第30話 民話劇と蕎麦とダジャレと

「おはようございます」

 受付担当の生徒に声をかけて、五十鈴はホールの中へと入った。

 1日目はいろいろあった地区大会だったが、2日目ともなると何だか慣れてしまう。妙に緊張が緩んで、明日の上演では、うっかりすると何かとんでもないミスをしてしまいそうな気がする。

 気持ちを引き締めるために、両手で頬をぴしゃりと叩いた。

 ホール内では、部員たちからちょっと距離を置く。それでも、沙と並木を見守ることができる場所にはいた。

 二人とも、当然のように一緒にいる。楽しそうに談笑している。それでいいのだ、と思うことにする。

 だが、それとなく聞いている話には、色気のかけらもなかった。

「で、翁さん、今日の帰りは……」

「分かってます、蒲生野高校のソバですね?」

 この間、自主公演で見た『シラノ・ド・ベルジュラック』には相当の手が加えられているはずだ。帰りには調理学校でその感想を語りながら、約束のソバを夕食にしようということになっていた。

 だが……。

 そんな話をしている場合か、と思う。

 並木も、沙も!

 五十鈴はとにかく、この大会だけは乗り切るつもりでいた。地方ブロック大会まではとても出られないだろうし、落選した時点で、顧問との取引を告白して部を去らなければならない。

 逆に言えば、少しでもここにいるために、県大会には出たかった。

 そうなると、卑しい話だが、他校の出来が気になってくる。

 次の芝居は何でもなさそうだ。プログラムを見ると、民話劇『三年寝太郎』とある。

 学芸会か、と思った。これなら、それほど心配することもなさそうだ。

 シートにゆったりともたれると、開演ブザーが鳴って幕が上がる。


 ソバをすする、井戸掘りの百姓たちがいる。

《去年のソバはこれで終わりか》

《あの寝太郎にあやかりたいもんよのう》

 ぼやく男たちの中で、ひとりの若者が怒り狂う。

《村のもんがこんなに苦しんどるのに、この3年、寝てばっかりじゃろうが! あの庄屋の息子は!》

《悪かったのう……》

 噂をすれば影で、その庄屋が現れる。

《井戸を頼んだで。ワシの蔵の中のソバも稗も、来年のことを考えたらこれ以上は出せん……》

 若者は、頭を下げる。

《何とか今年は米がちょっとでも、取れるようにはいたしますんで……》

  

 予想外に、重い話だった。

 庄屋がそこまでするのは、一揆を未然に防ぐためである。だが、領主とかけあって3年待ってもらった年貢も、とうとう納め時が来る。これで雨が降らなければ、庄屋には見せしめの牢獄入りが待っている。

 それでも、寝太郎は何もしない。若者は、そこへ怒鳴り込む。

《親父の命が掛かっとるんだぞ!》

《親父ひとりで年貢がまかるんじゃ、それで済むならそれでええ》

 張り倒そうとするところへ、井戸が湧いたという知らせが来る。

 だが、それは隣村との水争いの始まりだった。


《あの寝太郎と同じか、俺も……》

 大怪我を負いはしたものの、若者によって井戸は守られる。生き神さまと崇められる若者は、井戸のそばに小屋を建てて、そこを守るようになった。

 だが、稲の収穫を前に、井戸は涸れてしまう。庄屋は牢獄に入る覚悟を決め、村人は一揆の準備を始める。若者は領主のお咎めだけは免れようと密告を図るが、それが露見して袋叩きの目に遭わされる。

 そのとき、庄屋が慌てふためいてやってきた。

《息子の気が触れた、止めてくれ!》

 山奥へ駆けていった寝太郎に追いつくと、巨石を動かすところだった。巨石は谷を転がって干上がりかかった川の水をせき止め、田畑へと流し込む。

 こともなげに、寝太郎は言ってのける。

《3年かかって、この手を考え付いたんじゃ》

 寝太郎は生き神様として崇められる。男は深く恥じて、枯れた井戸のそばで朽ち果てることにする。

 その後、することがなくなった寝太郎は眠り続ける。村人の中にも、それを真似て眠り始める者も現れた。

 最後の最後に笑えばよいのだとうそぶいて……。


 幕が下りて、その向こうから微かに、上演校の挨拶が聞こえる。

「ありがとうございました!」

 その声を聞きながら、五十鈴はたまらない不安に襲われていた。

 これは、ただの民話劇ではない。

 その思いを裏付けるように、次の上演まで行われる「幕間討論会」では、白熱した議論が交わされていた。

 マイクを手に口火を切った生徒の意見は、上演作品に否定的だった。

「頭脳労働してればいいかっていうと、そういうわけじゃ……」

 他の観客からすぐさま反応があって、マイクが回る。

「でも、それをやる天才は必要なんじゃないかな」

 討論時間はせいぜい10分くらいなので、シニカルな意見が議論を締めることになった。

「結果が評価を変えるってことなんだよ」

  

 帰りに寄った蒲生野高校では、約束の手打ちソバが振る舞われた。

「まあ、ソバつながりってことで」

 蒲生野の誇る美形の部長は、こじつけっぽく笑ってみせた。ただし、夏場なのに、なぜか、ざるそばではない。

「何で?」

 並木が尋ねたが、「出てくるまでのお楽しみ」と教えてはもらえなかった。

 ソバが出るまでの間、学校の調理室はその日の『シラノ・ド・ベルジュラック』の話題で盛り上がった。

 いちばん昂奮していたのは、沙だった。

 蒲生野高校オリジナルのシーンを、その場で再現してみせる。

 クリスチャンは、危険を冒して陣中見舞いに来たロクサーヌに男を見せようとして、アラスの野で危険な任務を買って出る。途中で銃弾の雨に倒れたのを、シラノ自ら回収に行くという場面だ。

《不思議か? スペインの孔雀ども。俺が死なないのが!》

《友を失い、恋を失い、真の怒りに震えるガスコーニュの男にはな、貴様らの鉄砲弾など当たりはせんのだ》

 プレッシャー・ウォークと呼ばれる、その場から動かないで歩いているように見せかけるパントマイムの技術までコピーしてみせながら、銃弾を紙一重でかわしつつアラスの野を往くシラノを演じてみせる。

《さあ、行こうぜ、クリスチャン……お前のロクサーヌが待ってる》

 架空の遺体を担ぎ上げたシラノが背中を向けたところで、奈々枝が破裂音代わりに手を叩く。沙の演じるシラノは、地球の引力に身体を任せて膝をついた。

 蒲生野高校の部員も交えてやんやの喝采が上がったが、五十鈴の耳には入らない。

 2日目が終わってもまだ、幕間討論会でのやりとりが心の中に引っかかっていた。


「結果が評価を変えるってことなんだよ」……。


 そうなのだ。

 努力はやって当たり前で、それに意味があったかは結果で決まるのである。

 顧問と密約を結んでまで稽古を再開して、全員キャストで舞台装置なしなどという冒険をして、落選したら目も当てられない。

 だが、思い悩む五十鈴に合わせるかのように、その場の話題は民話劇『三年寝太郎』へと移っていった。

「五十鈴は、どう思う?」

 並木に話を振られて、はっとした。劇の内容どころか、わが身ひとつのことに囚われていたのだから仕方がない。

 一同の視線を浴びながら、五十鈴は何とか心の中から返事になりそうな言葉をかき集めた。

「民話劇には、ああいう可能性があると思うな。過去の物語の中で、現代の問題を描くっていうか……」

 蒲生野の部長が、ちょっと考え込んだ。

「現代の問題? どこに?」

 五十鈴は素直に、自分が向き合っている問題を口にした。

「結果が全てを決めるんだとしたって、うまく行かなかったことに価値がないわけじゃないと思う。何とかしなくちゃいけないのよ、何かあったら……たとえば、日本人がみんな頭脳労働を始めちゃったら、汗を流すのは外国人労働者ってことになるわ。でも、それは昔、アメリカに移民した日本人が味わったことじゃない?」

 半分くらいはその場の思い付きだったが、気持ちに嘘はない。ただ、その場の一同が考え込んでしまって、座が白け返ったのには閉口した。

 上手い具合に、その沈黙を破ってくれたものがあった。

「おまちどお!」

 次々に、湯気の上がるソバが運ばれてくる。丼の中身を見て、五十鈴にも熱いソバが振る舞われた理由が分かった。

 蒲生野の部長が意味深な、そして端整な笑顔を見せた。

「昨日の活躍を称えて」

 陵高校の女子たちが一斉にふんぞり返った。

 丼の中身を珍しそうに見ている沙を除いて。

「ではみなさん!」 

 並木が手を合わせると、蒲生野の部員も一斉に唱和する。

「いただきま~す!」

 沙が、待ちに待ったという様子でソバをすすり込む。だが、その上に乗った干し魚を口にしたとき、はっとした顔をした。

「この魚……」

 並木がニカっと笑った。

「あの乱闘やらかしたの、ニシン街道のソバだったろ? だからニシン蕎麦……なんてな」

 分かっているが故に誰も口にしなかったダジャレである。乾いた笑いが調理室を満たした。

「へえ……」

 沙も曖昧に笑って、黙々とニシンのソバを啜り続けていた。

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