パーソナルスペース

「あの、焔さん?」

「杏奈で良いよ」

「あ、そう? じゃ、じゃあ、杏奈さん」

「さん、もいらない」


 杏奈ちゃんはぴしゃりと言い放つ。

このままじゃ話が先に進まないと思った俺は、


「えっと……あ、杏奈!」


 心臓の鼓動を堪えつつ、思い切って叫んでみる。


「なに? トカゲ?」


 杏奈の体温がカッと上がり、彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべてそう答えた。


 この笑顔に、今の俺のが”置かれている状況”

この二つのいずれかを解決しなければ、流石に炎の精霊で、熱耐性のスキルを持っていても、興奮と緊張のあまり死んでしまってもおかしくはない。

 笑顔を消すのは心が痛む。

だから”置かれている状況”の方を解決しようと思った。


「それで、なんで、俺は……未だこ、ここに?」


 何故か俺は未だに”杏奈の立派な胸の谷間”に挟まれたままだった。

 昨晩、杏奈が寒そうだったから仕(・)方(・)無(・)く、彼女の胸に間に挟まって寝た。

 しかし俺より先に起きた杏奈は俺をこうして谷間に挟んだまま、歩き出していたのだった。


「話せるトカゲだから」


 杏奈は胸の谷間から俺を外そうともせず、頬を赤らめ訳の分からない回答をする。


「は?」

「お話してくれるトカゲ、凄く嬉しいから……ここに居れば安全だから。それに暖かい」


 喜びと、安全性と、実用性で俺は今の状況に置かれているようだった。


「だけど、ねぇ、さすがにさ……」

「嫌?」


 杏奈は少し寂しそうに聞いてくる。

ちょっと陰りのある杏奈の表情に胸がチクリと痛む。

しかし現状は倫理的にあまり宜しくないと思う。ていうか、もう恥ずかしさの限界。


「う、うん、まぁ……たぶんそばにいれば暖かいだろうし、俺もちゃんと自分の足で立たないと筋肉が鈍っていざって言う時動けなくなるなぁ、なんて思ったりして。なはは」


 思いつく限りに、そして傷つけないように理由を話す。

 杏奈は少し思案した様子を見せた。

やがて、かなり渋々といった様子で、俺を胸の谷間から出し、そっと俺を地面の上へ下ろすのだった。


(心臓が破裂するところだった……)


 ようやくドキドキと、緊張の熱から解放され、森の湿っぽい空気で肺を満たして気持ちを落ち着ける。

そんな俺の頭上をにゅっと現れた黒い影が覆った。


「君、こんなところでなにしてるんだい?」


 杏奈以外で初めて聞く人語。匂いもモンスターとは違って杏奈に非常に近い。

視線を上げるとそこには、大きな斧を肩に担いで、布の服を来た若い男が居た。



★鑑定結果


【名称】:二十代男性(*職業:木こり・協同組合所属)

【種族】:人間

【属性】:なし

【概要】:世界にもっとも多く分布する種族。この個体は絶賛嫁さん募集中。



(軽く個人情報まで……恐ろしや、鑑定能力)


「おっ……」


 人の好さそうな木こりの男は熱っぽい声を上げて、頬を赤らめる。

彼の視線の先にはさっきまで、俺を挟んでいたことで盛大に晒されている杏奈の胸の谷間があった。


(エロ木こりめ! そういう視線は止めろ!)


 ちょっとむかついた俺はシャーっと舌を出して威嚇する。

しかし小さな俺に、木こりは全く気付いていなかった。


「あ、あわ、わわ……!」


 そんな俺の後ろで杏奈は何故か声を震わせてた。

 肩が竦み、膝をガクガクと震わせている。

顔も青ざめ、酷く怯えているように見えた。


「わあぁぁぁ~!」

「あ、ちょっと、君!?」


 木こりの静止などまるで聞かず、杏奈は飛び出して森の中へを走り出す。


(このエロ木こりめ! お前が変な目で杏奈を見たせいだぞ!)


 怒りを込めてシャーと唸り、ぴょこんと跳ねて反転。

必死に前後の足をペタペタ! と動かして前進し、杏奈の匂いを追う。


(でもエッチな視線だけであんなにも怖がるものなんだろうか? いやいや、今はそんなことどうでも良い。早くあの子を見つけて上げないと!)


 俺は遮二無二草をかき分けて、杏奈の匂いを追う。

だんだんと近くなっている。

そして同時に強まってゆくモンスターの匂い。


「ギュルオォ」


 杏奈の姿は見つけられたが、不幸にも彼女は数匹のゴブリンに取り囲まれていた。


「ファイヤショット!」


 杏奈は杖を振り、ビー玉程度の大きさの火の玉を呼び起こしてゴブリンへ放つ。


「ギャオ!?」

「あ、あれ?」


 確かにゴブリンは怯ませられた。しかしどうみても通ったダメージは極僅か。

 俺の視界の中に見える”火属性強化”の文字列は、杏奈が視界の中にいるにも関わらず、明滅していない。どうやらバフスキルが発動していないらしい。


「ギュルオォ」


 茫然とする杏奈へ棍棒を持ったゴブリンが一斉に飛びかかる。

奴等はおしなべて、未だ盛大に晒されている杏奈の胸の谷間(グランドキャニオン)に鼻息を荒くする。


「どいつもこいつも人間もモンスターもエロい目で杏奈を見やがって! 杏奈の其処(グランドキャニオン)は俺だけの特等席だぁぁぁー!」


 俺は口から火を吐いて、更にジャンプした。

火は跳躍を行きおいづかせ、俺はロケット花火のように飛び、杏奈とエロゴブリンの間へ割って入る。


「ギュオ!?」

「爆ぜろぉ! ファイヤーボール!」


 口に吸いこんだ空気は、喉の奥にある炎を吸収して燃え盛る太陽のように凝縮する。

真っ赤な火球が飛び出し、飛びかかっていたゴブリンを飲み込んだ。

ゴブリンどもは悲鳴を上げる間もなく、光と熱と爆破の中に消え、塵一つ残らず。


 俺はひらりと鮮やかに地面へ着地する。すると、背中の鱗がぞわっと震えた。


「ギュルア!」


 背後には棍棒を高く振り上げたゴブリンの姿が。

しまった! と思ったが遅い。

 小さな俺へ向けて、何杯も大きくて重そうなゴブリンの棍棒が振り落とされてくる。


「ぬあぁぁぁ! トカゲぇぇぇ!」

「ギュルア―ッ!」


 見事で、惚れ惚れするほど鮮やかな杏奈のストレートパンチがゴブリンを殴打した。

盛大に吹っ飛んだゴブリンはそのまま近くの大木に叩きつけられ、ガクンと首を落とす。


「大丈夫!? 怪我無い!? 尻尾ある!?」


 杏奈はゴブリンなど全く気にせず、土下座するように地面へ這いつくばって、俺の様子をうかがってきた。


「ありがとう! 怪我もないし、尻尾もあるよ!」


 尻尾をフリフリさせて、無事をアピール。

屈んでいることで杏奈のメロンがむにゅんと潰れて柔らかさを主張する。

深い谷間(グランドキャニオン)が目の前にデーンと晒されているが、動揺はしないし、エロい視線だって浴びせない。


(俺は紳士だからな!)


 と、そんな俺と杏奈を、気が付くと森の奥からぞろぞろと現われたゴブリンどもが取り囲んでいた。

 俺の視界の中では”火属性強化”が明滅している。

これまでの状況から推察し、仮説を立て、立証することにした。

たぶんゴブリン相手じゃそれぐらいの余裕は有る筈。


「杏奈、よく聞いて。俺が合図したら君は立ち上がってファイヤショットを放ち続けるんだ。良いね? そうすれば大丈夫だから!」

「わかった!」


 杏奈は信頼の視線で俺を見つめ、よどみない返事を返して来てくれた。


「それじゃあいくぞ。せーの!」

「ファイヤショット!」


 杏奈は立ち上がるのと同時に、杖を振る。

するとさっきはビー玉程度の大きさだった火の玉。

しかし”火属性強化”の恩恵を受け、バレーボール程の大きさとなって放たれる。


「ギュオォー!」

「でた、凄いの!」


 ゴブリンは炎に巻かれて倒れ、杏奈は威力の上がったファイヤショットに興奮気味。


「ファイヤショット! ファイヤショット! ファイヤショットォー!」


 いよいよ楽しくなり始めたのか、杏奈は夢中で高威力のファイヤショットを放ち続け、ゴブリンを次々と駆逐してゆく。

 そんな中、俺はこっそりと杏奈からペタペタ離れてみた。


「あ、あれ?」


 1メートルほど離れたところで、視界の”火属性強化”の明滅が止み、杏奈のファイヤショットが再びビー玉程度の大きさに戻ってしまった。

 それみたことかと云わんばかりの不敵な笑みを浮かべたゴブリンが、杏奈へ飛びかかる。


「させるかぁ! ファイヤボルト!」


 勿論ゴブリンの反応も行動も織り込み済みだった俺は炎の矢で飛びかかってきたゴブリンを撃ち抜き撃退する。


(やっぱりそうだ。この火属性強化ってのは距離が関係あるんだ!)


 1メートル範囲内、大体パーソナルスペースにおける”友人関係”程度の距離に入らなければ、効果が無いらしい。

 発生条件が分ればこちらのもの。

 俺は火を噴いてジャンプし、杏奈の方へちょこんと乗っかった。


「さぁ、杏奈! こんなやつらさっさと蹴散らしてやろうぜ!」

「うん! トカゲがいれば百人力!」


 そんな俺たちに恐れを成したのか、ゴブリンどもは次々森の奥へと逃げ去ってゆく。

次いで聞こえる鈍重な足音。

 木々が大きく揺れ、力士のような立派な体格のゴブリンが現われた。



★鑑定結果


【名称】:ゴブリンファイター

【種族】:妖精

【属性】:木

【概要】:歴戦を潜り抜けたゴブリンの猛者。割と強敵。



(これってゴブリンだって油断すると、めっちゃ痛い目あうパターンだよね)


「へっ……」


 しかし杏奈はニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、俺も同じようにシャーと舌を出す。


「ゴオォォォ!」


 そんな俺と杏奈の態度が気に喰わなかったのか、ゴブリンファイターは丸太のように太い腕を振り上げた。

 その時既に杏奈の持つ杖はこれまでにないほど魔力をため込み、炎のように真っ赤な輝きを放っていた。


「スーパーファイヤショットォォォー!」


 俺のファイヤーボールに匹敵するかしないか程の、太陽のように燃える火球が”ゴオォッ!”と湿った空気から水分を蒸発させながら放たれる。


「ゴアアァァァ―ッ!」


 巨躯のゴブリンは炎に飲み込まれ悲鳴を上げながら、ドスンと前のめりに倒れる。


(捕食のチャンス! ひゃっほぉーい!)


 俺は杏奈の肩から飛び降り、炎に巻かれてピクリとも動かなくなったゴブリンファイターへ喰らい付く。


 パク、モグモグ、ジュワぁ~、ジーン……


(おお! これは鶏のもも肉! しかもから揚げ風味! サクッとした食感とあふれ出る肉汁がジューシーで最高ッ! レモンがあったらもっといいのになぁ!)



*FPが規定値まで溜まりました。以下を解放しますか?


 スキル:熱探知/追尾



(勿論YES! ホント、サラマンダーって最高だぁ!!)

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