第27話 演出として、少女として
「陵高校、リハーサル開始します!」
会場のステージの上で、部長の並木がホールいっぱいに声を響かせて挨拶する。五十鈴も他の部員たちと共に頭を下げる。
「お願いします!」
タイムキーパーを務める照星高校の部長もまた、深々と頭を下げるのが分かった。
ちらと並木のほうを見ると、隣にはやっぱり沙がいた。この間の、並木を巡るやり取りを思い出すと、胸が痛くなって顔が火照ってくる。だが、沙は平然として並木のそばにいた。
何だか面白くない。
だが、そんな私情は時間のロスを生むだけだ。制限時間は20分しかない。五十鈴はガナリと呼ばれるマイクで、舞台中央に立つ相模に指示する。
「クライマックス!」
短く切った色付きテープをべたべた張った下敷きを首から下げた相模が、叫びながら舞台袖に入っていく。
「フォーティンブラス!」
「はい!」
返事と共に、ハムレットが、レイアーティーズが、クローディアスが、ガートルードが、床に倒れ伏す。
やがて、舞台袖から軍勢を引き連れたフォーティンブラスが現れる。
《何だ、この惨劇は!》
イギリスからの使いも、取ってつけたように現れる。
《ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ! 誰に報告すればいい?》
《今は亡き、このお方だ!》
そう告げるのは、幸恵の演じるホレイショーである。普段の言葉少ない彼女からは想像もつかない毅然とした声が、葬儀を執り行うようフォーティンブラスに促す。
《さあ、この亡骸を祭壇へ!》
それに応じて、ノルウェーの王は声高らかに命じる。
《ハムレットを高く祀れ!》
軍勢がよってたかって、身体の大きい和泉を高々と持ち上げる。そこで五十鈴がマイクでガナった。
「はい、OK! そこにバミって!」
相模の指示で、軍勢の中から駆け出した舞台装置担当が次々に、相模の首にぶら提がった下敷きからテープを剥がす。起き上がったキャストの足下に貼ると、ラストシーンで倒れる位置がはっきりした。
さらに五十鈴が告げる
「緞帳下ろしてください!」
相模の声が返ってくる。
「緞帳ライン割ってます!」
「キャスト下がって!」
すぐさま、ハムレットを担いだ軍勢が後退する。その眼の前に、ゆっくりと緞帳が下りた。
これで1分。
昨日まで「リハーサルのリハーサル」を繰り返してきた成果だ。
さらに五十鈴はガナる。
「緞帳上げてください!」
「はい!」
あちこちからの声を受けて、緞帳が上がる。そこにいるホレイショーが肩をすくめて、須藤信一の演じるマーセラスを笑ってみせる。
《は! 出やしないさ》
言っているそばから先代ハムレット王の幽霊が、袖から現れて袖から去っていく。
《出たぞおい、何か言ってやれよ》
これで30秒。
ここから、尻込みするホレイショーの独りコントが始まるのだが、リハーサルはこれで充分である。五十鈴が再びOKを出すと、次のシーンのリハーサルが始まった。
装置なし・効果・照明なしのメリットは、それを合わせる手間を省けることだ。全ての出ハケの間は、完璧に合わせられた。
そこで五十鈴は叫ぶ。
「レイアーティーズ出発!」
「はい!」
沙の演ずるレイアーティーズが、年上の美浪の演ずるオフィーリアを諭す。
《身体の許しなくして頭は働かない、ましてや国を継ぐ身ともなれば。彼の愛はそういうものだ》
兄が見上げる視線で言っても、まるで説得力がない。逆に、背の高い妹に見下ろされて返り討ちに遭う。
《そんなこと言ってお兄様こそ、お父様の目の届かないところで羽目を外されないように》
そこで苗木の演じるポローニアスが現れて説教を垂れる。
《そうだ、見栄は張ってもいいが、債務者にも債権者にもなるな。倹約がばからしくなるし、友達もなくすぞ》
もっとも、レイアーティーズは聞いてもいない。妹に向かって、さっと手を振る。オフィーリアが別れの挨拶として手を振り返すと、もう袖幕の中に消えている。
「
これが、今回の秘策の一つであった。
入れ違いに、調光室にいた陽花里が舞台袖で待機する。
つまり、全員キャスト。
これが顧問の提示する稽古再開の条件だった。これを外したら、あの顧問のことだ。まさか、ここまで来て上演辞退などはしないだろうが、今後、この密約が守られなかったことを持ち出して、何やかやと無理難題を吹っ掛けてくるおそれがある。
今回の上演さえできれば、自分の面子などがどれだけつぶれても構わない。部を去るのも仕方がない。だが、残ったメンバーに自分のせいで不自由な思いをさせるわけにはいかなかった。
やりきるしかない。
だが、そこで問題が起こった。
《レイアーティーズを王に! レイアーティーズ万歳!》
《レイアーティーズを王に! レイアーティーズ万歳!》
《レイアーティーズを王に! レイアーティーズ万歳!》
群衆がどれだけ叫んでも、レイアーティーズは飛び込んでこなかった。
リハーサル時間、残り5分。
五十鈴はこらえきれずに手を叩く。
「何やってんの、レイアーティーズ!」
そこでようやく、沙が袖幕から現れた。
「すみません! なかなか先、進めなくて……」
「しょうがないよ、五十鈴!」
途中で口を挟んだのは、並木だった。
「思ったより狭いんだよ、袖に入ってくる手前の通路! 調光室からこっち来るの、時間かかって……」
「もういい! もう1回!」
陽花里も含めた「波」が、ハムレットに倒された海賊をさらって舞台袖に消える。たちまち、レイアーティーズに扇動された群衆が騒ぎ始めるが……。
「もう1回!」
結局、登場シーンの間が合わず、何度も繰り返すことになった。
「……すみません!」
小さな体を荒い息で弾ませた沙が、袖からふらふらと現れる。往復を強いられ、心も身体も疲れきっているのが目に見えて分かった。
そこで、照星高校の部長はタイムキーパーとして、厳しい一言を告げる。
「リハーサル終了3分前です!」
「はい!」
返事はしたものの、諦めはつかない。残り時間をギリギリまで使うしかなかった。
だが、最終決定権があるのは演出ではない。
「そこまで!」
なおもリハーサルを続けようとすると、顧問の制止が飛んだ。
「挨拶して終われ」
だが、部員は誰ひとりとして客席前に整列しようとはしなかった。正気を失ったオフィーリアを挟んで、比嘉の演じるクローディアスと、その妻ガートルードが立ち尽くしている。
再び、群衆が袖からレイアーティーズを呼んだ。
《レイアーティーズを王に! レイアーティーズ万歳!》
だが、沙は現れない。
照星高校の部長が、端正な眉を動かしもしないで告げた。
「リハーサル終了1分前です!」
「もう1回!」
ダメ押しの一言で、袖の奥の群衆が、再び「波」として舞台に立つ。五十鈴が手を叩くと、同じシーンが始まった。
全員が袖に消えたところで、群衆の叫びが聞こえる。
《レイアーティーズを……王に! レイアーティーズ……万歳!》
台詞はとぎれとぎれだが、それが疲れのせいではないということは五十鈴にも分かった。
全員が、斜の登場までの時間を稼いでいるのだ。
不自然といえば、不自然である。だが、この劇では不自然ではない。全てが不自然なのが、この部員全員出演の素舞台ハムレットなのだ。
やがて、レイアーティーズがいささか緊張気味に、舞台の上へと現れた。
それでいい。
五十鈴は手を叩いた。
「OK!」
その瞬間、照星高校の部長が告げた。
「陵高校さん、リハーサル終了してください!」
「はい!」
舞台上から、晴れ晴れとした声が響き渡る。段取りの上でも気持ちの上でも、これで全てが上演当日に間に合った。
舞台から降りてくる部員たちの中で、並木が沙に駆け寄るのが見えた。五十鈴はその間を引き裂くかのように、沙の腕を取って囁いた。
「さっきのでOKだけど……部内恋愛禁止」
沙は露骨に口元を歪めて、女の子らしからぬ笑いを浮かべた。
「ありがとうございます……わかってますから」
狙い通りだった。告げたことの半分は確かに本音だったが、こういう笑いが欲しかったのだ。
演出としては。
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