対峙(2)
霧の中に浮かぶ顔のないまったくの影絵である。
青い影。
〝敵〟は影の剣を抜いた。
ミシンは息を整える。
そうだ。望むところだ。
剣を抜いて対峙する。
こいつが、境界の〝敵〟……どうしてだろう。この感じは……ミシンは、初めて会った、という気もしなかった。
それどころかどこかに親しさをさえ覚える。
何故。
息が、自分の吐く息がとても静かになった。
落ち着いている。
死ぬよ……ヒュリカの言葉が脳裏に甦る。
間合いを詰める。
また緊張が高まる。
霧の中、誰も来る気配はない。
〝敵〟は、剣の構えも間合いの詰め方も、おおよそ強いとは思えない。
ミシンは切りかかる。
〝敵〟は動かない。
切った。
肩から脇へと斜めに切り込んだ。
手応えは深い。
致命傷のはずだ。
だが、切り終えた瞬間、ミシンは妙な、不安のような恐れのような名づけようのない気持ちに襲われた。
すれ違う瞬間、〝敵〟と体が触れた――いや重なった? するとさきの妙な感情が急激に倍増したかのようにミシンの体を何かが駆け巡ったのだ。
はっ!
ミシンは息を一つ吐いて〝敵〟から離れる。
もしかして、斬られた?
がくんと、膝をつく。
自身の体に触れる。
斬られた、わけではない。
だけどどうしようもなく、冷たい。
汗が噴き出してくる、その汗もとても冷たくて、気持ちが悪い。
何人かが、霧の中から来る。人……城の人達、だ。ヒュリカ。ヒュリカもいる。
〝敵〟はすでに、揺れながら消えていっている。
「一体残っていた、と聞いた」
息を切らして、ヒュリカが言う。
「街中で、あなたの仲間の一人がやられたと聞いて、来たのだ」
やられた。誰が……死んだ、のか?
「おい!」
ヒュリカがミシンの体を揺さぶる。
「はぁ……っ」
息……を、していなかったのか。
ミシンはそう思うとすぐに息をいっぱいに吸い込んで、咳き込む。
生気がいっぱいの境界の空気が身体に入り込んでくる。
「〝敵〟は……逃げた、のか?」
荒い息のまま、ミシンは問う。
戦士の誰も、剣を抜いたり、追おうとしていない。
敵は倒された、らしい。
ヒュリカは、ふう、と息をついて応えた。
「大した〝敵〟じゃないんだ。こんなものさ」
「そうなのか……」
「 だけど私達、境界で戦ってきた者にとっては、ね。だからあなたは、よくやった」
えっ、とミシンは思った。
ヒュリカが、優しく微笑みかけてくれている。
嘘や慰めでない微笑み。労り、なのか。
ヒュリカはおそらくミシンの初めて〝敵〟を切ったその感触がどんなだったかを解してくれている。
「あれが、境界の〝敵〟なんだよ」
ミシンは思い出す。
境界の〝敵〟……なんだかまだ体が冷たい。
ヒュリカが伸ばしてくれた手に触れていた。
温かみが、伝ってくる。
こんなの、全然大したことない。
そうだ。こんなの何てこと、ない。
「境界でひとり、初めて〝敵〟と対峙してあなたは恐れることがなかった」
よくやった、とヒュリカは言ってくれているのか。
ただ真っすぐにミシンを見つめている。
あなたは強い。大丈夫と。
その一方で、どうだった。と。
境界で〝敵〟と戦うというのは、こういうこと。
ただ敵を斬って、退ければいい戦いではない。
〝敵〟は私達にこうして触れてくる。触れてほしくないところにも。侵入してくる。誰にも入られたくないところにも……あなたはこの境界で、この〝敵〟達を、戦っていけるの? 私達と共に…… ……
戦士らの数名は念のためと、そのまま街の巡回に消えていった。
城へ戻る途。
商店街を外れて、街の外れの方にまで行っていたらしい。
ミシンとヒュリカは並んで、言葉もなく歩く。
大通りへ来ると城の明かりが見えてきた。
「あなたがやられたのかと思った」
ヒュリカがふとそう言った。
そう言えば、誰かがやられたのだと言っていた。
もしかしたらあの部下のどちらかが、今頃城で手当てを受けているか、もしかしたら、死んだのか。
「……」
「今後絶対、こういうことはしないで」
「だけど僕は……戦いに来たんだ。これで、戦えることがわかった。きみも、さきそう言ってくれたんじゃないのか? 僕は、聖騎士だ。戦う……戦える」
「自惚れているのかな。だから、私を、私達を呼んで」
「えっ」
「この城には、境界の戦士達がいるんだから。これからは、皆で一緒に、もっと多くの、もっと強大な〝敵〟と戦うことになるのだから」
ヒュリカは前を向いたまま、そう話している。
ミシンも前を向いて、頷いた。
ミシンは城に戻ると、浴泉で身を清めた。
芯から温まる。
〝敵〟と対峙したときの感覚はもうすっかり取れている。
〝敵〟。
自分は、〝敵〟を倒したんだ。
実感は、今ひとつ込み上げて来ない。今は。
それからミシンは一人で部屋にいるよりも、中庭に行き、人がいる中で温かい飲み物でも飲んでそこにいたかった。
だけどミシンはそう思いながら、ベッドに突っ伏した。
すぐに、眠りが訪れてくる。
その中で、ミシンは思う。
些か、勇み足だったことは事実だ。
でもそれをわかってやった。
心配はかけたが、これでいいのだとミシンは言い聞かせた。
境界で戦う一員として、認められたはずだ。
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