第25話 中島らもに救われた話

 中島らもという作家を知っているだろうか?


 ここでは詳しく書かないが、極めて破天荒な生涯を送った日本人小説家の一人だと僕は思っている。好きな作家の一人だったのが、残念ながら2004年に酔っぱらって居酒屋の階段から落ちて亡くなられてしまった。コピーライター出身の彼は言葉選びのセンスが素晴らしく、「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」という作品は、僕の中のカッコいい小説タイトルのベスト5に入る。気になる方はまずは「ガダラの豚」なんかが読みやすくてお勧めだ。


 そんな中島らもに救われたことがある。


 当時、僕は上手くいかないことが重なりまくって、とてもストレスフルな日々を過ごしていた。まるで世界が色を失ってしまったようで、何をするにもやる気が起きず、とにかく全てが嫌になっていた。不眠症でもあった。


 ある時、急に呼吸をするのが苦しくなった。息を吸っても吸っても肺が空気で満たされない感じがする。深呼吸を繰り返しても、違和感は消えなかった。


 数日経っても症状が改善されないので僕は病院に行った。肺のレントゲンを取って調べてもらったのだが、呼吸器系に異常は見当たらないという。匙を投げた医者からは心療内科に行ってみてはどうかとアドバイスを受けた。まさか自分が、という思いが強かったのだが背に腹は変えられない。思い切って心療内科を受診してみることにした。


 きっとこの時の僕はうつ病の一歩手前か、入口あたりにいたんだと思う。医者はうつ病という言葉を一切使わなかったが、処方された薬は向精神薬だった。帰宅した僕はしばらくの間、処方された薬とにらめっこを続けた。薬を飲むのが嫌で嫌で仕方がなかった。そして気持ちを紛らわそうとベッドに横になり、一冊の本を手に取ったのだ。


 その本こそ、中島らもの「牢屋でやせるダイエット」だった。


 今となっては内容はうろ覚えなのだが、薬物関係で逮捕された中島らもの獄中記である。この本の中にこんなエピソードが紹介されていた。


 中島らもは重度のアル中であり、すでにその体はボロボロ。ある晩、牢屋で孤独に過ごしていた彼を発作が襲った。体中の血液が頭に集まったかのように、頭が燃えるように熱くなったらしい。これは大変な事態だと、すぐに看守に医者を呼ぶようお願いするのだが、薬物中毒者の戯言と思われて相手にされない。ついにはめまいが止まらなくなり、このままじゃ死ぬと悟った彼がとった行動。それは座禅を組んで瞑想することだった。日が昇るまで瞑想を続け、心を無にするように努めたのだ。明け方、ただならぬ様子を感じ取った看守がようやく医者を呼ぶ。なんとか一命を取りとめるのだが、血圧は200を大きく超えており、死ななかったのが不思議なくらいだと医者に言われたという。あの時、瞑想をしていなければきっと僕は死んでいただろう。中島らもはこんなことを書いていた。


 なるほど。心を無にする。座禅、瞑想か……。


 さっそく瞑想について調べてみると、スティーブ・ジョブズなどの一流企業の経営者も習慣として取り入れている者が多いと書いてあるじゃないか。もしかすると効果があるかもしれない。僕は藁にもすがる思いで瞑想にチャレンジすることにした。


 禅の教えや、初心者向けの瞑想の仕方も勉強した。そして朝、晩と最低30分は瞑想の時間を取るように心掛けた。とある本にこんなことが書いてあった。“瞑想を終えた直後、クリアになった心に浮かんできたポジティブなアイデアは実行するべき。それは、あなた自身の心の底からの願望なのです”。僕の心に浮かんできたアイデアは、とにかく体を動かすことだった。それから僕は瞑想に加え、毎晩走ることにした。瞑想している時、走っている時、僕の頭の中はからっぽだった。


 するとどうだろう。一週間で息苦しさは薄れ、二週間も経てばすっかり回復してしまった。これまで悩んでいたのは一体なんだったんだろう、と思えるような劇的な変化だった。結局、薬は一度も飲まずに捨ててしまった。


 あの時、僕は中島らもの本に救われたのだ。

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