第28話 お婆ちゃんが死んだときの話
20歳の頃、自宅でお婆ちゃんが亡くなった。今回は僕がこの時に体験した不思議な話をしたいと思う。
僕のお婆ちゃんはいわゆる後妻というやつで、僕と直接の血のつながりはない。祖父とは晩婚だったのだが、祖父自身は僕が幼い頃に亡くなってしまったので、お婆ちゃんは家ではいつも肩身が狭そうにしていた。そんな環境だったせいかどうかはわからないけれど、お婆ちゃんはちょっと性格がねじ曲がっているところがあって、近所では少し名の知れたトラブルメーカーでもあった。コンビニのお弁当にケチをつけて店員と喧嘩したり、病院で待ち時間が長いと言って看護婦さんに食って掛かったり。母が謝りに行ったことも何度かあったように思う。
そんなお婆ちゃんの部屋は自宅一階の一番奥にあって、僕は小さな頃からこのお婆ちゃんの部屋にちょくちょく通っていた。理由はお菓子やお小遣いをくれるから。幼少期の僕は夕食前にお腹がすくと、お婆ちゃんにお菓子を貰いに行った。両親は「食事の前はお菓子を食べさせないで下さい」とお婆ちゃんを叱ったが、それでもお婆ちゃんは「内緒にするんだよ」と言って必ずお菓子をくれるのだった。中学に上がって以降は、お菓子の代わりにそれがお小遣いになった。仏壇の引き出しを開けると、そこには僕専用のポチ袋が入っていて、千円や二千円が入っているのだ。遊びに出かける前は、お婆ちゃんの部屋に立ち寄るのが僕の日課で、「全くお前は、何にそんなにお金を使うんだい」と小言をいいながらも、ポチ袋へのお金の補充は欠かされることがなかった。
ある時、こんなことがあった。お婆ちゃんの部屋には大きな水槽があって、僕が生まれる前から飼われていた立派な金魚が数匹泳いでいたのだが、僕がそれを死なせてしまったのだ。夏祭りの金魚すくいで取った金魚を同じ水槽に入れてしまったことが原因だったのだが、金魚すくいの金魚達はきっと病気にかかっていたんだと思う。良かれと思ってやったことだったが、お婆ちゃんが可愛がって世話をしていた金魚達がお腹を向けて水面に浮いている様子を見て、僕は真っ青になって謝った。「気にしなくていいの。水の入れ替えも大変だったし、これで良かったのよ」お婆ちゃんは笑いながらそう言った。今振り返ってみても、僕はお婆ちゃんに叱られた記憶がほとんどない。結局、死んだ金魚はお婆ちゃんが一人で庭に埋めて、僕たちは二人で手を合わせたのだった。
たまに、特に用事がない時も僕はお婆ちゃんの部屋へ行くことがあった。お婆ちゃんは幼い頃から病弱だったようで、これまで病気でどれだけ辛い思いをしてきたかとか、体のどこどこが痛むのよとか、とにかく不幸自慢しかしないような人で、早く死にたいというのが口癖だった。僕はそんな話に相槌を打ちつつも、お婆ちゃんの若かった頃の思い出話を聞かせてくれとせがむことがあった。すると決まってお婆ちゃんは押し入れの奥からアルバムを引っ張り出して、古い白黒の写真を僕に見せながら、「なんだってお前はそんな話を聞きたがるの」と言い、嬉しそうに昔話をしてくれるのだった。おかっぱ頭の子供時代から、銀行で働くようになるまで。何度同じ話を聞いたかわからない。僕は話の内容よりも、楽しそうに話をするお婆ちゃんの姿を見るのが好きだったのかもしれない。銀行員時代のお婆ちゃんのあだ名は伝書バトだったそうだ。とにかく真面目で、家と職場の往復しかしないことからそのように呼ばれていたらしい。これといった趣味もなく、友達もそう多くはなさそうな人だった。
僕の家は室内で大型のレトリーバー犬を飼っていた。家族がいる前ではお婆ちゃんは「ふん、犬なんか」と素っ気ない態度を取っていたのだが、僕は知っていた。家に誰もいなくなると、こっそりと犬を可愛がっていたのだ。犬は二階にいることが多かったのだけれど、お婆ちゃんは家に誰もいなくなると一階の自室を出て、えっちらおっちらと階段を上がっていっては、犬の名前を呼んでヨシヨシと撫でていた。
僕が高校生になると、廊下を挟んでお婆ちゃんの部屋の向かい側が僕の部屋になった。ある日の晩のこと、草木も眠るような真夜中にお婆ちゃんの部屋から悲鳴が上がった。何事かと駆け付けると、お婆ちゃんが布団にくるまって震えている。「あそこ、タンスの影に蛇がいるのよ!」とただ事ではない様子。僕はお婆ちゃんの指さす方向をくまなく調べたが、蛇なんてどこにもいなかった。蛇なんていないよ、と伝えると「どうしてわかってくれないの、そこにいるじゃない!」と珍しく僕に声を張り上げる。お婆ちゃんは持病の薬をたくさん飲んでいたので、薬のせいで幻覚を見ているのか、それとも呆けてしまったのか、とにかく僕はそんなお婆ちゃんを見るのが初めてだったので、とてもショックだった。終いにはお婆ちゃんは「怖いよう、怖いよう……」と言いながら泣き出してしまった。「大丈夫だよ、きちんと調べたけど蛇なんかいない。となりの部屋にいるから、なにかあったらいつでも声をかけて」そう言って手を握ってやると、少し落ち着いたのか、目をぎゅっと瞑ってうんうんと頷いている。お婆ちゃんはまるで小さな女の子になってしまったみたいだった。それからも時々、お婆ちゃんは真夜中に悲鳴を上げた。ある時は「庭に青い顔をした男の人がいる」なんて言うものだから、随分と怖かったけれど、わざわざ外に出て不審者がいないか確認しに行ったりもした。そもそもお婆ちゃんの部屋からは庭なんか見えないのだけど、あまりそういうことは突っ込まないようにしていた。
大学生になって夜遊びを覚えた僕は、外泊を繰り返すことも多くなり、お婆ちゃんと顔を合わせる頻度も必然的に減っていった。バイトも始めたので、お小遣いを貰いにくことも少なくなっていたように思う。お婆ちゃんが自宅で亡くなった朝も、僕は知り合いの家に泊まっていた。
早朝5時半。枕元の僕の携帯が鳴った。着信は母からだった。電話に出ると、母が慌てた様子で「お婆ちゃんが廊下で死んでるの、早く帰ってきて」と言う。だけど、このとき僕は既に知っていた、お婆ちゃんが死んでしまったということを。枕元の携帯が鳴って目が覚めた瞬間、僕はお婆ちゃんが死んだということを直感的に悟っていたのだ。この話は家族にもしたことはないのだが、実はお婆ちゃんは僕にお別れの挨拶をしに来てくれていたのだ。
今でもはっきりと思いだすことができる。それは不思議な夢だった。僕は光のトンネルの中をお婆ちゃんと手を繋いで歩いていた。向かう先は眩しいくらいに真っ白に輝いている。お婆ちゃんは穏やかな笑顔で、なにか僕に語りかけるのだけど、何を言っているのかはどうしても聞き取ることがきない。ただ光に満ちた静かなトンネルをお婆ちゃんと手を繋いで長い時間歩いていた。
母からの着信で目が覚めるまで、僕はその夢の中にいた。本当に不思議なことなのだが、目覚めた瞬間に「あ、お婆ちゃん死んだかも」と思った。だから、電話でお婆ちゃんの死を聞かされたときも「やっぱりか」という感想しか浮かばなかったのだ。
急いで家に帰り、遺体と対面する。お婆ちゃんの死に顔はとても穏やかで、どことなく優しく微笑んでいるような、夢で僕が見た表情そのままだった。こんなに穏やかなお顔は珍しいですよ、と医者も言ったくらいだ。お婆ちゃんの遺体はその一日自宅に安置され、翌日火葬されることが決まった。
僕はその日は一日中、お婆ちゃんのことを考えて過ごそうと決めた。小さな頃、よく散歩に連れて行ってもらった公園へ行って、ベンチに腰かけてはぼーっとお婆ちゃんとの思い出を振り返ったりした。最初は大学に入ってから疎遠になってしまっていたことを悔いたりしていたが、途中からはそう考えるのをやめた。だって、夢に出てきたお婆ちゃんは笑っていたから。はっきり言って、お婆ちゃんは好かれるタイプの人ではなかった。わがままで、すぐ文句を言うし、近所でも名の知れたトラブルメーカーだ。だけど、だけど僕だけは知っているのだ。本当は優しくて、寂しがり屋だったお婆ちゃん。きっと孤独な人だったんだろうと思う。悲しい話だけど、口癖だった早く死にたいは、ある程度本心からの言葉だったんだろう。きっと、そういうことも全部ひっくるめて、お婆ちゃんは穏やかに笑って死んでいったんだ。そして最後に僕のところに挨拶に来てくれた。
夜になってからも、僕はお婆ちゃんの遺体の傍で一人長い時間を過ごした。お婆ちゃんのことを想える適任者は僕以外にはいないと思ったから。本当は朝まで起きていたかったのだけど、どうしても眠くなってしまった僕は、自室に戻って「お婆ちゃん、もう一度だけ夢に出てきてください」と念じて眠りについた。だけど結局、お婆ちゃんの夢を見ることはできなかった。きっとお婆ちゃんはもう、トンネルを抜けて別の世界に行ってしまったんだろうな、と思った。
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