第4話 インド(思い出の食べ物①)

 インド旅で思い出に残っている食べ物について書いていきます。


 タージマハルがあるアグラという街でのこと。僕は疲れきっていて、身も心もボロボロでした。40度近い気温のなかを重いバックパックを背負って歩き続けていたこともありますが、なによりもしつこくまとわりつく客引き達に心底うんざり。目的地が遠かったこともあり、根負けして一台のリキシャ(人力車のタクシー)に乗ったんです。タージマハル近くのホテルを指定したのですが、例によって全く違う場所にあるホテルに連れて行かれました。「俺の知り合いが経営しているオススメのホテルだ。あんたが行きたがっているホテルよりこっちの方がいい」みたいなことを言います。「ここには絶対に泊まらない。疲れてるから早く目的地まで行ってくれ」とお願いするも、「それなら追加料金が必要だ、金を払え」と平然と言ってきます。


 このとき、僕はぶちキレました。約束の半分も金を渡さずにリキシャを降りると、激しく騒ぎ立てるドライバーに対してつかみかかる勢いで猛抗議です。わらわらとインド人たちが集まってきて、ちょっとヤバいかなとも思ったのですが一歩も引きませんでした。上等だ、日本人をなめるなよ、やるならやってやろうじゃねえかの精神です。結果的にドライバーは折れ、すごすごとその場を去りました。ちなみに、半分も金を渡さなかったと書いていますが、現地人向けの運賃相場からいくと充分なお金を払っているのです。罪悪感は一切ありません。


 見渡すとはるか遠くにタージマハルの特徴的な、ドラ〇エのスライムみたいシルエットの屋根がちらりと見えています。あそこまで歩くとなると軽く一時間以上はかかるでしょう。猛暑のなかを重い荷物を背負って再び歩き始めます。さきほどの一部始終を見ていたのでしょうか、しつこくついてくるインド人が「チーノ、チーノ」とアジア人向けの差別用語を投げつけてきます。ハエよりもうっとうしい。相手をする気にもなりません。インドなんかに来るんじゃなかった。暗い気持ちをかかえて、へとへとになりながらひたすら歩きます。


 ようやく目的地近くまでやってきました。手持ちの水はつき喉はカラカラ、腹ペコで死にそうだった僕は一軒の定食屋に入ります。客は僕以外には誰もいないようです。席についてミネラルウォーターとチキンカレーをオーダー。すると、「あんたずいぶんと疲れてるみたいだけど、どうしたんだ?」と店主のオヤジが話かけてきます。ことの顛末を伝えると、「そうか、それは大変だったな。今からうまいカレーを作ってやるから待ってろ」といい厨房へと姿を消すオヤジ。次に戻ってきたとき、彼の手にはチキンカレーが盛られた皿と、注文した覚えのない白い飲み物が入ったグラスが握られていました。「あれ、こんなドリンク頼んでないんだけど?」「これはウチの店自慢のバナナラッシーよ。俺からのおごりさ。これさえ飲めば疲れは吹っ飛ぶ。飲んでみろ」と言ってそっとグラスを差し出します。キンキンに冷えたグラスを手に取って、一口飲んでみます。心地よく鼻へと抜けるヨーグルトの香り、すりつぶされた大量のバナナと砂糖が入っているのでしょう、疲れた体にガツンと糖分が染みわたります。あとくちは爽やかで、マイルドな酸味がほのかに口の中に残ります。お世辞抜きに最高に美味いバナナラッシーでした。「オヤジ、本当に美味いよこれ」「そうだろう。ウチの店に来る客はみんなコイツを注文するのさ」「ありがとう、あんたは俺がインドに来て初めて出会った親切なインド人だよ」冗談でもなんでもない、嘘偽りない正直な気持ちでした。おやじはハハハと嬉しそうに笑います。「ところであんた、タージマハルにはもう行ったのか?」「いや、これからいくところだよ」「ならとっておきの場所を教えてやるよ」と、オヤジはこっそりと秘密の場所を教えてくれたのです。「真夜中、月が高い時間にこの場所へ行ってみろ」そう言って、メモ帳に地図を書いてくれました。


 その夜。宿泊先のゲストハウスを一人抜け出した僕は、オヤジが教えてくれた秘密の場所へと向かいます。そこはとある高級ホテルの裏側にある丘の上。背丈の高い雑草をかき分け、丘の頂上を目指しました。静まり返った夜。虫の音だけがあたりに響いています。頂上にたどり着いたとき、そこで見た景色は今も忘れることができません。月明かりに照らされて青白く輝くタージマハルがそこにはありました。映画の世界よりも美しい、まさに息をのむ現実の光景です。


 世界史の教科書で写真を見て以来、一度はこの目で見てみたいと焦がれていたタージマハル。それをまさかこんなかたちで目にすることができようとは。タージマハルは今からおよそ500年前にムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンが妃のために建てた総大理石の霊廟、つまり奥さんのためのお墓です。よっぽど奥さんのことが好きだったんでしょうね。彼はありったけのお金をつぎ込み、とんでもなく豪華なお墓をつくったのです。いつまでも丘の上からタージマハルを眺めていたかったのですが、如何せんその場所は虫が多すぎました。最高の景色をしかとこの目に焼き付けて、丘を下りたのでした。


 それからもオヤジの店には何度かバナナラッシーを飲みに行きました。名前はもう忘れてしまったけれど、本当に気のいい親切なオヤジ。ありがとう。あなたの店は過酷なインド旅行で見つけた心のオアシスでした。俺はまだあんたの作るバナナラッシーの味を覚えてるぜ!


本当は別のエピソードも書くつもりだったのですが、長くなってしまったので今回はここまで。次は何を書こうかなあ。

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