精霊様と契るには?


「凄い! さすがは精霊様!」


 ニムの甲高い賞賛の声が背中に響く。

俺の足元には爪で切り裂き、炎で焼いたローパーがプスプスと煙を上げていた。


(人間のころはうだつが上がらなかった俺だったから、こういうの結構嬉しいかも!)


「精霊様、こちらです!」


 ニムは跳ねるように走って手招きをしていた。

どうやら彼女はこの谷底の道筋を知っているらしく、俺を彼女の住まいに案内してくれるという。


「ふしゅる~」

「ひ、ひやぁ! ローパーぁ~!」


突然現れたローパーにニムはビビッて尻餅をつく。

そんなニムに変わって俺は、真っ赤に発熱する爪でローパーを切り裂いた。


 切り裂かれたローパーは爪の熱を受け、真っ赤に燃えて力尽きる。


(これが”ヒートクロー”の威力か。爪の物理攻撃に加えて、熱の力で相手を燃やし尽くすと)


「うわぁ~ん、精霊様ぁ! ありがとうございますっ、ぐすん」

「お、おう……」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔のニムの、かぴかぴしている髪を撫でて落ち着ける。


(そりゃあんなことされればトラウマにもなるよなぁ。まだちょっと髪がかぴかぴだし。ほのかに感じるイカ臭さ……)


 ローパーは全部俺が引き受けよう。

そう決意し、俺は谷底を進んでゆく。


 そうしてローパーを蹂躙しつつ、谷底を進んでゆくと、道の向こうに明かりがさしているのが見えた。


 谷底とは違い、清々しい空気が肺を満たす。

柔らかい土の感触と、爽やかな緑の香りはそれだけで気持ちをリラックスさせた。

ニムに導かれ俺は谷底を抜けて、樹木が生い茂る森に来ていたのであった。


 幻想の森とは違い、清々しく太陽を浴びて枝葉を鮮やかに燃やす森の中を進んでゆく。

やがて木々の向こうに丸太を組んで立てられた見上げるほど大きな壁のようなものが見え始めた。

丸太の壁の前では軽装の兵士達があわただしく右往左往と駆け回っている。

その中心には、この間ニムの横にぴったりくっついていた”忍者のような女戦士――ユウ”の姿があった。


「みんな、もどったよー!」


 ニムは声を張って駆け出す。

すると兵士達はぴたりと動きを止めた。


「姫様!」


 ユウは真っ先に飛び出す。

そしてニムを強く抱き止めたのだった


「ただいま、ユウ!」

「良かった、ご無事で……本当に、本当に……!」

「も、もう、ユウは大げさなんだから……あれぐらいでユウが師匠な私がどうにかなっちゃう訳ないでしょ?」


 ユウはまるで母親みたいにニムを強く抱いて、髪を撫で、その感触を味わっている。

しかしかぴかぴになっている髪にユウの指先が引っかかった。


「姫様、何故髪がかぴかぴに? それにこの臭いは……?」

「あ、えっと、うん……ローパーにね、ちょっと……」

「なんと!?」


 バッとユウはニムを離した。

そしてペタペタとニムの身体をさわりまくる。


「ちょ、ちょっと、くすぐったいって!」

「くんくん……ちっ、欲情の臭いか。ローパーめ、姫様へなんて仕打ちを……」

「ユ、ユウ?」

「大丈夫ですか!? まさか奪われたりはしていませんよね!? 姫様の大事な大事な初めてを!?」

「あ、うん。そこらへんは大丈夫かな? たぶん……あはは……」


 ニムの乾いた笑い声が響き渡る。

ニムは眉間に皺を寄せた。

その顔はまるで鬼か、悪魔か、不動明王。


「おのれ、ローパーめ……下等な闇の眷属ごときが姫様の美しい御身を汚すとは……! 皆の者、武器を取れ! さっさと取れ! ローパー共へ報復に向かうぞ! 奴らを駆逐し、破壊し、殲滅だぁ!」

「たぶん、その必要ないよ? あのお方がね、全部倒してくださったから!」


 いつ話に割って入ろうかと思っていた俺だったが、ニムがきちんとアシストしてくれたようだった。

ユウはようやく俺の存在に気付いたようだった。


「貴方が姫様を?」

「うん、まぁね」

「そうだったのか。この度は姫様が世話になったな。礼を言わせて……」

「皆の者、頭が高ぁい! 控えおろう!」


 ニムの声が響き渡る。

するとユウを始め、周囲にいた兵士がゾクゾクとニムの前へ整然と集まって、そして一斉に膝を突いた。


「このお方をどなたと心得る! 恐れ多くも、我らが守り神、炎の精霊サラマンダー様であらせられるぞ!」

「「「「ええっ!?」」」」


 一斉にユウたち兵士に動揺が走った。

さすがの俺も苦笑いを禁じ得なかった。


「ひ、姫様、何を世迷言を! まさか谷底に落ちた衝撃で頭が!?」

「人をおかしくなった人みたくいうなぁ!」


 ユウの言葉に、ニムはぷんすか頬を膨らませて抗弁する。


「ささっ、精霊様、どうぞどうぞ」

「姫様、それよりも早く水浴びを!」

「私よりも精霊様の方が先! 行きましょ、精霊様?」


 ニムはユウの言葉を一蹴して、俺へ微笑みかける。


(なんか妙なことになってきたなぁ……)


 そう思う俺なのだった。


●●●



「精霊様、どうぞ! あーん」


 ニムがフォーク突き刺した黄桃のような果物を笑顔で差し出してくる。

もう何度も「そういうのは恥ずかしいから良いよ」と言ったが、全然取り合ってくれなかったので、


「あ、あーん」


と一口。


 完熟した黄金の果肉から、じゅわっと甘みと酸味があふれ出て舌の上で転がる。

ぶわっと口の中で甘い香りが広がって、思わずうまさに「おお!」と感嘆してしまう俺がいた。


「美味しいですか?」


 しかも超絶美少女が、ちょっと透け気味のネグリジェを着て、食べさせてくれている。

 風呂に入って綺麗になったニムの魅力は、さすがお姫様、と言われるだけあって圧倒されるものがあった。

きっと石鹸なにかの匂いなのか、清涼感のある香りがさらさらに戻ったニムのショートカットから香り、若干目の前がクラクラする


 目の前にはところせましと並ぶ、旨そうな料理の数々。

 部下の兵士達も、久々の宴なのか、しきりに俺やニムのことを湛えて、酒に食事に興じている。

まるでお城の中の宴席であるような。

しかしここは森の中にある”天幕(テント)”の中である。


 もし何の憂いも、考えることもなければ、ただただこの状況に俺は酔いしれていたんだろうと、俺はブドウみたいな味のするジュースを啜って思った


(杏奈は無事かなぁ……)


 あのあとアンナがどうなってしまったのは分からない。

あの激しい戦闘で離れ離れになってしまったのだから、安心できる状況とは言い難い。


(多分、お師匠様が近くにはいるんだろうけど……杏奈は結構危なっかしいし)


 きっとのこの心配は、この世界でおそらくたった二人きりの同郷の者に対してなんだろうと考えた。

実際、俺もこの世界で未だ一人きりの頃は割と寂しかった。

でも同じ世界からこっちへ呼び出された”杏奈”と出会って、苦難を乗り越えて、時には笑って、一緒に眠って……同じ釜の飯を食った仲だからこそ、安否が分らなければ余計に心配になってしまう。


「あ、あの、精霊様、もしかしてお気に召しませんでしたか……?」


 気が付くとニムは不安そうに俺を見上げていた。


「すまん。気にしないでくれ」

「や、やはり、この程度の宴では精霊様はご満足いただけませんか?」

「十分、満足しているよ」


 とりあえずそう答えておく。しかし実際、今すぐ杏奈を探しに飛び出したいのは変わらない。

でもそんなことをすれば、せっかくのニムの厚意を無下にしてしまう。


(とりあえず、明日だ。明日にはここ出て杏奈を探しに行かないと)


 そんなことを考えていた俺の鼻が、ニムの香りをより強く感じた。

何故か彼女は俺の腕にしっかりと抱き着いて肩を震わせている。


「ニム……?」


 声を掛けるとニムは顔を上げ、透き通るような青くて丸い瞳に俺を写した。


「あ、えっと、だったら、その……この後、い、良いですよ。私で良ければ」

「良い? 何を?」


ニムは頬を真っ赤に染めてた。


「えっと! その! だ、大丈夫です! 一応いつ嫁いでも良いように、何をするかぐらいは知ってますし……それにリザードマンの方のアレって、凄くおっきくてとげとげで……で、でも大丈夫です! 耐えます! むしろ光栄です! シュターゼン国第三皇女として精霊様と契りを交わせるだなんて……」


 ようは”そういうこと”をしても良いよ、ということらしい。

自慢じゃないが、俺はそんな経験全くない。ぼっちだったから。

だから当然、全くそんな経験のない俺の反応は、


「い、いやいや、良いよ! そういうの! 大丈夫だって!」


 チキンであった。


「あっ……そ、そうですよね。こんなお子様な身体じゃ駄目ですよね。はぁ……それに私もう汚れ物ですもんね。ローパーなんかに、あはは……」


 ニムは消え入りそうな声でそう云い、滅茶苦茶落ち込み始める。

どうやら俺が断った理由を別の原因と考えているようだった。

これは妙な誤解を招くと判断し、わざとニムに聞こえるように咳払いをする。

すると彼女はビクンと身体を反応させ、少し怯えたような目で俺を見上げた。


「大丈夫だ。ローパー共は、なんだ……君にちょっといたずらをしていただけだ。君の貞操は確かに守られている。炎の精霊としてそれは保証しよう」

「じゃあ、だったら……」

「その、なんだ……俺をそこらのリザードマンと同じ思ってもらっては困る。俺との契りは、すなわち……ええっと……そ、そう! 精霊である俺は君を相応しい相手と認めるかどうかなのだ!」

「では、私は未だ貴方様に相応しくないと?」

「そうだ」


 不安げなニムをわざとぴしゃりと跳ねのける。


「俺は未だ君のことを良く知らん。そんな相手と契りを交わすなど、精霊として恥ずべき行為。もっと君のことを知った上で、俺は君と契りを交わすか検討をしたい。ど、どうだ……?」


 思いつく限りの、精一杯の精霊としての演技だった。

ニムは顔を俯かせて肩を震わせる。


(やっぱりちょっと言いすぎだったかなぁ。でもだからって”いただきます”とも言えないし、うーむ……)


「すみませんでした、精霊様! 私が愚かでした!」


 ニムの元気な声が天幕内に響き、宴の場がしんと静まり返る。

しかし彼女は気にせずに言葉を続ける。


「貴方は炎の精霊様で、私はその使徒、下賤な人間風情。おこがましくも貴方と契りを交わしたいなど申し上げ、大変失礼を致しました!」

「そ、そうか」

「ならこのニム=シュターゼン、いつの日か精霊様に認めて頂けるよう、契りを交わすに相応しい乙女になるため日々精進いたします! よっしゃー、燃えてきたぁー!」


 とりあえず落ち着いたが、話が変な方向になっていた。

 するととても慕われているんだろうニムは、兵士達の「姫様がんばれ!」「姫様なら大丈夫!」「やっぱり姫様は我々のアイドル!」などといった温かい声援を浴びている。


(なんだかこのままここにいるとまた妙なことになりそうだなぁ)


 そう思った俺は大盛り上がりで乾杯合戦を繰り広げるニムと兵士達を横目に、天幕の外へと出て行く。


(おお! 綺麗なだなぁ! さすがは異世界の夜空!)


 満点の星々が輝く夜空は、まるで宝石を散りばめたように煌めいていた。

空気も澄んでいて、人間だったころの世界のような重苦しさは全くない。

そんな清々しい空気の中、視界に浮かぶ”熱感知”のスキルが明滅し発動を知らせて来る。


 俺は熱感知のスキルに従って、腕を上げ、二本の指で投擲されたソレを掴んで止める。

俺の指の間には鋭く研ぎ澄まされたクナイのような、投げナイフのような、とにかく短くて投擲に特化しているであろう刃物が挟まっていた。


「ほう。なかなかの手練れ。流石は精霊様を語り、”可愛い”姫様を誑(たぶら)かすだけのことはある」


(なんか”可愛い”のアクセントが強いなぁ)


 そう思いつつ振り返ると、そこには抜身の刀のような、冷たい殺意を持った忍者風の女戦士が、俺を鋭く睨んでいた。


 ユウ――ニムの従者で、かなり強いと評されていた彼女の覇気に、俺の鱗が自然と震えるのだった。

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