ヒュリカ

 一階の、王間への大階段を迂回してゆくと、城の奥へ奥へと進んでいく。広い城なのだ。

 そしてそこにこれが城内かと思わせる、広大な中庭はあった。

 

 そこに一歩足を踏み入れると、また、むっとした生の気配が溢れる。

 

 一瞬、外なのかと見まがう。

 土地に生えているのと同じ植生に庭全体が覆われており、しかし上の方を見上げると城の天井が確かに見えている。

 外と同じような水の霧が包んでおり、心地よさを感じた。

 外よりは幾ばくか明るい印象がある。

 

 霧の中、其処ここに、人影がちらほら、思い思いに身体を休めている。

 テーブル席にくつろいでいる者、直に草地に寝そべっている者。

 そこそこの人の数だが、十分に間をとってひとりひとりが休めるくらいに庭は広い。

 ひとり静かにいる者も、二、三人で控えめに談笑している者らも、いる。

 その全てが薄い影として見えていた。

 

 奥へ奥へ続く庭のそんな風景を眺めながら、ミシンはそぞろ歩いた。

 

 なんて広い庭。

 時折、人の姿が見えなくなり、生い茂る植生に遮られて城の壁も見えなくなり、ともすれば鬱蒼とした森の中にいるようだ。

 

 空気が澄んでいる。

 動物のいる様子はない。

 だけどやはり立ちこめる生それ自体の気配。

 

 ふと傍らの樹々、ずっしりした植物の幹にもたれかかっている、黒い甲冑姿。

 

 ミシンは立ち止まる。

 

 この人……騎士?

 

 胄に隠れて表情は見えない。

 静かに瞑想しているようにも、じっとこちらを見つめているようにも思われる。

 

 ふう……と、その胄の下から溜め息がもれてミシンは、はっとする。

 

「都から来たのか……騎士、いや聖騎士殿」

 

 胄を、すっと脱ぐ。

 長い豊かな黒髪がふわっと揺れて肩に落ちる。

 同じ年頃の、青年……霧の中に浮かぶ綺麗な顔に、ミシンは気後れする。

 

 ややあった後、

「……あの、さあ」

 かちゃり、と音をさせてミシンの前に歩んでくる。

 

 すらりと背が高く見えるが、ミシンよりは少しだけ低い。

 

「挨拶もなしに、じっと見てきて」

 凛とした声。

 

「す、すまない……初めまして。その、きみは……」

 

 戸惑っているミシンに小首をかしげて問うてくるその表情がたたえているのは、間違いなく少女の幼さ。

 女。大人らしい若者と見まがったが、目の前のこの騎士は、確かに女だ。

 まだ少女の面影を残す……年は同じ位だろうか。

 

「何か、さ」

 彼女は溜め息をつくように言って、急にそっぽ向いたふうになる。

「きょろきょろと、おどおどとして」

 

 騎士はまたかちゃりと音をさせてミシンから離れて、樹の幹をとんっと叩いた。

 

「えっ……」

 

「ガシュレ樹。ガシュレの木。さっきからきょろきょろと見渡しながら歩いてたでしょう?

 あなたの周りにたくさんある、それに城の外にもっとたくさん生えている、境界に生息する植物」

 

 ミシンは何と返答したものかわからないで戸惑う。

 

「あなたは、境界の空気に圧倒されている……すぐ向こうに蠢く、たくさんの〝敵〟達の放つ気」

 

〝敵〟……と彼女は言った。

 

「それと対峙している私達の放つ気。そういうのを引っ括めた気を吸い込んで、この土地に濃い酸素を送り出している植物達。ここはだから、生の気がとても濃い。

 戦えるのかな? あなたは」

 

 騎士はもう一度ミシンの前に来て、さきと反対側に首を傾げる。

 強気な瞳だ。

 境界で育ち、これまでこの境界で戦ってきた……そしてこれから、共に戦うことになる……

 

「……」

 騎士は少し黙した後、

「ヒュリカ」

 と名乗った。

 

「私は境界の騎士、ヒュリカだ。……まったく騎士の礼儀も習ってないのかな。それとも聖騎士っていうのは、騎士とは違うもんなんだ?」

 

 ミシンもすっと姿勢を整えて、名乗る。

 

「ミシン……だ。戦う。戦いに来たんだ、僕も。一緒に、戦おう……」

 

 溢れる生の気配が、ミシンの呟きにも似た言葉を飲み込んでどこかへやってしまいそうになる。

 

 ヒュリカは顔を真っすぐに、ミシンを見つめたが、一度だけ微笑んで、はあやれやれと言ったふうに胄をかぶり直す。

 

「さきまで、隊を率いて見回りをしていた。今夜は、霧が濃くなりそうだ。慣れない境界の夜を、出歩かないことね。甘く見ると……死ぬよ」

 

 かちゃり、と音をさせてヒュリカは去っていく。

 

 残されたミシンは、肩すかされたような気分になった。

 

 騎士の礼儀くらいは知っている。

 だけど、ただ同い年の者らとの会話が苦手なのだ。

 その上、ヒュリカは女だった……挨拶も名乗りも忘れて戸惑ってしまったのは恥ずべきことだけど。

 だけど、そのことよりも、自分がもっときっと身を引き締め、共に戦おう! と強く言いたかったのに、あんなふうにいざ言葉に出すと呟きにしかならなくて、そのことが残念だった。

 初めて会った、これから共に戦うだろう騎士だったのに。

 もっと、しっかりせなば……

 

 ミシンは肩を落として、ヒュリカが行ったのとは反対のもと来た方へと戻った。

 

「おや。ミシン殿、貴殿もすてきな散歩のお時間ですかな?」

 

 ミルメコレヨン。

 さきのことを見られたわけではないだろうに、ミシンは何だかきまりが悪くなるのであった。

 ミルメコレヨンらの方は旅の疲れから解放されてなのか妙に機嫌がよい。

 なんでこんなときによりによってミルメコレヨンなんだろう。

 

「ミシン殿。お散歩か? 楽しいか」

 部下の二人も相変わらずだ。

 

 ミシンは今回ばかりは無視を決め込んだ。

 

「おお、はて? お疲れなら寝てればいいものを……折角、部屋にいいベッドがあるんだから」

 

「これから、一寝入りするところだ」

 

「おお、ほうほうそうですか。でしたら宴の前には起きた方がいいですぞ? 折角、我々を歓迎してくれる宴なのですからなぁ」 

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