東の砦の戦い(1)

 砦の中に入ると、青っぽい薄暗さと静けさに包まれ、壁の中で雨が降っている。


 濃い青に沈んでいる雨の向こうに手を伸ばそうとしても、しかしそこはただの壁であり、行くことはできない。

 細やかな、しかし絶え間もなく降り続く雨。

 こんな状況なのに、それは不思議に、雨の回廊での雨のような、恐怖や不安とは縁のない雨のようにさえ思えた。

 音もなく降る雨。

 窓もなく、全てが雨だった。

 

 油断はできない。敵の仕業なのだろう。

 

 進むと、やがて雨の向こうに、直立した人の死体が浮かび上がって見える。

 死体は砦の守備兵のようで、しかしやはり手が届くことはない。

 壁の反対側に回っても、実際の死体があることはなく、また別の死体が壁の向こうに浮かび上がっているだけだ。

 更に壁の向こうは映像のように変化して、雨の中の死体を悪魔の姿をした魔物達が、拷問したり、犯したりしている。

 いかなるまやかしなのか、それとも、実際にこういうことがどこかで行われているのか、もしくは行われたのか、わからなかった。

 その酷い拷問で死体がいたぶられている有り様は、現実感のないものには思えた。

 だけどどこかで、これはやはり現実にあったことなのだとも思われた。

 

 五階まである砦の階を調べさせたが、どこも同じで、ただ雨と死体と拷問とがあるばかりであった。

 

 最上階で、敵はもう、去った後なのだろうか。

 見つからないなら、長居は無用かとミシンが思案していた時、兵が駆けてきて、ミシン殿の側近の男が様子がおかしい。暴れているようだ、と伝えた。

 

「ミルメコレヨン達……だな!」

「ええ、四階です。私らにはどうしようもなく……来て頂けますか?」

 

 駆け付けたミシンは思わず、驚くことになった。

 

「ウウ! ウウ!」と癲癇でも起こしたような奇怪な格好で、奇声を発しながら、這いつくばったり、かと思うと急に立ち上がったりしてひとっところを回っている、マホーウカだった。

 背筋のぞっとするくらい急いた様子である。

 周囲で見守る数名の兵はただ呆気にとられており、それはミシンでも同じで、この責任を問うように癲癇持ちの哀れな男の主を呼んだ。

 

「ミルメコレヨン! 何してる。止めさせ――」

 

 しかしミルメコレヨンはミルメコレヨンでおかしかった。

 ミシンの言葉も耳に入らないらしく、真剣な面持ちで「探せ! 早く! 早く探せ!」とマホーウカに命令している。

 

「お、おい、いい加減に――」

 彼に寄ろうとしたミシンをミルメコレヨンは見もせず制した。

 

「ウウ! ウウ!」

 突然、マホーウカが片手をぴんと伸ばし、雨の降る壁の下の方を指差した。するとミルメコレヨンは無言で剣を抜きそこを見つめる。

 

「そこは、壁だ! 無駄だ」

 ミシンの言うことも全く聞かず、でいや! と一声するとミルメコレヨンの剣は、雨を切り裂いたのだった。

 

 ぱたん!

 

 と、男がして、雨に黒い丸戸のような入口が開いた。

 

 マホーウカがまず飛び込み、傍らにぎょろつく目で控えていたマホーウマも蛙のように飛び込み、ミルメコレヨンも身をかがめると躊躇なくそこへ入った。

 

「な……」

 その間言葉も出せなかったがミシンもすぐにそこを覗いてみる。

 

 中は真っ暗だが、雨が降っているのがわかり、時々青い何かが明滅した。

 青白いすばしっこいものが、幾つか視界を遮って飛び交う。

 

「て、てき……」

 〝敵〟なのか!

 ミシンも、その一室に飛び込んだ。

 兵達の何人かも、続く。

 

 暗闇の中で、マホーウカがウウ! ウウ! と叫んでいる。

 マホーウマが蛙のようにぴょんぴょん飛んでいる。

 ミルメコレヨンが「いたぞ!」と叫び、剣を振る。

 

 ミシンは、見た。

 それはまるで雨の回廊のレイメティアにいた子どもくらいの大きさのあの青白い人型と同じだった。

 が、それは雨の回廊で見たのとは違い、ものすごいスピードで室内を駆け巡っており、中には好戦的にミシン達に飛びかかってくるものもあった。

 ミシンは剣を抜き、打つ。

 斬れた感触はない。

 素早すぎるのだ。

 兵も二人、三人と入ってきてミシンに加勢する。

 が、二十かそれ以上はいたと思える敵達は、ごく短い時間で、三、四体ずつ姿がぱっと見えなくなり、完全にいなくなった。

 ものの一分二分程度の間の出来事だったように思われた。仕留められた者はないようだった。

 

 部屋の方々で、青白いゆっくりとした明滅だけが残っている。

 

 青白く照らされたミルメコレヨンはさきまでの勢いは今は完全に消失しており、ひどく消耗して病的に映った。

 

「ここにはもうおらん……」

 

 そう言ってミルメコレヨンはさっと一室を退出していった。

 マホーウカらも、がっくりと首を垂れて、のそのそと主に続いた。

 

 兵らはあっという間に戦いが終わり、ミルメコレヨンらががっかりした子どものように部屋を出ていくのをぽかんと見ているばかりだった。

 

 耳を澄ますと小さな滝が流れているような音が聴こえたが、それはどこか遠く遠く隔たったところでしている音のようにかすかだった。

 

「我々も、出よう……」

 ミシンが促し、全員が部屋を出た。

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