東の砦の戦い(2)

 部屋を出て見れば砦内の雨は消えており、元の壁に戻っている。

 はっとして振り返ると、さきの一室の入り口ももうなかった。

 

 砦内部にはそこかしこに生々しく血が飛び散っており、乾いて変色している血も、まだ新しいと見える血痕もあった。

 すぐ、三階の一室で大量の死体が見つかったと兵が知らせてきた。

 そこには夥しい死体が集められており、他に何もないその部屋の天井付近にまで積み上げられていた。

 死体には、映像に見たような拷問を受けた痕があった。

 

 今一度、砦の全室を捜索させたが、他にこのように死体が見つかった部屋はなく、全ての死体がここに集められていると考えてよさそうだった。

 それだけの多量の死体だった。

 

 調べると、砦の守備兵と、ライオネリンの部隊の兵だとわかった。

 ライオネリンの遺体も見つかった。

 部隊長から初の戦死者が出たことになり、部隊も一部隊まるごとが全滅だった。

 

 ヒュリカはおらず、死体の中にはヒュリカの部隊の者はなかった。

 そうなると城外に倒れているのがヒュリカの隊と考えるのが自然だった。

 本物のヒュリカの死体も、あの影の死体のどこかにあるのか、……ヒュリカの死体、と思ったことにミシンは頭を振るった。

 

 外は、相変わらず黒ずんだ風景のままだった。

 兵数名に砦の入口を守らせ、異変があればすぐ知らせるよう指示しておいたが、外は全くこの風景のまま動くことすらなく、全く変わりはなかったとのことだった。

 内部にいたあの小さな敵が、砦から出て去っていかなかったか確認したが見なかったという。どこへどう消えたのか知れないが、ミルメコレヨンが言ったように砦にもう残ってはいないことも確かなのだろう。

 

 ミシンは、当然気の進むものではないが、外に散らばる死骸を、砦内に運び確認しようかと思った。兵らも、気丈に、それに従うと言う。

 

 しかしその矢先、思わぬことが起こった。

 

 ウフフフフ…………

 

 同じだ。またあの声が近くから聞こえてくる。

 

「あそこです!」 

 兵の一人が指さす先。

 

 まただ。とミシンは思った。

 ヒュリカだ。

 兜を脱ぎ、髪を垂らした影のヒュリカが、さきとは違う場所でまた、立ち尽くしている。

 

「僕が」

 ミシンは言い、自ら剣を抜いてそれに向かった。

 

 ヒュリカ……ミシンはその名を呼びかけようかとも思ったが、明らかにこれはヒュリカではないことはわかっていた。

 このようなまがい物に、ヒュリカの名を尋ねかけることは憚られた。

 ミシンは一太刀で首を断った。

 

 ウフフフフ…………それでもまだ漏れる声。

 

 ミシンは何度も、斬りつけていく。

 偽物はやがては声を失い膝を折って倒れる。

 黒い血しぶきが跳ねている。

 

「く……」

 わかっていても、苦い思いを飲んだ。

 汗が伝っていた。

 ミシンはふらつく腕を挙げ、任務の遂行を告げる。

 

 ウフフフフ…………

 

 ミシンは耳を疑いたかった。

 だが、紛れもなかった。

 まただ。

 幾らか離れたところで、ウフフフフ…………と声がしており、既に別の影のヒュリカが立ち尽くしている。

 ミシンはふらつきそうになりながら、再び剣を抜いた。

 兵がミシンを支え、止め、近くにいた兵らが三人掛かりで猛烈に斬りつけ、

「偽物め」「早くくたばれ!」「もう、いいだろう!」

 と言いながらそれを仕留めた。

 

 ミシンはしばらく、何も言うことができないでいた。そしてミシンが次に何かを言うより早く、

 

 ウフフフフ…………

 

 兵らが、ざわついた。

 諦めのような嘆息や、悲鳴に似た声を発した者もいた。

 気丈に、

「あそこです! ミシン殿!」

 と言う兵も、いた。

 そこへ向かっていく兵もいるが、近くにいても力なく立つしかない者もいる。

 

 ミシンは、へたり込みたい気持ちで、

「いい、もういい……退く! バッシガ殿の元へ一旦、退くぞ!」

 と力を込めて叫んだ。

 

 ウフフフフ…………影のヒュリカはその場を動くことなくずっとそこに、立ち尽くしていた。

 

「ヒュリカ! ヒュリカ、きみは、どこへ……」

 

 ヒュリカの偽物をあのままあそこに立たせておくことに、ミシンはいたたまれなさを覚えたが、後ろを振り向かないようにと念じ、馬を馳せた。

 

 ミシンらがもう後ろを振り返る気力もなく、西へ馬を馳せると、またあるところで急に黒が晴れ、色が戻ってきた。

 このことで再び勇気づけられる気もしたが、俄かなものだった。

 確実に隊は、消耗しきっていた。

 初戦の頃にあったような敵部隊とのぶつかり合いの方がどれだけましじゃなかろうかとミシンは思った。

 いっそ、そうやって敵を切り刻めるなら自分もそうしたいと思うほど、気持ちは遣り切れないのであった。

 一方でそうだったか、これが本来の境界での〝敵〟との戦いということなのか、とも思い気を強く持とうとするのだった。

 

 色が戻った境界の森も空も既に朱を帯びかけており、隊は馬を先へと急き立て、今は安らげる砦を、目指した。

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