第14話 カンボジア(死んだと思った話)

 前回12話の続きです。




 危機一髪、ジェイソンの如し恐怖の斧男をなんとか振り切った僕は、カンボジア人達と一緒にピックアップトラックの荷台に揺られていた。赤土がむき出しの未舗装の山道をひた走る。舞い上がる土ぼこりが僕の白いTシャツを赤く染め上げていく。僕はひどい揺れに振り落とされないよう、荷台のへりにへばりつくようにして堪えていた。

 

 どのくらい走っただろうか。トラックは脇道へと進路を変え、小さな村へと立ち寄った。いわゆるサービスエリアでの小休止のようなものらしい。


 物売りに交じって子供達が駆け寄って来る。外国人が珍しいのかもしれない。裸同然の格好をした子も多く、どうやらとても貧しい村のようだ。小さな女の子が僕のバックパックのファスナーを勝手に開け、みやげ物をねじ込もうとする。男の子がマリファナの詰まった小袋を僕に押し付けて、買え買えとせがむ。


 どこの国に行っても子供は同じ。みんな白い歯をのぞかせてニコニコと笑っている。貧しいからなんて卑屈な意識は微塵も感じられない。僕は仏頂面をしていることが多い人間なので、怒っているのかと勘違いされることが良くある。やっぱり笑顔は大切なのだ。こんな時あらためて思う。


 うまく子供達をあしらいながら過ごすことしばし、トラックは再び出発した。


 言葉は全く通じないのだが、何時間も同じ荷台で一緒に過ごしていると、同席のカンボジア人達とも仲間意識が芽生えてくる。ジェスチャーを通じてコミュニケーションを図ったり、お餅のようなお菓子をもらったり。身振り手振りで「どこへ向かっているんだ」と聞かれた時に「アンコールワット」と答えたことがあった。すると、「ノーノー、アンコールボワット!」と発音を正された。「オーケー、アンコールボワット! アンコールボワット!」と繰り返すと、なぜか周囲は爆笑の渦に包まれた。なんで笑われたのかわからないが、こんな時はつい嬉しい気持ちになってしまう。


 そんな感じで荷台での旅を楽しんでいたのだが、なんてことのない山道でトラックが急に減速を始めた。なんだろうと思って進行方向に目をやると、そこには突撃銃を肩からぶら下げた迷彩服の男が立っていた。止まれ、と指示を出しているように見える。


 まさか……ゲリラじゃないよな。


 ポイペトからシェンムリアップはゲリラ多発ルート。多くの外国人が行方不明になっている。事前に聞いていた情報が頭の中を駆け回った。若い時は自分に限っては不幸な出来事など起こらないと思っているものだ。この時の僕もそうだった。きっと軍のチェックポイントかなにかだろう。いや、そうでなければ困る。


 迷彩服の男は荷台を確認すると、僕に向かって銃を向け、「降りろ」と英語で告げた。


 そこはどう見ても軍の施設などではなかった。まさか、という不安を抱えながら荷台を降りる。


「USドルは持っているか? ここを通りたかったら全て出せ。でなければここでお前は置いて行かれる」


 黒光りする銃口は僕に向けられたまま。


 間違いない。ゲリラだ。


 慌ててドライバーを見ると、困ったような顔をしていた。


 とたんに僕の足はガタガタと震え始めた。


 ここで置いていかれたら殺される。拷問されるかもしれない。もう日本には帰れない。家族にも会えない。


 ただただ恐怖心だけが僕の心を満たしていった。


 このとき、幸いにも僕は300ドルほどの現金を持っていた。出し渋りなどする気は一切ない。無言のまま財布を取り出し、中に入っていた金を全て差し出した。


 男は黙って金を受け取ると、じっと僕の顔を見つめる。


「どこから来たんだ?」


 質問には一切答えなかった。言葉がわからない振りをしよう。亀のようにひたすら縮こまって時が過ぎるのを待つ。


 お願いします。見逃してください。嫌だ。こんなところで死にたくない。


 男は訝しげな素振りで僕のバックパックのチェックを始めた。


 一通りチェックを終えると男は言った。

 

「オーケー、もう行っていい」


 僕にはこの一言が神様の言葉のように響いた。


 助かった。助かったのだ。


 金を取られたことなどどうでもいい。とにかく生き延びた。


 僕は押し黙ったままトラックの荷台へとよじ登った。


 最後まで一言も発さないまま。


 そしてトラックは再びシェンムリアップまでの道のりを走り始める。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 このときは本当に「死んだ」と思いました。まとまったUSドルを持っていたこと、言葉がわからない振りをしたこと、そして僕がまだ10代と若かったことが良かったのかもしれません。いずれにせよ、僕の軽率な行動が招いた事態であることは間違いなく、心の底から後悔しました。この事件以降、僕は危険なルートを選んで旅をするのをやめました。

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