第20話 五十鈴の賭け

「みんな、揃ったか!」

「お~!」

 並木の中途半端な点呼に、部員たちが半ばヤケクソ気味で応じる。五十鈴はそこにどこかもの哀しいものを感じていた。

 相変わらず稽古の許可を出さない顧問が、思い出したかのように週末になってから寄こしたのが、この蒲生原かもはら高校自主公演の案内だった。

 休日、勝手に見に行く段には一切関知しない、ということらしい。だが、会場は市街地郊外のキャンプ場近くにある、交通アクセスのやたら不便なところだ。わざわざ往復1000円近いバス代を払ってまでやってくる部員など知れている。

 そう思っていたが、意外に来た。まだ補充授業が解除されていない奈々枝と須藤まで来ている。しゃかりきになって動員をかけた並木の努力が実ったわけだ。

 だが、相模をはじめとした装置スタッフは、やはり来ていなかった。


 会場ホールの自動ドアのそばに掲げられた看板を見て、美浪が呻いた。

「シラノ・ド・ベルジュラック……」

 つい4か月ほど前に予餞会で上演した、エドモン・ロスタンの名作だ。演出したのは五十鈴だが、気にするまいと思っていても、つい、構えてしまう。

 蒲生原高校ここは、調理師養成学校でありながら、何度も全国大会で優勝した経験のある実力校なのだ。

 席に着くと、緞帳のない狭い舞台には、最初からイントレ工事現場用の足場を使った舞台装置が仕込んである。

 やがて、上演が始まった。


 シラノはパリでその名を知らぬ者のない剣豪で詩人で、そして長い鼻の持ち主である。

 気に食わない役者は舞台から叩き出し、友人を待ち伏せから守るためなら、100人斬りの大立ち回りも厭わない。

 幼馴染のロクサーヌに想いを寄せているが、彼女が美男子クリスチャンに口下手とも知らずに恋していると知ると、彼に暗がりから声を当ててやったりもする。

 クリスチャンを戦で死なせてしまった後は、修道院に入ったロクサーヌを10年以上も見舞うが、つまらない恨みを買って嵌められた罠で致命傷を負う。

 その最期は、ロクサーヌの腕の中で自慢の羽根帽子を胸に抱いた、安らかなものであった。


 高い足場を駆け巡っての100人斬りは圧巻だった。陵高校の予餞会でロクサーヌを演じた美浪などは、横目で見ると悔しそうに苦笑いをしていた。

 困ったのは、その後だった。

 沙が感動するのは勝手なのだが、あまりにも興奮の度が過ぎていた。

「私、シラノに会ってきます!」

 言うなり、楽屋を探して、会場ホールから駆け出してしまったのである。

 だが、楽屋は原則として、関係者以外は立ち入り禁止だ。ここでトラブルなど起こした日には、冗談抜きで大会に出られなくなる恐れがある。

「部長、沙を止めてきます!」

 並木がいいとも悪いとも言わないうちに、五十鈴は花道へ駆け降りていた。

 沙は知らなかっただろうが、ここには舞台裏へ続く扉の前へと続く階段がある。


「何でダメなんですか?」

 頬を紅潮させて不満げに尋ねる沙を、五十鈴は舞台裏への扉を背に、文字通りの上から目線でたしなめた。

「いい? 芝居が終わった後の楽屋って、どうなってるか知ってる?」

 分からない、と言ったら厳しく叱りつけるつもりでいたが、準備していたその文句は、沙にそっくりそのまま横取りされた。

「人と荷物がものすごく行ったり来たりして、邪魔になります。危ないです」  

「だったら……」 

 完全に、調子が狂った。

 続く言葉を探しているうちに、沙はしゃあしゃあと言ってのける。

「その辺は分かってますし、うまくやります」

「そういう問題じゃなくってね……」

 その先を口にする必要はなかった。扉が開いて、蒲生原高校の部員が顔を出したからである。

「今から部長、そっち行きますんで」

 現れたのは、厨房よりも店内で接客している方が向いているのではないかと思うほどの美少年だった。

 これがクリスチャンかと思えば、ロクサーヌを篭絡しようと目論む破廉恥漢のド・ギッシュ伯爵である。

 その口調は舞台での役柄とは真逆で、穏やかなものだった。

「すみません、これから学校帰って、夜まで練習なんです」

 沙が息を呑んだ。

「これから……夜まで?」

「休日を有効に使いたいんです。平日は朝練と、学校が閉まるまでの1時間しかないので」

 それで、これだけのことができるのが信じられなかった。だが、実力差を思い知らされたおかげで、つまらない意地が邪魔をする。

 聞きたいことは、好奇心を剥き出しにした沙が口にしてくれた。

「どんな風に稽古してるんですか?」

 優美なド・ギッシュ伯爵は、こともなげに答える。

「全員が役者修行を積んでる、それだけのことです。ところで……」

 にっこりと微笑んで見せるが、その一言は五十鈴の胸を抉った。

「スタッフの方は、いらしてないんですね」

 さすがに、聞かないではいられなかった。

「どうして……」

「顔に、そう書いてあるんです……なんてね」

 そう言うなり楽屋に戻ろうとした蒲生原高校の部長は、突然、艶然としたまなざしと共に振り向いた。

「そうだ……上演日のお昼は、僕らの手打ちソバなんてどうです?」

 もちろん、好意によるものだ。しかし、身体の中には何か、熱くどす黒いものがこみあげてくるのを感じないではいられなかった。

 そんなことは知る由もない沙は、うつむいた五十鈴の顔を、きょとんとした眼差しで見上げていた。

「ソバ……?」


 翌日の朝早く、五十鈴は沙や並木に気付かれないように単独行動を取った。職員室の顧問のもとへ乗り込んだのである。

 これ以上、他校に差をつけられたくなかった。敵に塩、いや、ソバまで贈られて、黙っていることはできなかった。

「稽古、再開します」

 単刀直入に言い切ったが、顧問はぶすっと答えるばかりだった。

「勝手にやったら大会出さんぞ。俺が責任持てんからな」

 相変わらずの事なかれ主義である。何もしなければ何も起こらないというわけだ。今まではそれで引き下がってきたが、もう、そうはいかない。

「顧問が足を引っ張るなんて……私たちの部活なのに」

 正論のつもりだった。部活動の主体は生徒のはずだ。だが、顧問は動じた様子もない。

「その『私たち』の中に何もしないヤツがいる時点で、部活には意味がない」

 返す言葉がなかった。五十鈴の理屈は、部活の総意であることが前提だ。だが、スタッフがサボタージュを決め込んでいる以上、どれほどやる気を見せたところで、それはただのデモンストレーションに過ぎない。

 スタッフに出番さえあればと思うと悔しかった。その出番のないプランをぶち上げた沙にも腹が立ったし、それをねじ伏せるだけの展望を持っていなかった自分も許せなかった。

 いや、今なら、それがある。悔しさという原石の中から宝玉のようなアイデアが顔を覗かせていた。

 五十鈴は、最後の賭けに出た。

「全員キャストで地区大会突破してみせます」

 自分で言い出したことながら、何て無謀なことを思いついたんだろうと目の前が暗くなった。  

 その心の闇の中で、顧問がくつくつと笑った。

「そこまで大口叩いたからには……分かっているだろうな、密約がどれほど高くつくものか」

 

 昼休みに顧問から呼ばれた並木は、放課後には大ニュースを携えてステージ上に現れた。

「今日から稽古だ!」

 部員たちから歓声が上がるが、部長の一言で、そのめでたさも中くらいのものとなった。

「ただし、部室は開かない」

 何だよ、とステージに寝転がったのは相模と装置担当の1年生である。並木も全体の士気が下がるのは避けたかったのだろう、五十鈴に尋ねた。

「……何で?」

「こ……心当たりなんか」

 座っている者も寝ている者も、五十鈴の顔をじっと見ている。全身を緊張が走り抜けたが、ここで言葉をごまかしたら、せっかく盛り上がった気持ちが台無しになる。

 居住まいを正して、ステージ上の部員たちを見渡す。誰もが張り詰めた表情で、五十鈴の返事を待っていた。

「提案があるの」

 だが、それをぶち上げた瞬間、非難の集中砲火を浴びせられることには、覚悟ができているというよりも、諦めがついていた。

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