第29話 人類全体の幸せと不幸の比率
こんな風に考えていた時期があった。
「人は自らの幸せを他人と比べて判断するものだ。人より多くのお金を持っている、周りと比べて美形だ、勉強ができる、友達がたくさんいる、自慢の彼女がいる、などなど。全ては相対的な判断に基づくものなので、幸せを感じる者がいる一方、それと同じ数だけの不幸を感じる人たちがいる。持たざる者は持つ者を羨むので自分は不幸だと感じるはずである。よって、この世界の人々の幸せと不幸の比率は半々である」
みなさんはどう思うだろうか?
今の僕ならこう言うだろう。ある部分では当たっているが、基本的にこの考え方は間違っている、と。理由はいくつかあるが、まず第一に幸せの基準は人それぞれであることが挙げられる。貧乏でもブサイクでも本人が幸せと感じていれば幸せなのだ。唸るほど金を持っていても、自分が不幸だと思っている人はたくさんいる。幸せとは自己申告であり、あなたが羨むあの人だって本人が幸せかどうかは別問題。ひと昔前の僕はそんなことが理解できていなかった。
そもそもこの考え方、発想自体が自らを不幸に貶めるリスクを孕んでいるように思えてしまう。僕は日本生まれの日本育ちだが、振り返ってみれば常に競争に晒され続けてきた。習い事、定期試験、受験、部活、就職、年収、結婚、出世争いと社会に出てからもこの競争は続き、ますます激しさを増していく。加えて、実際に生活格差も開いていく。
競争に勝つことが正義であり幸せはその先にある。SNSで発信される成功者たちの華やかな生活や交友関係に憧れ、羨み、自分もそうなりたいと願う。だが実際はどうだろう。勝者の影に敗者あり。忘れてはならないのは勝者の座れる椅子の数は限られている、ということだ。高校野球で全国優勝できるのはわずか一校だし、入学試験にだって定員がある。誰もが会社で部長になれる訳ではない。競争に勝ち続ける人など存在しないし、そもそも競争に勝つ(他人と比べて優位に立つ)ことと、幸せになることは全く関係ないのだ。
しかしどうだろう。競争に勝つことが幸せな未来に繋がっている、となんとなく思っていないだろうか。テストでいい点を取れ、明日の試合は勝て、いい学校に入れ、いい会社に就職しろ。きっと誰もがこのようなことを言われた経験があるはずだ。家庭でも、学校でも、メディアも社会の風潮も皆が口を揃えてこう言う。勝ち組、負け組という言葉がいい例だ。そりゃあ負けるよりは勝った方がいいだろう。そんなことは当たり前だ。全ての日本人が勝負ごとに拘らなくなれば、日本という国はいずれ世界から消滅してしまう。繰り返しになるが僕の言いたいことは「競争に勝つことと幸せになることは全く関係がない」ということなのだ。
テストでいい点を取れとは言われたが、幸せになれと言われた記憶はない。あるいは、幸せになるためにはこうしろ、幸せとはこういうものだと教わったことはあるだろうか。恐らく大半の人は無いのではと思う。しかし、幸せになるということは人生における最大の目標と言っても良いテーマのはずだ。それなのにどうして親や学校はどうすれば幸せになれるのか教えてくれないのだろう。
幸せとは自分で見つけていくものだから、という答えも聞こえてくるかもしれない。だけど僕の考えは違う。親も教師も幸せがなんなのかよくわからないのだ。わからないから教えることができない。子供が将来の生活に不自由しないことを第一に思って、しっかり勉強していい学校に入りなさいと言うが、そこで止まってしまう。肝心のその後についての言及がない。子供は純粋だから親や教師の言うことは正しいと思う。そして言われた通りに頑張れば、これは明るい未来に繋がっているはずだと思い込んでしまうのだ。子供にとって頑張るということは競争に勝つことなのである。少なくとも僕はそうだった。
この錯覚の最も不幸な点は、日本の社会全体にこの誤った価値観が浸透してしまっていることだ。そしてこの価値観は資本主義経済と抜群に相性が良く、やすやすと払拭することができない。いわば金持ちイコール幸せの構図だ。古くは書籍の売れ行きからテレビの視聴率、近頃ではインスタやツイッターのフォロワー数やYoutubeの再生回数など、人気の指標は数字として表されるのでとてもわかりやすい。人気者(成功者)には金が集まる仕組みになっているので、その羽振りの良さも相まってますます皆が憧れる存在となっていく。サクセスストーリーほど世間に簡単に受け入れられるものはない。人気者とは競争を勝ち抜いた特別な存在であり、人気女優が使っている化粧水は良く売れるのである。しかし、人気者が皆幸せかと言えばそうではないだろう。
金持ちになりたくない人などいないだろうが、なぜ金持ちになりたいかと問われれば、幸せになりたいからであるはずだ。つまり目的は「幸せになること」で、手段が「金持ちになる」というのが正しい文脈である。人によってはこの手段が「売れっ子作家になる」とか「プロ野球選手になる」だろう。しかし、これらはあくまで幸せになるための手段であるはずなのに、それ自体が目的と化してしまっている感が否めない。
資本主義社会において、全ての企業はより多くのお金を稼ぐために活動している。他社よりも優れた商品を開発し、より良いサービスを提供しようと凌ぎを削って日々激しい競争を繰り広げているわけだ。こうした競争は「我々の社会や生活を豊かにするため」という前提に成り立っており(それが正しいかどうかは別として)、仮にどこかの中小企業が倒産して、どこかの一家が路頭に迷うことになってもそれは仕方のないことだとバッサリと切って捨てられてしまう。幸せがどうのと、いくら綺麗ごとを言ったところで、この社会自体が弱肉強食の厳しい競争社会であることは認めざるを得ない現実でもある。
今年発表された世界幸福度ランキング2019年版では、日本は156か国中58位であった。2018年は54位だったそうで、決して高い順位であるとは言えないだろう。ちなみに国連の考える幸福度の指標とは、一人当たりGDP、社会的支援、健康寿命、人生の選択の自由度、社会的寛容さ、社会の腐敗度の6つの指標をベースとしているらしい。日本において足を引っ張っているのはこの内の、人生の選択の自由度(64位)、社会的寛容さ(92位)だそうだ。
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