第12話 ラプラスの悪魔
あなたは運命を信じていますか?
運命の存在を信じている方を否定するつもりは一切ありませんが、科学の力がこの問題に結論を導き出したことをご存知でしょうか?
18世紀、フランスにラプラスという物理学者がいました。まだニュートンの古典物理学が幅を利かせていた時代のことです。彼はこう考えました。全ての物質には物理的に説明のつく運動法則があるはずだ。そして、この世界を構成する物質の最小単位は原子である。つまり、もし原子の運動法則を知ることができれば、それは未来や過去を正確に予測できることと同義であり、ひいては人間にはあらかじめ運命が定めれていることの証明である、と。
ラプラスによるこの問題提起は当時の物理学界にセンセーションを巻き起こしました。しまいには宗教家をも巻きこんで、百年以上も続く一大論争へと発展したのです。多くの学者が反証を試みましたが、誰もラプラスの主張を論理的に否定することができません。やはり人間の運命は神によって定められているのだ、という考えが大勢を占めつつありました。仮に原子の運動法則を知る者がいれば、それは神ではなく悪魔。こうして、この問題は「ラプラスの悪魔」と呼ばれるようになったのです。
なるほど、と思わせるような主張ですよね。弾かれたビリヤードの玉を想像するとわかり易いかもしれません。ビリヤードの玉は突かれた瞬間に、どの方向に向かって転がり、ぶつかり、停止するのかということが原理的に全て計算可能です。厳密には、突いた時の力や方向、玉の回転や接地面との摩擦など、非常に煩雑な計算が求められますが計算すること自体は可能なのです。
ビリヤードの玉を原子に置き換えて考えてみてください。我々の体を含め、この世界を構成する物質はたしかに原子から成り立っています。ビリヤードの玉が弾かれて、他の玉にぶつかって影響を与える、ということが実際に原子のレベルでいたるところで起きているのです。137億年前、ビッグバンと呼ばれる大爆発によって宇宙が誕生しました。この時、放出された膨大な量の原子はビリヤードのようにぶつかりあって宇宙を膨張させていきます。そして、この膨張はいまなお続いているのです。
どうでしょうか。ラプラスの主張は正しいような気がしてきませんか? 果たして我々の運命はあらかじめ定められているものなのでしょうか。
冒頭で述べた通り、この「ラプラスの悪魔」問題は既に決着がついています。もったいぶらずに結論を書きましょう。
ラプラスの主張は誤りでした。
人生には定められたレールなんてない、ということが科学的に証明されたのです。
答えを導き出したのは量子力学と呼ばれる分野での研究です。量子力学とは原子などのミクロな物質を専門的に取り扱う学問で、現代科学において最も注目されている分野の一つ。では、どうやってラプラスの主張が誤りであると証明したのでしょうか。専門家の反論覚悟で非常にざっくりと説明します。
原子レベルの小さな物質の世界では、我々が普段認識しているような単純な物理法則、つまりビリヤードの玉の動きのような法則は一切通用しないことが分かったのです。それどころか、ビリヤードの玉を弾いてもどのような結果になるか全く予想できない。玉がどこへ転がるかは不確実で、まるで神様がサイコロを振ったかのように、その結果は毎回ランダムに決定されるということがわかっています。つまり、ミクロな物質の運動には確実な規則性などなく、同じ条件で実験を行っても同じ結果が得られない、どのような結果が出るかはやってみないとわからない、ということです。もっと噛み砕いて言うと、同じ力で同じビリヤードの玉をついても100メートル転がることもあれば、1センチしか転がらないこともあったり、更には玉が分裂したり、ワープしたりということも起こり得るということです。
なに言ってんだお前、そんなことあるはずないだろ? と思われる方もたくさんいると思います。でも、これが事実なんです。ミクロの世界では結果を正確に予測することは不可能。よって「ラプラスの悪魔」は存在しないことが証明されたのです。
僕はこの「ラプラスの悪魔」の話が大好きです。
科学は時に人間の存在に関わる根源的な問いに明確な答えを導き出します。
宇宙はどうやってできたのか、その果てには何があるのか、宇宙人はどこにいるのか、人間はなぜ誕生し、なんのために生きているのか?
人類の英知の結晶である科学はこれらの答えに少しずつ、着実に近づいていっています。最新の研究ではパラレルワールドの存在も示唆されてきましたし、この世界は10次元で成り立っているという説を支持する学者も増えてきたようです。別次元の存在はきっとそう遠くない将来に実在が証明されることでしょう。
こんなにワクワクする話が他にあるでしょうか?
SF小説ではなく、まさに我々が生きている現実世界での話です。
僕はこういったニュースはもっと注目されるべきだと思っています。
科学(テクノロジー)は人類の生活を快適で豊かなものにしました。否定しません。そして現代では科学は経済と切っても切れない関係になっています。
経済はサービスの対価にお金を支払うことによって成り立っています。
サービスとは必要なもの、便利なものを提供すること。スマートフォン、電気自動車、オンラインショッピング、全部そうですよね。全ての企業がより良いサービスを提供しようとしのぎを削ってお金を稼いでいるのです。
当たり前ですが、文明の発展は人を幸せにする、というのが大前提です。
でもちょっと待ってください。
平安時代に月を見上げて短歌を詠んでいた人たちは不幸だったのでしょうか。スマートフォンは本当に人々を幸せにしたのでしょうか。
科学の進歩は加速度的に進んでいます。
行きつく先はどこなのか。
ロボットがなんでもしてくれて、働く必要もなく、のんびりと自由気ままな日々を送ることでしょうか。
僕は思うんです。
そろそろいいんじゃないの、便利になることが幸せだという価値観を捨てても、と。どこかで立ち止まって考えないと、もっと大切なことを見失うと思います。
はっきり言って、スマートフォンの発明よりも、人間の運命は決まってなんかいない、と証明されたことの方がよっぽど偉大な成果なんじゃないでしょうか。
この先どんなに文明が発展して、人間の生活が今とは全く違うものになったとしても、「ラプラスの悪魔」のような未知なる領域への挑戦こそが、真に科学を発展させる原動力であるべきだと信じています。
スマホ、めちゃめちゃ使ってますけどね。
今回はちょっと小難しい話ですみません。そろそろまた旅の話でも書こうかな。
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