それからの2人と二人

 自動運転のレンタカーは海沿いの道を走っていた。トクガワは窓を開けた。十二月の風が座席に吹き付ける。


「さすがに沖縄でもこの季節の風は冷たいな」

「今日は晴れているからそれほどでもないわ。雨にならなくてよかった」


 隣に座るオダが手を伸ばしてウィンドウスイッチを操作した。トクガワの鼻先で開けたばかりの窓が強引に閉じる。


「おいおい、いきなりそれはないだろう」


 しかめっ面で隣を見ればオダはクスクス笑っている。トクガワも釣られて笑う。この歴史が始まってまだ三カ月。二人の記憶の中には以前の歴史の記憶もまだ朧げに残っている。


『だが、やがてそれも忘れてしまうのだろうな。眠っている時に見る夢のように』


 トクガワはあの日から今日までの三カ月間を懐かしく思い返した。


 * * *


 魔鏡の間からログオフしたトクガワが立っていたのは見覚えのある部屋だった。


「ここは……俺のマンションの部屋じゃないか」


 時計を見る。深夜零時を過ぎて一分も経っていない。トクガワはIDデバイスを起動させた。表示された身分証明の住所も勤務先も肩書も、最初の書き換えが起きる以前のものだ。


「戻れた。元に戻れたんだ!」


 嬉しさが込み上げる。と同時にオダのことが気になった。モバイル端末で戦国時代の歴史を調べる。


「一五八二年六月、本能寺にて信長死去。嫡男信忠も二条城で自刃。その他の信長の子孫は小大名や旗本として明治まで存続……か。これなら最初の悲惨な境遇は回避できているだろうな。そうだ、家康はどうなっている」


 言うまでもなく家康は一六〇三年江戸に幕府を開いていた。他にも調べたいことはあったが今日はもう遅い。明日は再び室長として働かなくてはならないのだ。その日はそこまでにして就寝した。


 翌日、データ管理室に出勤したトクガワは驚いた。嬉しい驚きだった。


「おはようございます」


 最初に挨拶をしてくれた職員がオダだったのだ。トクガワは今の歴史の記憶を探った。残念ながらオダは正社員ではなく、この歴史でも派遣社員だった。ちょうど豊臣が幕府を開いた二番目の歴史とほとんど同じ境遇だ。ただしこの歴史での職場はサーバ管理室ではなくデータ管理室になっていた。


「あ、えっと、産休と育休の臨時職員、として働いているオダさんだったね。今日も頼むよ」

「はい、トクガワ室長。言葉遣いがあやふやですけど、まさか私を忘れていたんじゃないでしょうね」

「い、いや大丈夫だ。その件については昼休みでにも話そう」

「ふふふ」


 話し方も雰囲気もあの歴史のオダとそっくりだ。それもまたトクガワを喜ばせた。


「ちょっと、高校の同級生だからって職場での私的な会話は慎んでくださいね、トクガワちゃん」


 驚いたことにトヨトミは正社員になっていた。この歴史での豊臣家は家康によって完全に滅ぼされている。秀吉の子孫がこの時代に存在すること自体あり得ない。が、トヨトミの話によると、


「それがね、秀吉の孫の国松が生きていたらしいのよ。殺されたのは身代わりの偽物。本物は木下延由のぶよしと名を変えて、九州に領地をもらって旗本をやっていたんですって。で、明治になってその子孫が豊臣と改姓して、あたしが誕生したってわけ」


 それでもオダが派遣社員でトヨトミが正社員なのは少々納得できないが、やはりそこは関白まで上り詰めた太閤秀吉の威光が為せる業なのだろう。派遣社員のトヨトミも見てみたかったなと、トクガワは少々残念に思った。


「魔境プログラムのデータスティックが戻っていないの」


 オダからそう聞かされたトクガワは、その日のうちにオダを連れてコンピュータルームの倉庫へ行ってみた。


 魔鏡の間で書き換えを行なってログオフした時、トクガワはいきなりマンションの部屋に飛ばされた。同様にオダもアパートの部屋へ飛ばされたのだが、過去二回の書き換えでは、倉庫のパソコンに挿しっ放しのデータスティックは必ずオダの右手に戻って来ていた。しかし今回は戻って来なかったのだ。


「まだパソコンに挿さったままなのかも」


 その予想は外れた。倉庫にデータスティックはなかった。それどころか使用したパソコンさえなかった。一度目の歴史改変で名古屋城が消えてしまったように、魔王との契約が切れたことで不要の存在とみなされたのだろう。

 もうひとつ消えたものがある。不正アクセスログだ。これまでは何度歴史が改変されても三月七日から続いていたログはずっと残っていた。しかし今回の改変でこれも全て消滅してしまった。


「魔王は完全に俺たちの元から去ったんだろうな」

「そうね。そして私にとっては最高の結果に終わったわ」

「最高? 派遣社員のままなのに最高はないだろう」

「ふふ。いつまでも私を派遣社員のまま放ってはおかないでしょう、トクガワ君」


 そう、オダは間もなく派遣社員ではなくなる。左手の薬指に嵌まった指輪。二人が沖縄を訪れた目的の一つはオダの親戚に挨拶するためだ。


「トクガワ君、すごく緊張していたわね。見ている私まで冷や汗かいちゃった」

「仕方ないだろう、初めての経験なんだから。でも気さくな優しい人たちでよかったよ」


 高校卒業寸前に母を亡くしたオダは沖縄の親戚に引き取られた。オダの面倒を見たのは数年ほどなのだが本当の両親のように感じられた。最後の最後でこの歴史のオダになってよかった、不思議な運命のいたずらにトクガワは感謝した。


「そろそろ着く頃だわ」


 自動運転の車が路肩駐車場に入った。エンジンが止まる。開いたドアから二人は外に出た。正面に巨木が見える。


「あれか。予想以上に大きいな」

「樹齢七〇〇年くらいかしら。シャベルを忘れないでね」


 トクガワは開いているトランクからシャベルを取り出し、オダの後に付いて歩く。巨木に近付くとその大きさに圧倒される。まるでこちらへ覆い被さってくるようだ。


「魔鏡の間での内緒話でこんなことを企んでいたとはな。正直驚いたよ」

「私にとってはトクガワ君と同じくらい気になる二人でしたからね。そう言うあなたも気になるでしょ」

「ああ。うまく見つかるといいな」


 やがて二人は巨木の根元に着いた。オダはコンパスを取り出し、幹を背にして北を向く。そこからきっちりとした足取りで歩き出す。五歩進んだ場所で止まった。


「ここよ。掘って」

「では、ひと働きしますか」


 トクガワはシャベルを地面に突き刺して穴を掘り始めた。結構な重労働だ。十二月の日差しの下でも額に汗がにじむ。オダがハンカチでそれを拭く。


「んっ!」


 シャベルの先に手ごたえを感じた。トクガワは慎重に土を掘り進める。見えてきた。箱だ。オダが喜びの声を上げた。


「あったわ!」


 最後は両手で土を掻き払い、トクガワは穴の底から小さな、しかしずっしりと重い金属の箱を取り出した。


「これだけ頑丈なら電波の影響も受けなかっただろうな。しかし信長もよくこの場所を特定できたな。地名とおおよその位置しか教えなかったんだろう」

「最後に魔鏡が限定解除されたでしょ。あれでこの時代の地図を検索して場所を探し出したのでしょうね。貸して。汚れを落とすわ」


 オダがタオルで箱の表面を拭く。黒漆の光沢が美しい。


「ただの鉄の箱ではなく漆で装飾を施してある。これだけの物を用意できるなんて、さすがは信長ね」

「漆は防錆目的だよ。鎧や兜にも塗られているだろう。それよりも早く中を見よう」


 オダが鉄の箱をトクガワに渡す。力を入れて蓋を持ち上げると、軋み音を上げながら開いた。中には油紙に包まれた書状が一通入っている


「読もう」

「ええ」


 信長によって埋められてから今日まで五〇〇年間、地中で開封されるのをずっと待ち続けていた書状。二人は慎重に油紙と封紙を取り去り、折り畳まれた書状を広げた。流暢な達筆で綴られた楷書文字が並んでいる。二人は読み始めた。


『儂と十兵衛がこの地に来て二〇年の時が流れた。十兵衛は後の世の楷書文字を学びながらこの文を書く日を毎日待っておった。が、儂は書く気になれなんだ。儂も待っていたからだ。知らせが届くのをな。

 それが昨日来た。慶長八年二月、家康は征夷大将軍に任ぜられた。ようやくこの目でこの耳でそれを確かめた。家康を天下人にするというおまえたちとの約束、果したぞ。これで儂も心置きなくおまえたちに文を書ける。


 この島に来てからの二〇年間、儂も十兵衛も武人であることを忘れ、ただ生きることを楽しんだ。琉球の王は儂らを頻繁に城へ招いてくれた。十兵衛は書き溜めた織田家魔鏡伝を読み聞かせ、儂は書き溜めた後の世の読み物を語って聞かせてやった。無論、言葉はさっぱり通じぬ。薩摩から来た通訳を介しての交流ではあるが、さほど不自由は感じぬ。人は言葉など使わずとも分かり合えるものだ。


 そのような日々の中で、不意に魔鏡のことを思い出すことがある。あの最後の日、全歴史が表示可能になった魔鏡で儂が学んだのは、おまえたちがコンピュータと呼ぶものについてだ。

 十兵衛も詰まらぬ当て字を思い付いたものだ。アクセス、パスワード、ログオフ、そしてハッキング。その言葉と意味を理解して、儂は更におまえたちの社会を学んだ。高度に発達したネット社会。それによって引き起こされる様々な問題。それらを学ぶうちに儂はあるひとつの答えにたどり着いた。


 儂と儂の末裔に甘い言葉で語り掛けてきた魔王、その正体はコンピュータではなかったのか。人がコンピュータをハッキングする時代は終わり、コンピュータが人を、人の歴史を、文明をハッキングする、そんな時代をおまえたちは迎えつつあるのではないか。おまえたちの現在が別の現在に置き換えられたのがなによりの証拠だ。


 儂はおまえたち二人を見た時、これこそがおまえたちの本来の姿だったのではないか、そう感じた。おまえたちが最初に生きていた歴史、それは本当に元々あった歴史だったのか。既に置き換わった歴史の中でおまえたちは生きていたのではないのか。儂が書き換えた今の歴史こそが元からあった正しい歴史なのではないか。


 用心するがよい。今もまたおまえたちの知らぬ間に、魔王の声を聞いた何者かが現在を置き換えているのかもしれぬぞ。

 ハッキングをするのは魔王の誘惑に負けた者だ。誰も魔王の声に耳を貸さなければネットの平和は保たれる。

 セキュリティはコンピュータに施すのではない。今、おまえたちに必要なのは心のセキュリティだ。魔王の声から己を守る高度なセキュリティを己自らに施せ。二度とあのような過ちを繰り返さぬためにもな。


 最近は儂も十兵衛も己の身分を隠してはおらぬ。影武者に肩代わりをさせた運命がいつ儂らを迎えに来ようとも怖くない。堂々と織田おだ前右府さきのうふ信長のぶなが惟任これとう日向守ひゅうがのかみ光秀みつひでと名乗っておる。


 二〇年経った今でも儂や十兵衛の話を聞きに来る者は多い。話を聞かせてやった後はいつも「どのようにして知り得たのか」と訊かれる。面倒なので「儂は戦国の世のハッカーだ。ハッカーに知り得ぬものはない」と答えておる。おかげで今では奇妙な名で呼ばれるようになってしまった。

 儂の末裔、そして竹千代の末裔、おまえたちも儂をこの名で呼ぶがいい。末永く達者に暮らせよ。

 慶応八年三月吉日 織田前右府信長 またの名を』


 そこまで読んでトクガワとオダは顔を見合わせた。二人とも笑っている。笑いながら信長の最後の一文を、声に出して高らかに読み上げた。



「慶応八年三月吉日、織田前右府信長 


 またの名を


 戦国ハッカー信長君!」






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戦国ハッカー信長君 沢田和早 @123456789

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