無意味なアクセスログ
トクガワが勤務する総合歴史記録センターには過去から現在までのあらゆる歴史資料が保管されている。利用者はネットを通じて自由に閲覧できるのだが、全ての資料が公開されているわけではない。資料の中には公序良俗に反するものや機密事項に該当するものなども含まれているからだ。
全資料を保管しているメインフレームは閲覧用のサーバからは完全に独立している。特別に承認を得た者だけしか利用できないように最高度のセキュリティで守られている。そこへ不正アクセスされたのだから、トクガワが顔色を変えるのも無理はない。
「どうして朝一で報告しなかった。昨晩のことなら今朝にはわかっていただろう」
「う~ん、それがちょっと訳アリでね。不正アクセスのようだけど、そうじゃないかもしれなくて……」
なんとも歯切れの悪い返答だ。トクガワはじれったくなってきた。
「もういい、直接見る。詳細を教えてくれ」
「とっくにトクガワちゃんの端末に送ってあるわよ。じっくり吟味するといいわ。じゃあねえ~」
トヨトミは手を振って自分の席へ戻っていく。すぐさまトクガワは端末を操作してトヨトミ発信の文書を開いた。
「な、なんだこれは……」
表示されたのはメインフレームへのアクセスログ、いや、アクセスログのようなものだった。トクガワは開いた口が塞がらなかった。そこにはまったく意味をなさない文字が羅列していた。IPも識別名も送受信量も、数字と記号とアルファベットが入り混じり、声に出して読むこともできない表示になっている。
「かろうじてわかるのは日付とファイル名か」
不思議なことにアクセス日時とアクセスファイル名だけは正常な表示だった。と言っても日付は正常とは言い難い。全てのアクセス日時が『1552/03/07/00:00』だったからだ。不正アクセスは今から約五五〇年前に発生していたことになる。
「どういうことだ……」
トクガワは頭を抱えた。こんな現象は初めてだった。ログを眺めながらしばらく考えたがそれらしい理由は思い付かない。
「発見した張本人に訊いてみるか」
トクガワはチャットを開いた。就業中は業務に関する内容でも声による会話は慎むことになっている。
【トヨトミ、このアクセスログ、どう思う】
【単刀直入に言うとね、バグだと思うのよ】
すぐに答えが返って来た。どうやらトヨトミもトクガワからの質問を待っていたようだ。
【バグ? 何のバグだ?】
【アクセスの時刻を見て。真夜中の十二時になっているでしょ。しかも不正アクセスのあった全てのファイルがその時刻を示している。不自然過ぎると思わない】
トクガワはもう一度アクセスログを見直した。トヨトミの指摘通り、どのファイルも時刻は00:00だ。
『この時刻に何か意味があるのだろうか……そうか!』
トクガワは自分が情けなくなった。どうしてすぐ気が付かなったのか、自分で自分を叱り付けたくなった。
【午前零時はメインフレームのメンテナンスが始まる時刻。つまり今回の原因はメンテナンスにあると言いたいんだな】
【正解! 実際に不正アクセスがあったわけじゃなくて、メンテナンスで何らかの不具合が発生し、あたかも不正アクセスがあったようなログが出力されてしまった、そう考えるのが一番納得できるんじゃないかしら】
【ハードの問題というわけか】
あり得ない話ではない。サーバに使用されているメモリは信頼性耐久性共にスバ抜けており、不具合を生じさせる可能性は限りなくゼロに近い。しかしその他の部分に関しては従来通りの性能だ。メンテナンスによって誤作動を起こしたと考えられなくもない。
【それにねトクガワちゃん、もし誰かが不正アクセスをしたのなら、その意図がわからないのよ】
【どういう意味だ】
【アクセスしたファイルを見て。戦国時代の織田家に関する記録と平成の頃に流行した小説、それだけでしょう。これは一般に開放しているサーバでも閲覧可能なファイルなのよ。せっかくメインフレームにアクセスしたのなら、一般公開されていないファイルを見るのが普通じゃない】
トヨトミが朝一番に報告しなかった理由がようやく飲み込めた。確かにこれは不正アクセスとは言い難い。そしてハードの問題となれば、ソフト面だけに携わっているデータ管理室とは無縁の話だ。緊急性が低い案件と考えてよいだろう。
【俺もおまえの考えに同意する。この件はサーバ管理室へ報告して終了としよう。通常業務に戻ってくれ】
【ははっ! 承知しました(敬礼)】
端末から顔を上げるとトヨトミがこちらを向いて敬礼している。トクガワは吹き出しそうになった。
その後はいつもと同じ平穏な時間が過ぎていった。昼食は社員食堂で済ませ、昼一番に午前中の業務内容報告を受け、午後の業務指示を出し、その後、役員も交えた会議が終わると退社時刻が迫る時刻となった。
「今日も無事に終えられそうだな」
午後の業務報告が端末に送られてくる。室長席でそれらをチェックする。これが済めば本日の業務は終了だ。よほどの緊急事態が発生しない限り、平社員はもちろん肩書付きの社員も残業はしない。定時退社がこの職場の原則だ。
「最後はトヨトミか」
メールに添付された文書を開いた途端、トクガワの表情が強張った。表示されたのはアクセスログ、午前の休憩後に見せられたメールと同じ、無意味な文字が羅列するアクセスログだった。
「どういうことだ!」
「そういうことよ」
トクガワが顔を上げると目の前にはトヨトミがいた。わざわざ室長席まで足を運んでいたのだ。終業時刻まであと僅か。チャットより直接話したほうが早いと判断してのことだ。
「何のつもりだ。どうして同じ文書を送ったりする」
「同じじゃないわよ、よく見て。日付と時刻が違っているでしょう」
トクガワはアクセス日時を見た。『1552/04/07/12:00』三月が四月になり時刻は昼の十二時になっている。
「なるほどな」
トクガワはすぐ了解した。メインフレームのメンテナンスは一日二回、十二時間毎に実施されている。本日二回目の昼のメンテナンスで同様の不具合が発生したのだ。
「三月が四月になった理由はわからんが、時刻は昼のメンテナンスの開始時刻。つまり原因はメンテナンスにあるという推論が、これで一層確かなものになったわけだ」
「そういうことね。アクセスされたファイルも前回と同じ、戦国時代の尾張周辺の記録と平成に流行った小説だけ。ここまで同じだと疑いようがないわ。サーバ管理室には連絡したの?」
「ああ、業者を呼んで明日にでも点検したいと言っていた。最近コンピュータルームの空調設備の調子が悪いらしくてな。数日前から見てもらっているそうだ。それが原因かもしれないとも言っていた」
「サーバが発する熱って凄いものねえ。トクガワちゃんは熱くなったりせず、いつも冷静にね。じゃ、お先に」
時計を見るとピッタリ終業時刻だ。トヨトミは手を振って自分の席へ戻っていく。トクガワも端末の電源を落とすと帰り支度を始めた。
が、その時、トクガワの頭の中に、今朝自分に語り掛けてきたあの言葉が聞こえてきた。
――そなたに危機が迫っている。心せよ。いついかなる時も注意を怠るな。
『危機……もしかしたら、このアクセスログを指しているのか』
それは不確かな推測に過ぎなかった。そもそもあの声自体、信ずるに足るものかどうかわからなかった。
だが、一度湧きあがった疑念は容易に拭い去れるものではない。それにあの声は言っていた。降り掛かる火の粉は自分の行動によって大きくも小さくもなる、と。トクガワは居ても立ってもいられなくなってきた。
「確かめてみるか、自分の目で」
原因がハードの不具合にあるのは間違いないはず。その不具合が無視できないほど深刻な状況にあるのかもしれない。如何に高信頼性高耐久性のメモリと言っても所詮は人が作り出したもの。今回の不具合によってメインフレームに記録されているデータが消失したりすれば、解雇どころでは済まない話になる。ハードに関する知識はほとんどないが、目視で確認できるような異常を見付けられるかもしれない。
トクガワは端末の電源を入れ直しサーバ管理室に連絡した。コンピュータルームの入室許可をもらうためだ。
認可されると直ちに部屋を出た。あわよくばハードに詳しい職員も同行して欲しいと思っていたのだが、定時退社の壁は厚く一人で向かうことになった。
「コンピュータルームか。行くのは何年ぶりになるかな」
会社が保有するサーバ類は全て地階に設置されている。その中でもメインフレームは最下層、地下十階にある。トクガワはエレベータを降りた。IDデバイスに身分証明を表示させて、通路入り口に立つ警備員に見せる。
「データ管理室のトクガワだ。連絡は来ているだろう。ドアを開けてくれ」
「トクガワ様ですね。伺っております。認証をお願いします」
警備員に言われて指紋、瞳孔認証、及びパスワード入力を済ませる。許可音が響いてドアが開いた。トクガワが中へ入ろうとすると警備員が声を掛けた。
「ただいま空調設備の業者が来ています。作業は間もなく終わると思いますが、騒音等があるかもしれませんのでご了承ください。それから退室時刻は厳守してください」
「わかった」
コンピュータルームに向かう歩道は既に動き始めている。柔らかいステップに乗ったトクガワは、早歩きの速度で進む通路に運ばれながら今朝の夢を思い出していた。
自分の遠い先祖である家康。その守り神と称する薬師如来。迫っている危機……それらがアクセスログとどう結びつくのか現段階では見当も付かない。しかし自分の身には今、何かが起こっている、起こりつつある、そんな気がしてならなかった。
「着いたか」
コンピュータルーム入り口にはまた別の警備員がいる。特に重要な区域なのでダブルチェックしているのだ。ここでも認証を済ませて中へ入ると、そこは途轍もなく広大な空間だった。
「年々拡張しているんだろうな。昔はここまで広くなかったような気がするぞ」
果てしなく整然と並ぶ電子機器。その表面ではインジケーターが意識を持った生物のように細かく明滅している。トクガワの目論見は完全に崩れてしまった。
「これを一台ずつ目視でチェックしていったら、それだけで人生が終わってしまうな」
それでもせっかくここまで来たのだ。電子機器が立ち並ぶ狭い通路をトクガワは歩く。歩いているうちに暑さを感じてきた。
「空調設備が不調であることだけは確かめられたな」
結局無駄足に終わってしまったがトクガワは後悔していなかった。もやもやした気持ちのまま帰宅するより、たとえ無意味な行為だったとしてもそれを確かめれば精神的負担は軽くなる。
「次はいつ来られるかわからんからな。時間いっぱいまで見学させてもらうか」
トクガワは気の向くままに歩き続けた。意味もなく角を曲がり、Uターンし、立ち止まってランプの明滅を眺めたりしながら、そろそろ帰ろうかと壁際の通路に出ようとした時、
「きゃっ!」
女の声が聞こえると同時に体が何かにぶつかった。人がいたのだ。驚いたトクガワは強い口調で叫んだ。
「誰だ。ここで何をしている!」
「……あの、空調設備の点検調整を……」
女は顔を伏せたままそう答えた。見ればすぐ近くの壁には空調ダクトの換気口が見えている。警備員が話していた業者に違いない。
「そうか。失礼な言い方をした。すまない。どこか怪我はしなかったか」
「いえ、大丈夫です」
女は俯いたままボソボソとした声で話す。清掃や運搬などの単純作業は全て自動化されているが、不具合の調整のようなマニュアル化しにくい作業は今でも人力に頼っている。
「君ひとりで作業しているのか」
「はい」
やはり顔を上げようとしない。実は最初に女の声を聞いた時からトクガワはずっと気になっていたのだ。どこかで聞いたことがある、そんな気がしてならなかった。
「私はデータ管理室のトクガワという者だ。失礼なことを訊くが、ひょっとしてどこかで会ったことはないか」
「……」
女は答えない。トクガワは女の胸を見た。作業服の左胸に名札がピン止めされている。そこに書かれた氏名を見た瞬間、トクガワは天地がひっくり返るほどの衝撃を感じた。
「まさか!」
両手で女の頬を挟むと無理やり上を向かせた。間違いなかった。トクガワが唯一付き合った娘、誕生日にイニシャルを刻んだボールペンをくれた娘、卒業前、何も告げずに去って行った娘……高校時代の同級生、オダだった。
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