最終話 敵も味方も本能寺 2099年 一五八二年

地下倉庫の秘密

 イヤホンから目覚まし代わりのアラーム音が聞こえる。フラットシートに寝ていたトクガワは目を開け身を起こした。ネットカフェの退出時刻は午前七時。それを過ぎると延長料金を取られてしまう。


「今日はどうなっている」


 端末を操作してメールをチェックする。仕事があれば派遣会社からメールが来ているはずだ。


「おっ、着信アリ。空調関連の会社に二週間か。これでしばらくはネカフェ暮らしができそうだ。」


 トクガワはイヤホンを取るとシートの上で腕立て伏せを始めた。今日一日気合いを入れて過ごすために欠かせない日課だ。


「ふんっ、ふんっ。この生活にもだいぶ慣れてきたな」


 腕立てをしながらトクガワは思い出す。一カ月前、オダのマンションを飛び出した後で向かったのは、IDデバイスに表示されたネットカフェだった。


「逮捕されてしまったからな。派遣会社の登録も抹消されているだろう」


 そう思いながらメールをチェックしてみると、案の定、登録抹消通知が着信している。一度は落胆したトクガワだったが、最新のメールを見て元気が戻った。再登録通知が着信していたからだ。


「よくも俺みたいな男を拾う気になったもんだ」


 その理由はメールを読んですぐわかった。身元保証人としてオダの氏名が記載されていたのだ。恐らくオダが派遣会社に掛け合い、自分を身元保証人になることでトクガワの再登録を認めさせたのだろう。


「余計な気を遣わなくていいのに……ありがとう、オダ」


 別れ際に見せたオダの泣きそうな顔が思い浮かぶ。その幻影にトクガワは礼を言った。


 それからトクガワの派遣社員生活が始まった。毎朝メールをチェックし、その指示に従って働き先へ向かう。メールが来ない日は公園で過ごし、そのまま野宿する。文字通りのその日暮らしだ。

 紹介されるのは単発で最低賃金ギリギリの仕事ばかりだった。十日近くメールが来なくて預金が底を尽いてしまい、公園の水を飲んで過ごしたこともあった。


「今はまだ十月で朝晩もそれほど冷え込まないが、真冬の野宿は体にこたえそうだな。今のうちに金を蓄えておきたいものだが」


 トクガワは生活を切り詰めた。しかし数日仕事がなければ、爪に火を灯すようにして貯めた金もみるみるうちに減ってしまう。まるでアリジゴクの底でもがく蟻のような生活だ。


 そんなトクガワにとって二週間続く仕事は天の恵みと言えるものだった。トクガワは身支度を整え、ボロボロのバックパックを持ち、指定の空調関連会社へ向かった。

 割り振られた仕事は契約先企業の空調施設のメンテナンス。初日は簡単な作業手順の説明と実習。二日目に具体的な勤務事項を知らされたトクガワは驚きを隠せなかった。


「メンテナンスを行うのは総合歴史記録センター、地下十階のコンピュータルーム。トクガワ君は午後十一時から午前五時までの朝番で二週間勤務」

「オダ、君の仕業か」


 トクガワはそう感じずにはいられなかった。高校卒業後初めてオダに会ったコンピュータルーム。そこでオダがしていた仕事を割り振られたのだ。オダは現在サーバ管理室の室長。この程度の根回しは造作もないだろう。


「今更何をするつもりだ」


 胸騒ぎは感じる。だが仕事を断るだけの経済的余裕はない。トクガワに選択の余地はないのだ。


「連絡事項は以上。君は今日が初日か。焦らずマイペースでな」


 その日の午後十一時、夜番の職員から引継ぎを終えたトクガワは、総合歴史記録センターのコンピュータルームに入った。さっそく仕事に取り掛かる。作業自体は単純だ。初めはマニュアルを見ていたがすぐ要らなくなった。トクガワは淡々と業務をこなす。


「こちらに来てくれない」


 始めてから一時間も経たないうちに背後から声がした。オダだ。やはり来たのかと思いながらトクガワは立ち上がった。


「よくこんな深夜に入室できたもんだ。室長の力は凄いな」

「余計なお喋りはやめて、付いて来なさい」


 オダが歩き出す。トクガワは手に持っていた工具を置いて後を追う。


「オダさん、前にも言ったけど、俺は……」

「静かに!」


 オダは立ち止まるとトクガワに顔を近付け小声で言った。


「知っているでしょう。ここには監視カメラもマイクもある。黙って付いて来て」


 トクガワは思い出した。室長としてここでオダと会った時、会話する二人の様子も内容も全てサーバ管理室に筒抜けだった。翌日、当時の室長から「出入りの業者との無駄話は慎むように」ときつく注意をされたのだ。


『俺をどこへ連れて行くつもりなんだ』


 広大なコンピュータルームを二人は歩く。やがてその前方に貧相な扉が見えてきた。


「入って」


 オダが開けた扉から中に入ると、そこには雑多な物品が置かれていた。棚に整然と並ぶプラスチック容器、隅に置かれた配線が付いたままの基盤、古いモニターなどなど。倉庫として使われている部屋のようだ。


「ここにはカメラもマイクもないわ。質問があればどうぞ」

「なぜ俺をここに連れてきた」


 即答するトクガワを見てオダはふふっと笑う。


「理由は二つあるわ。一つ、トクガワ君に全てを教えてあげるため。二つ、今の歴史を変えるため」

「歴史を変える、だと!」


 トクガワの態度が一変した。口調に熱が籠っている。


「できるのか」

「わからないわ。織田家に無関係な歴史の改変は初めてだもの。だからトクガワ君からも直接お願いして欲しいのよ、信長に」

「信長に……五五〇年前の信長に会えって言うのか」


 オダは頷く。そしてポケットからメモリスティックを取り出した。


「これは魔境プログラム。魔王の指示に従ってダウンロードしたもの。このプログラムを使えば魔境亜空間を生成できる。見ていて」


 倉庫の奥に薄汚れたパソコンが置かれている。オダがメモリスティックを挿すと電源も入れていないのにパソコンが起動した。同時にパソコンの半径数メートルの空間は岩に囲まれた洞窟のような風景になった。半透明の岩を通して倉庫の様子も見えている。トクガワは岩に触れてみた。感触はない。実在しているのではなく見えているだけのようだ。


「な、何が起こっているんだ」

「これは魔境亜空間。時は信長の時代にさかのぼり、時の進みは極端に遅くなる。空調の仕事をしながら、臨時職員の仕事をしながら、私はここで不正アクセスの手助けをした。信長のためにセキュリティを突破するふだを作り続けた。そして必要があれば信長の時代にも行った」

「い、いや、ちょっと待ってくれ」


 洞窟に変わってしまった倉庫と信じがたいオダの話によって、すっかり混乱してしまった頭を落ち着かせようと、トクガワはオダの言葉をさえぎった。


「仕事の合間にそんなことはできないだろう。監視カメラもあるんだ。何十分間も倉庫から出て来なかったら怪しまれる」

「だから言ったでしょう。魔境亜空間では時の進みが極端に遅くなるのよ。時計を見て御覧なさい」


 トクガワは倉庫の壁時計を見た。デジタル表示は変わらない。止まったまま、いや、違う。今、一秒進んだ。オダの言うように極端に進みが遅くなっているだけのようだ。


「わかった。ここまでは納得しよう。しかしここでメインフレームのセキュリティを調べていたらアクセスログが残るはずだ。すぐ足が付く」

「ええ、残っていたわ。十六世紀のアクセス日時としてね。魔境亜空間の時は今ではないの。信長の時代なのよ。空調の仕事をしている時は午前零時。派遣の仕事をしている時はお昼休みを一時間ずらしてもらって午後零時。そして日付は信長の時代。それが私のアクセス時刻。同時に信長が魔鏡を使う時刻でもあった。納得できた」


 次から次へと驚くことばかりだ。つまり今、トクガワの周囲に広がっているこの洞窟は、信長の時代のこの場所の風景ということになる。


「そ、それで歴史を変えるというのは?」

「家康が死なない歴史に改変するのよ。そうすれば現在のトクガワ君の状況も変わるはず。家康が自分の死因となる鯛の天麩羅を食べるのは天正一〇年六月三日。こちらの一日が信長の二カ月に相当するから、次の零時で天正一〇年五月を迎えるはず。今、信長に書き換えを頼めばギリギリで間に合うわ」


 こちらの一日が向こうの二カ月に相当するのはトクガワも気付いていた。前回の歴史改変から今日で二カ月近く経つ。武田の病没は一五七三年。家康の急死は一五八二年。向こうの九年間はこちらの五十四日。確かにそろそろ家康が死ぬ頃だ。


「感謝するよ、オダさん。それができれば俺の人生も変わる。しかし、それならもっと早くここに連れてきてくれればよかったのに」

「信長が知り得る歴史は半年先まで。書き換えられるのも半年先まで。だから三日前になるまで待たなければ打つ手がなかったのよ。空調設備メンテナンスの開始を今日に設定するのが私の精一杯だった。遅れてしまってごめんなさい」


 マンションに誘われた時のオダとは違う……自分の目の前で頭を下げるオダを見てトクガワはそう思った。あの時の傲慢も自己陶酔も、今のオダからは感じられない。トクガワを助けたい、今の境遇から救ってあげたい、その気持ちがひしひしと伝わって来る。


「でもいいのかい。家康を救ったことで信長は天下人になれないかもしれない。オダさんは派遣社員に戻ってしまうかもしれない。そんな危険を冒してまで、どうして俺を助けようとしてくれるんだい」

「それをもう一度私に言わせないで。マンションで話したでしょう」


 オダの頬が微かに赤らんでいる。トクガワには覚えがない。


「マンションで……すまない、思い出せない」

「私の本当に欲しかったものが、ようやくわかったから……」

「本当に欲しかったもの?」

「行き方を説明するわ」


 突然オダの口調が変わった。何かを吹っ切るようにいきなりキーボードを叩き始めた。


「地下から地上の古渡城跡へ出るための転移札。魔鏡のある魔境空間へ入るためのアクセス札。この二つが必要なの。魔王の刻印が押された札、それを手のひらに写し取る……これでよし。トクガワ君、両手をモニターに当てて」


 トクガワがモニターを覗き込むと、そこには文字に似た奇妙な文様が二つ並んで映し出されていた。言われた通りに両手を当てる。


「うわっ!」


 静電気に似たビリッとする感触。慌てて手を離すとモニターと同じ文様が手のひらに残っている。


「まるで遊園地の再入場スタンプだな」

「似たようなものよ。後は入出力用のキーボードを魔鏡の間に転送。新しいパスワード札は……必要ないわね。いいわ、これで準備OK」


 オダはパソコンから離れると腕時計を見詰め始めた。トクガワも壁のデジタル時計を見る。午前零時二秒前。間もなくメンテナンスが始まる。


「魔境プログラムはどのパソコンでも起動する。でも魔境門はこの場所にしか開かない。魔王が私と信長を結び付けた場所。今、センターの敷地となっている場所にあった古渡城、その跡地に通じる円環はもうすぐ開く」


 デジタル表示が一秒進んだ。それからまた長い時が流れる。二人は黙って時計を見詰めていた。長い長い一秒。その一秒が終わりを告げてデジタル時計が午前零時を示した瞬間、洞窟の中に乳白色の円環が現れた。


「こ、これが魔境門なのか」

「そう。これをくぐれば古渡城跡へ出る。さあ、行くわよ。転移札がしるされた左手を円環に当てて」


 トクガワが言われた通りにすると、その姿は一瞬で消えた。続いてオダの姿も消えた。誰もいなくなった倉庫の洞窟では魔境プログラムを走らせたままのパソコンが淡い光を放っていた。

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