座や国王一座がこうであってほしいと思う。

 そこへ、座長から声がかかった。

「ああ、よろしければ」

「私はこれで」

 パイプ椅子にどっかりと腰かける。床に直座りするのは、まだ慣れていないからだ。

 すると、クローディアス役とポローニアス役がちょいとすくめた背中を、オフィーリア役の娘がどやしつけた。

「何見てんだ」

「いや……」

 ナミキ座長も、目をそらしながら丁重に頼んだ。

「すみませんけど、立つか、直に座るかしてください」

 見れば、正面にいる男の座員たちは、残らず目をあちこちにそらしている。女の座員はというと、恥ずかしげに目を伏せている。

「あ……」

 その原因がスカート姿での大股開きだということにようやく気付いて、少女シェイクスピア享年52歳は立ち上がることを選んだ。

 見下ろされてムッときたのか、編み髪のディレクターは目を伏せたまま話を続けた。

「サイコーじゃないけど笑えるっていうのが、女子バレー部員の反応だったわけ」

 ジョシバレーブとは白いボールと白い脚の娘たちを指すらしい。彼女たちは、観客と見なされているようだ。

「そこがわかんないのよ」

 考え込むディレクターの傍らで、座長は一座から意見を募る。

「誰か分かる人、いる?」

 声は上がらない。誰もが渋面を作って考え込んでいる。そのうち、1人が手を挙げて言った。

「部長はどう思います?」

 ここでは座長をブチョーというらしい。部長は少し考えて言った。

「サイコーだってことと、笑えるってことは、必ずしも同じじゃないってことだ」

 ディレクターがすかさず、不機嫌に口を挟んだ。

「ここ、笑うシーンじゃないし」

 文字通り、高見の見物を決め込んでいる少女シェイクスピアがその元凶だ。一座の視線を浴びて、『ハムレット』の作者自身も考えこんでしまった。

「どう思う? 自分でやってみて」

 座長のナミキが話題を振ったのは、闖入者への吊し上げを避けるための配慮である。それは分かっていた。応えるのが礼儀であろう、と少女の姿ながらシェイクスピアは作者として思う。

 そこで、言葉を選び選び、なるべく誠実に考えを述べた。

「正直、笑わせるつもりはなかったの。ただ、ハムレットの気持ちは分かってるつもりだった。復讐に燃えて、狂気を装う。バレちゃいけないから、憂鬱なフリをしなくちゃいけない。だから、ちょっとずつ、足の下ろし方を考えながら歩いたの」

 すかさず編み髪が、冷ややかに水を差した。

「それ、失笑っていうんじゃない?」

「笑いの区別もつかないのに、よく役者の芝居が云々できるわね」

 鼻で笑ってやると、再び一座の空気が重く淀む。そこで同時に手を挙げたのは、クローディアス・ポローニアスである。

 オフィーリアが釘を刺した。

「下ネタ禁止な」

 シモネタ、も何だか分からなかったが、破廉恥漢扱いされているらしい2人は、おずおずと尋ねた。

「笑い取れるって、すごいことだと思う」

「俺たちなんか、話スベってばっかりで」

 再び後ろ頭が鳴った。

「ネタか! あれ全部ネタか!」 

 オフィーリアの非難をよそに、一座はドッと笑った。

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