境界戦(一日目・午前)

 総大将旗を掲げたバッシガ(白鬚の老将だ)率いる一の隊が先陣を切り、二の隊をヒュリカ、三の隊をライオネリンという将(貴族風の男だが、戦装束を来ておりミシンに話しかけた男とは違う)が率い、前線の三部隊総勢二百五十が出立した。

 四の隊のイリュネーは、射撃部隊として前線を援護する。 

 ミシンの隊はこの後に発ち、今はまだ街はずれの街道付近に布陣して兵站を担う六の隊のハイオネリン(こちらの貴族風がさきミシンに声をかけた男だ)と連携し、前線との連絡を担う。

 当面、戦闘任務はなく、輸送が主になるので危険は少ないだろうと。境界内地へ入り込めば危険も増えるし、前線の援護に出ることもあるだろうとのことだった。

 

 ミシンは、街はずれから七メルーグ程進んだ地点に布陣した。

 ここまで来ると、白く滑らかなダレム石畳の街道も随所で剥がれて疎らになり、草地とのまだら模様になっている。

 草地は左右に拓けて両側は鬱蒼とした、境界の森が連なる。

 草地は地平線の向こうまで続きその先は空に溶けて見えない。

 四の隊は更に三、四メルーグ先におり、馬を馳せれば半々時とかからず連絡の取れる距離にはある。

 空は、水の霧が、城下街よりも些か暗色を含んで濃くなっているように思われた。

 

 出立は早朝で、時刻はまだ朝の内である。

 兵舎は立てず方陣の形で、馬のある者は馬を下り、兵はめいめいに休み、一部は交代で木陰にやり軽い朝食を取らせていた。

 ミシンも、境界小竜の舌煮スープを啜って身体を温めた。

 戦慣れしているミジーソは十分に落ち着き払い、ミルメコレヨンらはいっとう木立の隅っこで無言でスープを啜っている。

 その内に四の隊から兵が駆けてきて、間もなく前線が敵とぶつかる、と知らせてきた。

 

「早くも戦の始まりか」

 

 ミシンは器を置いて立ち上がった。

 辺りは静かで、隊には緊張だけが少しずつ、高まる。

 

 オオゥゥゥゥーーン…………

 

 突如、静けさを破り、空一面に広がるような不気味な高い声が、響いた。

 それは境界を賭けた戦の開始を知らせる角笛のようでも、何かの予感を感じ取った巨大なのっぽの怪物が思わず上げた叫びのようでもあった。

 

「前線部隊と敵部隊がぶつかったのだ」

 イリュオンがそう呟いた。

「何。我々はここで立ってみてるだけでいい。前方の姉じゃの出る幕もまだなかろう」

 

 すぐに、草地の果てる地平から、戦塵が舞い上がってくるのが見え、それはもくもくといかにも凄い勢いで巻き上がり、真っ黒い色を帯びたそれが空一面に広がりだした。

 ミシンは些かの戦慄を覚え、兵らにも最初幾らかの動揺があったが、動じている程ではない。

 地平線の遠く向こうで、人ならざるものの叫びや、剣の響き合う音も、かすかに響いているのが聴こえる。

 

 よく見ると、遠目にだが、高く昇った煙は方々で牛のような馬のような形になり、まるで奇形のように頭や角が幾つも飛び出し、大小の口をぱくぱくさせ、くんずほつれずぐるぐると回転し、互いを巻き込みながら上へ、上へ昇っていく。

 

「なんなのだ……あれは」

 思わず独りごちるミシンの隣にイリュオンが来て、

「ふむ。こちらが勝っていると見ていい」

 と平静な様子で語った。

 

「あの煙は、果てゆく敵どもが邪気と化して消滅していく時の姿。前線部隊がどんどん敵を斬っている証拠よ」

 

 その後もしばらく煙が沸き上がりつづけ、やがてそれが空に拡散して見えなくなる頃、前線からの戦況報告が入り、まずは敵の第一陣を蹴散らしたとのことだった。

 

「まあ、予想通りじゃな」

 各隊、逃げた敵を追討して更に第二陣、三陣にと打撃を与えているという。

 ミシンらの隊もこれに合わせて、前進することになった。


 十メルーグ程は移動し、四の隊の後尾が見える位置で陣を張った。

 時刻は昼時になっており、そのまま昼食になった。

 早くも、随分入り込んだなとミシンは思う。

 まだ、周囲の景色や空気にはさほどの違いは感じられなかった。

 

「最初の砦のあるところまでは、まだここから三十メルーグは移動するとのことですからな」

 ミジーソが、がっつりと二足蜥蜴の焼肉をかじりながら、言った。

「順調にいけば今日の内にもその半ばまでは動くかもしれんとのことですじゃ。しっかり体力をつけておかんと」

 

 いつ前線に引っ張り出されてもわしは大丈夫ですぞ、とミジーソは気丈な様子だ。

 ミルメコレヨンらは姿が見えないが馬はあるので遠くには行ってないだろう。

 人を避けて隅っこで食事をしているに違いない。

 

 近くでは、こちらは小食なのか既に小皿をからにしたイリュオンが木に背を持たれさせている。

 そこへ四の隊から三騎が駆けてきた。

 

「イリュオン」

 イリュネーが馬を下りて弟に駆け寄る。

 

「おお姉じゃ」

 イリュオンも立ち上がり、無事を労う。

 

「当然よ」

「姉じゃは敵と交えたか?」

「いいえ。出番がなくて、退屈。時々飛んでくる敵の首に目がけてふたつみっつ矢を射ったくらいね」

「いいのう。それだけでも。こちらなど、突っ立っておっただけだぞ」

「いいのよ」

 イリュネーはミシンにちらりと目をくれつつ弟に、

「あなたは、わたしの困ったときに動けるようしていてくれれば」

 

 そう言うと、颯爽と引き返していくのだった。

 ミシンには言葉も挨拶もなかった。

 

 何しに来たんだ。とミシンは思う。

 姉弟同士でわざわざ必要もない労いをし合って……そう思うと、イリュネーが弟に見せていたさきの笑顔も、ただ腹立たしいものに思えてくるのだった。

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