第2話 タイ(タオ島:後編)

 タオ島はスキューバダイビングのメッカ。観光客もダイバーだらけ。ここまで来てダイビングをしない手はないでしょう。ということで、ダイビングショップに足を運びます。金額ははっきり覚えてないのですがPADIの初級ライセンス(オープンウォーター)取得にフリーダイビングが何本かついて三万円くらいだったような気がします。元々泳ぎが得意だった僕は拍子抜けするほどあっさりとライセンスを取得。インストラクターからはせっかくだから中級ライセンス(アドバンスドオープンウォーター)も取りなよと勧められ、こちらも取得してしまいました。中級ライセンス試験は学科講習があったり、真っ暗な海に潜るナイトダイビング、水深30メートルまで潜るディープダイビングがあったりします。


 ダイビングは危険と隣り合わせのスポーツ。水深が深くなるほど体に蓄積する窒素量が増えていき、時には深刻な障害を引き起こすのです。学科講習ではこのあたりの勉強、水深何メートルには何分滞在できるか、といったようなことを学びます。


 ナイトダイビングは神秘的でした。懐中電灯を持って夜の海に潜るのですが、夜光虫という海洋性プランクトンが蛍みたいに光るんです。前を泳ぐ人のフィン(足ひれ)の動きに合わせて、ちらちらと青く淡い光を放つプランクトン。綺麗だったなあ。


 ちょっと怖かったのはディープダイビング。30メートルくらいの深さになると、水はとても冷たく、日光も届きにくくなり薄暗くなります。魚もあんまりいないし、どこか不安を感じる不気味な景色が広がります。そして追い打ちをかけるように体に異常が起きるんです、窒素酔いというやつが。窒素酔いというのは深く潜った時にダイバーを襲う現象で、個人差はありますが酒に酔ったように頭が回らなくなる症状を指します。中級ライセンスのディープダイビング試験も、窒素酔いを実際に体験させるためのプログラムなんですね。この時は4人くらいで潜ったのですが、インストラクターが水中でも書けるペンと小さなホワイトボードを持参しています。で、これを使って海の底で受講者に問題を出すんです。16かける4はなんですかとか、車の絵を描いて下さい、みたいなキッズレベルの問題を。自分でもびっくりしました。「あれ……車ってなんだっけ?」っていう感じで、パッとイメージが湧かない。頭が回らない。実際に車の絵を描けと言われて、ひたすら団子のような絵を描き続けていた受講者も。僕はその光景がおかしくて笑いをこらえていました。そしてなぜか途中から酸素ボンベやウェットスーツを脱ぎ捨てたい気持ちがこみ上げてきて、その衝動を抑えるのに必死でした。後から振り返ってみると、これらは全て窒素酔いの症状だったんだと思います。水深30メートルは一歩間違えると死んでしまう世界。思い返すとちょっとぞっとするような話です。


 そんなこんなで無事中級ライセンスも取得します。中級を取ると潜れるスポットの幅も広がるんですよね。ボートに乗っては沖へと繰り出し、色々な場所で潜り、多くの魚たちと出会いました。見れたらラッキーと言われていたウミガメやマンタにも会いました。残念ながら、世界最大の魚類であるジンベイザメにはお目にかかれず。一目見たかったんですけどね。


 ダイビングに欠かせない技術に中性浮力を取る、というものがあります。人間の体は海に入ると勝手に浮くようにできているのですが、ダイバーは浮き上がらずに自由に水中を泳ぎ回っていますよね。水中で任意の方向に移動するためには「浮く」と「沈む」の中間の浮力を得ることが大切なのです。これがうまく釣り合った状態のことを中性浮力を取っていると言います。


 ではどうやってこの中性浮力を得るのか? 機材の力を借りるんです。具体的にはBCDという空気の出し入れが可能なジャケットと、腰に適量の重りを巻くことで調整します。ちなみに酸素ボンベだけ背負って潜るとどんどん沈んでいきます。中性浮力を取る。これが難しいんです。初心者に訪れる最初の壁。上手くできないと勝手に浮いたり、沈んでいったりします。なにしろ息を吸うだけで、肺が空気で満たされて浮かんでいってしまうのです。普段僕たちは平面上を二次元に移動していますが、水中は高さのベクトルが追加された三次元の世界。まさに別世界なのです。


 ちょっと痛いエピソードを紹介しましょう。身体的に痛いという意味です。

 

 ガンガゼという生き物をご存知でしょうか? 知らない方は是非ググってみてください。簡単にいうと化け物サイズのウニです。デカい個体になると棘の長さが30センチもあります。そしてたちの悪いことにその棘には毒があり、刺されると患部は腫れ、激痛が襲うというとんでもないモンスターなのです。さらにですよ、こいつらは群れをなして海底に密集していることがあるんです。まさに一面真っ黒の針地獄。配管工ブラザーズや、〇ックマンなんかの横スクロールアクションゲームであるじゃないですか、触れたら一撃で死んでしまう謎の棘ゾーンが。あんな感じを想像して下さい。


 そんなガンガゼの群れの上をビクビクしながら泳いでいた時でした。一緒に潜っていた白人の仲間の様子がおかしい。ゆっくりと針地獄に向かって沈んでいくのです。フィンを必死にバタバタと動かして、上へ行こうともがくのですが、その体は徐々に沈んでいきます。中性浮力が取れていなかったんですね。最終的に彼はそっと沈み込むように、そして静かにその全身をガンガゼに貫かれていったのです。さすがに死にはしませんでしが、激痛にさいなまれ、翌日からは高熱にうなされていました。死ぬような思いをしたことは間違いないでしょう。僕にとってもトラウマ級の悪夢のようなできごとでした。


 ダイビングをしている時。うまい具合に中性浮力を保って、海底に背を向けて空を眺めるのが好きです。海面を通して差し込む柔らかな日の光。目の前を横切る魚の群れ。コポコポとレギュレーターから漏れる空気の音に耳をすませ、無重力状態でただ水中をたゆたいます。生命の起源は海から始まったと聞きますが、なんとなく実感として納得してしまえるような不思議な時間なのです。


 さて、今回はこのくらいにしておこうと思います。なんだかダイビングの話ばかりになってしまいましたね。タオ島はこれっきり一度も行っていないのですが、いつかまた行ってみたいですね。本当に素晴らしい南の島でした。


 次はどうしようかな。インドでの衝撃体験でも書きましょうか。


 ご意見やご感想、ご質問などありましたら是非お寄せください。お返事はするようにしたいと思っています。うまのほねダイアリーはなるべく早いスパンで書いていこうと思っていますので、これからも宜しくお願いします。

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