第5話 人生とは道化芝居

 並木は、この3人のドツキ漫才に感謝していた。飛び入りのせいでスケジュールは遅れたが、1冊の台本から、思いもよらない新しい何かが生まれそうな気がしていた。

 この空気が冷めないうちに、すかさず口を挟む。

「笑いって、ものすごく素直な反応じゃないかな」

 みんなが実際に笑ってからだと、妙な説得力があった。誰もが、ストンと肚に落ちたという顔をしている。

「だから、フリはしたっていいと思う。だって、演技って全部、何かのフリだから」

 自分でも、思い切った開き直りだという気がした。だから、考えに考えて言葉を補う。

「そのフリがバレなければいいわけだし、バレたらバレたで、それが観客の笑いを招けば、それでいいんじゃないかと思う」

 もしかすると、とんでもないことを言っているのかもしれない。この路線で行ったら、地区大会で酷評されるかもしれない。

 だが、堅苦しい正論を言って、飛び入りのこの女子生徒を傷つけるのはイヤだった。この演劇部で、高校演劇で、誰かが傷つくなんて御免だった。 

 そのくらいなら、見当外れのことを言って後で土下座するほうがよっぽどマシだ。

「ちっともよくない」

 見ず知らずの女子生徒に対する必死のフォローは、演出の五十鈴に切って捨てられた。土下座の時は案外、すぐそこまで来ているのかもしれなかった。

「演技ってさ、確かに観客にウソをくことだけど、吐いたら吐いたで吐きとおさなくちゃ。バレちゃだめでしょ」

「ごめんなさい」

 ある意味、待っていた瞬間だった。これですっきりする。

 また土下座しそうになったところで、鋭く一喝する声があった。

「簡単に這いつくばるな!」

 制服姿の女子生徒が、腕を組んで見下ろしていた。

「全く、利口なバカってあなたのことね」

 その顔は、むしろ楽しげに笑っている。だが、五十鈴はそれを好意とは取らなかった。

「バカとは何よバカとは!」

「あ、気にしてないから」

「部長は黙ってて!」

 静かに立ち上がった五十鈴は、正面から少女を睨み据えた。

「勝手に口挟んで勝手に芝居にケチつけて、それで笑われたら開き直って人をバカ呼ばわり? あなたいったいどこの何様? だいたい今何時だと思ってんの、時間のないとこでやりくりしてこうやって練習してんのに、こっちだって都合ってもんがあるのよ、地区大会なんかね、まだだまだだと思ってるとすぐ来るの! 部外者の気まぐれや冗談に付き合ってるヒマなんかないんだからね!」

 その目には、涙が滲んでいる。熱かったジャージ姿の部員たちの空気が急激に醒めて、制服姿の少女に対する非難の眼差しに変わっている。

 さすがに慎吾も慌てて立ち上がった。

「五十鈴!」

 でも、どうすればいいのかは分からなかった。できるのは、ただ五十鈴の前に立ちはだかることだけだ。

「何よ……私が悪いって言うの?」

「そうじゃないよ」

 誰も悪くない。このステージの上で、誰かが悪者になるなんてことは絶対にないし、あってはいけない。それは、ずっと一緒にやってきた五十鈴だって分かっているはずだ。いや、みんなそういうつもりでいるはずだ。

 だが、部員じゃない者にまで、それは強制できない。後ろから、のんびりとからかうような声が聞こえてくる。

「愚かな知恵者もいるけどね」

 五十鈴の身体が震えはじめる。並木は身体の中で膨れ上がる何かを抑えきれずに振り返った。

「君も……!」

 それから先は、怒りのあまり言葉にならない。ただ、五十鈴も耐えていることが背中で分かる。

 しかし、目の前の制服少女は満足そうに微笑んだ。

「それよ」

「え……?」

 呆然としたのは、慎吾だけではなかった。部員たちが戸惑っている。背中に感じていた五十鈴の息遣いが違う。

 制服少女が、真顔で言った。

「それが、ハムレットの怒り」 

 自分が演じる役ではないので、ハムレット役がどんな顔をしているかを確かめてみた。目を白黒させている。だが、少女はキャストではなく、並木に語りかけている。

「本当は全部吐き出して楽になりたいのに、いろんなしがらみがあって、それができない。抑えに抑えて取った手段が、狂気のフリ。だから、観客にはバレて当然なの。騙されてるのは、舞台の上の人間だけ」

 この少女は、全て知っている。ハムレットのことを語っているようで、それは全て並木のことでもあった。

「ある意味、ハムレットは人生という大きな舞台で道化芝居をしていたようなもの。利口なバカって、そういうこと」

 舞台の緊張が緩むのが、肌で分かった。背中に感じていた五十鈴の荒い息も、いつの間にか治まっている。

 やがて並木の隣に進み出ると、息をひそめて告げた。

「確かに、愚かな知恵者ですよね……見事にひっかけられたんですから」

 手間暇かけて演出プランをひっくり返された割には、やけに冷静である。並木はその豹変ぶりを、かえって恐ろしいくらいに感じた。

 何か、ある。

 だが、五十鈴は極めて冷静に舞台監督へと向き直った。

「稽古時間、ありますか?」

 その確認は、部長へとリレーされる。

「いいですよね?」

 外部の意見に屈するのは、演出としては忌々しいことであったろう。五十鈴ならなおさらだ。だが、それだけに、プランを変更した決断には感謝したかった。

 そうなると、全体に確認が必要である。

「あ、ああ……」

 どこかに何か引っかかるものがあったが、並木は曖昧ながら了承の返事をした。五十鈴は豊かな胸を威勢よく張って、新たなプランを周知する。

「まず、ハムレットは怒りを表に出すことなく、憂鬱の病を装います。本来は情熱的なハムレットは、ひたすら狂気のフリをします。だからハムレット!」

 はい、の返事と共に、五十鈴はにやりと笑って制服少女を眺めると、役者に指示を出した。

「……足は、無理やりなくらいに前へ出すこと!」

 並木の口が、余りの徒労感にぽかんと開いた。役者のやることは、最初と何一つ変わってはいない。

 制服少女がハッと何か言おうとしたときには、既に舞台監督の指示の下、部員たちはそれぞれの配置に付いている。部長は上手、制服少女は下手へ追いやられる。

「まあ、見てなさいって」

 センターに座り込んだ演出の一言は、唖然としている部長の慎吾と、憤然とした眼差しを向ける制服少女のどちらに向けられたものか、はっきりとは分からなかった。


《ここに残るか? 雲を霞と消え去るか? それが問題だ》


 ハムレットは動きたくもなさそうに、無理やりに足を前へ前へと運んで登場する。ひとつ、またひとつと荒い息に任せて吐き出す言葉は、荒れ狂う心を抑えようとあがく熱血漢の苛立ちがあった。


《どちらがより気高い? 運命の石つぶてに耐えるか、困難と闘って死ぬか》


 もちろん、本心は生きる方だ。生きて生きて生きて、父の仇クローディアスを打たなければならない。だが、それをごまかすためには、その判断を嘲笑ってみせるのが手だ。


《死ねば楽になるって? さて、その後にはどんな悪夢の国が待っていることか》


 復讐のためには、いかなる危険も顧みないのがハムレットである。目的を達するまでは死ねないだけで、死そのものは恐ろしくない。だからこそ、怖がっているフリをしなくてはならない。


《人生の辛さに耐えもしよう。死ねば帰ってきた者などいないあの国があるのだ》


 それは、ハムレットの本音だ。だが、それを知られてはならない。自分に言い聞かせ、納得させる芝居をするには、敢えて力んでみせることも必要だ。

 ありもしないものを、あるかのように振る舞う。その「フリ」は、無駄とも思えるほどの体力を振り絞っている。それだけに、並木には真実味を持ったおかしさが感じられた。 

 だが、この少女は……。

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