境界戦(二日目)
二日目も、味方の攻勢は続いた。
ミシンはやはり、前線部隊の戦いが見えない中軍の地点で、戦況を見守っていた。
この日は、昨日のように戦塵が降ってきたり、舞い上がっているのが見えることもない。
「味方は苦戦しているということなのか?」
「いや、そうでもなかろうな」
ミシンと並んで立つイリュオンが答える。
「境界の敵の姿かたちは様々であるのだ。斬ったもの全てがあのような邪気に変わるわけでもなし、ただ消えていくもの、人と同じように死骸を野ざらしにするだけのものも、ある」
ただ消えていくもの、か。
ミシンが斬った敵も、そうだった。
あれ以来、昨日降り注いだ悪鬼の欠けらを斬っただけだ。
あのとき感じたような気持ち悪さはなく、これなどはただ獣を斬るのと同じようだ。
無論まがまがしく、このような姿を見るのも気持ちのいいものではないし、ヒュリカらが実際に戦っているその本体がどのようなものかはわからないのではあるが。
一体境界にはどのような敵が、どれ程の数、存在するのだろうか。
計り知ることはできないのかもしれない。
その後も戦塵は一切見えないが、戦況報告は時折入ってきて、順調に押しているというふうなものばかりで、今のところ心配もなさそうだ。
「のう。わしが言った通りであろう」
「うむ……」
それにしても二人は全く突っ立っているだけといった風情ではあった。
その内、敵を壊滅させたという報が入ってくるのだろうとミシンが思っていた折、突如のことだった。
ウワアアアアという乾いた叫びを上げ、こちらの陣に向かってくるもの――人ではなかった。
二本足で走ってくるが、手はなく、下半身を失って前足だけで無理矢理走っている馬といったふぜいの化け物だ。
ウワアアアア。
まるで凄まじい勢いで、駆けてくる。
「敵か。なんだあれは?」
ミシンの方目がけて、一直線に来る。
狙ってきているのか。
「ミシン殿、危ういぞ!」
イリュオンが叫ぶ。
兵が追いすがるが、いずれの剣の切っ先も届かない。
「くっ」
ミシンは剣を構えた。
「だめじゃ危ない、よけよ!」
ウワアアアア。
来る。
でかい。姿かたちはそのまま、半身だけの馬なのだが。イリュオンの言う通り、まともに当たれば弾かれそうだ。
ミシンは一度身を横に交わし、凄い勢いで駆け抜けていった化け物にもう一度向き合おうとする。
が、化け物はそのまま一直線に、走り去っていく。
ウワアアアア……
「なんだ……狙ってきたのじゃないのか? どこへ行く?」
また、来ました! こっちもです!
と兵があちこちで叫ぶ。
ウワアアアア。
「なっ」
同じだ。
ウワアアアア。
ウワアアアア。
二本足の化け物馬が、前方の今度は数ヵ所から駆けてくる。
ウワアアアア。
ウワアアアア。
ウワアアアア。
ウワアアアア。
これらは、同じように陣中をただ駆け去っていったり、陣中でどっと倒れて起き上がれずにもがいたり、あるものは兵とぶつかってもと来た方へ駆け戻っていったり、大騒ぎである。
駆け去ったものも、後方の陣を突破するのが目的でもないようで、森の中へ消えたりほとんどが見当はずれの方向へ姿を消していくのであった。
「人騒がせな……敵、……なのかそもそもあれは。前線を抜けてここまで達したのかな。となると、大丈夫なのか、前線は」
「おそらく、昨日の戦塵となった悪鬼の欠けらのように、前線の戦いの残りカスのようなものじゃと思う。前線は心配なかろう」
「残りカス……そうなのか」
ミシンは半ばあきれたが、それより、とイリュオンは念のために陣を抜けて散っていった化け物を、兵に追わせておいた。
もしまぐれにも、後方の陣に辿り着いて、ハイオネリン殿のティータイムの邪魔をしようものなら、大目玉を食らうのはわしらじゃからな、と言って。
中軍に一騒動あったのはそれ限りで、昼前には、前線は敵を一掃したとの報告を受けた。
それからイリュオンは、一応ああいうことがあったからと、姉のイリュネーを心配して陣中に様子を見にいこうと言った。
余程姉思いの弟だとミシンは思うのだった。
隊を境界の奥へ進めがてらに、ミシンとイリュオンは前方に布陣する第四隊を訪れた。
やはりとくに、被害もなく変わりもないようだった。
「イリュオン。よく来た」
イリュネーは機嫌よく弟を迎えたかと思うと、ミシンに対しては、きっ、と睨みすえてくる。
ミシンは思えば最初に軍議でもこうして理由もなく睨まれ、面目を失することになったのだと、なぜ会う度にこのようにされねばならないのかと、腹立たしさを覚えてきた。
「……あのさ、イリュネー部隊長」
「はあ? 何だその物言いは」
「何だって、こっちの台詞だ」
イリュネーは、ミシンが気丈に向かってきたことが予想外だったのか、少し表情を変える。
「な、私が何かおまえに言ったか!」
「口で言わなくても、その目でいつも言っているだろう」
今度は目で、イリュネーを睨み返す。
それは今一つ眼力のない睨みではあったが、イリュネーは目を逸らせていた。
睨み返されるということが今までなかったのだろう。
「戦場に出てまで、なんでこんなふうにつっけんどんにされなきゃならない?」
「な、なに、よ……」
目を逸らせたまま、イリュネーは意外にもミシンの一押しでたじろいだ様子を見せる。
「ミシン殿。突然何をする。姉者に謝れ」
イリュオンが間に入ってくるも、ミシンはいい加減、彼にも開き直り、
「謝れだって? 何故だ。同じ部隊長同士じゃないか。存外な対応をされ、失礼だと言っているんだ」
「な、何貴殿……」
「それにイリュオン。この部隊の指揮者は、僕だ」
「く……そ、それはそう、じゃ……」
イリュオンも、一押しですくんでしまった。
ミシンは、普段は大人しくしているだけで、自分の言っていることは正しいのだということをこの機会にとことん証明してやろうと強気になっていた。
コホン、と咳払いが聴こえ、いつの間にかやって来ていたのは、後方部隊の部隊長ハイオネリンだ。
「で、その指揮官たるおまえの判断で、こんなところまで来ておったのか。
ならば指揮官として、失格だな。おまえ自身の隊が伸びきっておるし、後方の我々との間を空けすぎじゃ。わしがそれを補ってやっているが……」
ハイオネリンはくどくどと続けた。
「敵はどこから来るかわからんのだ。横合いから攻められればどうする」
「は、はあしかし……」
「はあではない! しかしでもないのだ。同じ部隊長でも序列があるに決まっておる。おまえなどは一番端なのじゃ」
彼はそうはっきり言い切った。
ミシンも、高官でありよほど年長であるハイオネリンにはさすがに言い返すわけにもいかなかった。
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