第20話 大好きだったあの人(その1)

 高校三年の春。


 僕は6年かけて打ち込んだ部活を引退し、迫りくる大学受験にそわそわしながらも、なんとなく髪を染めてみたりして、残り少ない高校生ライフをそれなりに過ごしていた。一年間付き合っていた同級生の彼女とも別れ、どこかに可愛い女の子でもいないかなあ、なんて思いながらぼんやりと過ごす日々。


 時代は携帯電話ブームに火が付いた頃で、僕らのコミュニケーションツールもPHSから携帯へとシフトチェンジを迎えつつあった。ルーズソックスのコギャル、腰パンにロン毛のサーファー風が街を闊歩してた時代だ。


 メル友が流行っていた。昔でいう文通、今でいうツイ友みたいイメージだろうか。会ったことのない者同士がメールでのやり取りを通じて友達になる。これは男同士でやったって面白くもなんともないが、相手が女の子だと俄然盛り上がる。この年頃の男なんて、考えていることは皆同じ。頭の中はピンクな妄想で溢れかえっていて、メル友のゴールもそこだった。最終的には会うのが目的で、あわよくば彼女に、という夢を追いかけては日々メールのやり取りをするのだ。実際にメル友と会ってみたという話も聞いたが、大抵はハズレだったようだ。当時の僕はクールなキャラを気取っていたので、まわりの連中が必死になってメル友を作ろうとしているのをどこか冷めた目で眺めていたのだった。


 そんなある日、友人の一人がこんな話を持ち掛けてきた。


「なあミト、お前彼女と別れたんだろ? 可哀そうだから、とっておきの女を紹介してやるよ。二十歳の女子大生。俺のメル友の知り合いみたいなんだけどさ、カッコいい男を紹介して欲しいってお願いされててよ。お前に譲るよ」


 ……正直に言おう。


 このとき僕の心はときめいていた。なんてったって二十歳の女子大生、大人の女だ。仕方ねえなあと面倒くさそうな素振りをしつつ、一字一句間違えないようにしっかりと彼女の名前と連絡先を自分の携帯に登録した。女の名はアサミといった。


 その日から僕とアサミのメールのやり取りが始まる。


 二人の間には初期の段階で決めていたルールがあった。会うかどうかはわからないけれど、実際に会うまではお互い写メは絶対に送らない、というものだ。たしかアサミから持ち掛けてきたんだと思う。こうして僕らはお互いの顔も知らぬまま、早朝の「おはよう」から深夜の「おやすみ」に至るまで、まるで本当のカップルのように毎日毎日何十通もメールを交換しつづけた。


 夢中になってメールを送り続ける。なんてったって相手は僕より二つ年上の女子大生。周りにいる女の子たちとは違う、本物の大人の女だ。


 1カ月程このような関係が続いただろうか。これだけメールのやり取りをしていると、お互いの生い立ちや性格、どんな生活を送っているかも分かってくる。アサミには4年間付き合っていた彼氏がいたことも聞いたし、それがどんな男で、どうして別れたのかも知った。アサミにだって、僕が付き合っていた彼女のことを伝えた。不思議なことに、二人の趣味はピタリと一致していた。好きな作家、好きな映画も見事なまでに同じだった。


 もっともっとアサミのことが知りたくなる。きっと向こうも同じ気持ちだったんだと思う。ある日、電話でお互いの声を聞いてみようということになった。初めてのアサミからの着信。僕はドキドキしながら通話ボタンを押した。その声は、本当に可愛らしくて、まるで天使の囁きみたいに僕の耳にいつまでも残った。


 こうして僕は毎日アサミの事を考え続け、気づいたら彼女のことを好きになっていた。顔も知らない彼女だったが、そんなことはどうでもいい。この気持ちを今伝えたい。会う前に伝えなければ嘘になる。僕は本当の姿の君が好きなんだ、と。僕は思い切ってメールで告白することにした。断られたらこのまま終わりにする、そう腹を括っていた。


 結果はOKだった。アサミも僕のことが好きだと言った。僕らは一度も会うことなく、付き合うことになったのだ。


 そして、その週末。川崎駅近くの映画館前で僕たちは初めての待ち合わせをした。


 約束の時間5分前。


 僕が到着するよりも前に彼女はその場所で僕を待っていてくれた。女子高生とは違う大人びた服装。茶色がかったショートカットの髪が柔らかく風に揺れている。アサミは僕が想像していたよりも百倍可愛いかった。


 二人の目が合う。


「……はじめまして、かな。アサミさんですよね?」


 少し身長の低いアサミが上目遣いで答える。


「うん。ミト君だよね?」


「あの……今日会ったら最初に言おうって決めてたんだけど、俺、アサミさんのこと本当に好きだから。思ってたよりもずっと可愛いし、ちょっとびっくりした。俺のこと見て、やっぱりダメだと思ったらこのまま帰ってもらってもいいから」


「帰らないよ。ミト君も私が思ってたよりもずっとカッコいい。それに、私はもうミト君の彼女ですから」


 優しい笑顔で微笑みかけてくる。


「良かった……。じゃあ、これからもよろしくお願いします」


 僕は右手を差し出した。


「ふふ……思った通り。やっぱり真面目なんだね。ミト君は」


 握手とは反対の左手で僕の右手をそっと握り返す。


「じゃあ、どこ行こっか」


 そのまま手を繋いだ格好で僕を引っ張るように歩き出した。


 きっとどこからみても僕らは恋人同士にしか見えなかっただろうと思う。

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