電波の届かない場所

 四月末にしては暑い日だった。国会図書館に付き合ってくれた礼も兼ねて、トクガワはオダを喫茶店に誘った。


「ネットを介さずに影響を及ぼせるとはなあ。さて、どうしたものか」


 注文したアイスミルクコーヒーを飲みながら、トクガワは解決の糸口を考え続けていた。歴史が書き換えられたという証拠、どうすればそれを見付けられるのか。


「そうだ、トクガワさん、連絡先を教えてください」


 フルーツ山盛りパフェを食べているオダは、歴史の改変などには全く興味がないようだ。手にモバイル端末を持っている。


「ああ、オダさんもようやくモバイルを使うようになったのか」

「失礼ですね。高校の時から使っていますよ」


 そうだった。この歴史のオダも貧乏ではあるが、モバイルを所有できる程度の経済的余裕はあったのだ。前の歴史とごっちゃになってしまったらしい。

 トクガワも自分のモバイル端末を取り出すとオダの端末に当てた。


「ワイヤレスで情報交換か。便利な世の中だな。離れていてもこうして電波で、電波……」

「はい、終了。仕事でわからないことがあったら訊いちゃうかも。トクガワさん、よろしくお願いしますね」

「電波……」

「トクガワさん? どうかしましたか」


 大変な思い違いをしていた。ネットに繋がるためにケーブルは必要ない。むしろ今はほとんどが無線で繋がっている。センターのデータ書き換えの情報は電波に乗って空間へばら撒かれる。国会図書館の書籍も名古屋城も全て電波を浴びている。だから本の記述が変わり、城が姿を消したのだ。


「そうだ、電波だ。電波を遮断すれば書き換えの影響を受けなくなるかもしれない」

「えっ、トクガワさん、急にどうしたんですか」

「来てくれ。今回は無理だが次は証拠が手に入るかもしれない」


 喫茶店を出た二人は画材店へ向かった。歩きながらオダに説明する。まず紙を購入し現在の歴史を文字で記入する。次に電波を完全に遮蔽する金属の箱にその紙を入れ保管する。これでこの紙はネットの影響から完全に隔離される。信長が歴史を改変してもこの紙の記述は変わらないはずだ。

 トクガワから説明を聞かされてもオダはまだ納得しかねているようだ。


「電波の影響ですか。あり得ないとは言えないけれど、現在の電波が影響を与えられるのは現在だけでしょう。過去にまで影響を与えるって変じゃないですか」

「影響を与えるのは現在だけでいいんだ。おかしな考え方かもしれないけど、五五〇年間の全ての歴史を置き換える必要はないんだよ。現在、この時だけを置き換えればそれで十分なんだ。だって俺たちは過去にさかのぼって、歴史が本当に置き換わっているか、この目で直接確認することなんてできないんだから。歴史書の記述が変わっていれば、本当に過去が変わったかどうかには関係なくそれを信じるしかないし、その記述に迎合するように現在の状況が置き換わっていれば、やはりそれを信じるしかない」

「でも、信長が生きている歴史は変わっているはずなのでは?」

「信長が書き換えたのはこれから起きる未来の事柄だ。自分の過去を書き換えたわけじゃない。不正アクセスしたファイルに描かれている自分の未来を、そのまま自分の手で構築したんだ。俺たちの状況とは違う」


 トクガワ自身、自分の推論が正しいのかどうか自信はなかった。それでもオダをその気にさせることだけはできた。


「なんだか狐につままれたみたいな考え方ですけど、やってみる価値はありそうですね。信長は再び歴史を書き換えようとするでしょうか」

「一五七三年、西進する信玄と戦って信長は命を落とす。桶狭間と同じ状況だ。何らかの手を使ってこの出来事を改変させようとするに違いない。これまでのアクセスログを調べると、こちらの一日は向こうの二カ月に相当する。一五七三年まで向こうでは一三年。こちらでは七八日。二カ月半後、信長は必ず今回と同じ行動を取るはずだ」


 書き換えの結果、現代がどのように置き換わるかはわからない。しかし証拠は残せる。少なくともトクガワの言い分が正しいことは証明できるのだ。


「いいですよ、やりましょう」


 二人は水彩画用の紙を購入して店を出た。近くに公園がある。ベンチに座り、モバイルで戦国時代の歴史を検索。表示された出来事を書き写そうとした時、


「しまった、書くものがない」


 トクガワはすっかり忘れていた。「ペンで字を書く」という行為をここ十年近く行っていなかったのだ。当然筆記具など持ち歩いているはずがない。


「買いに行って来るよ」

「その必要はないですよ。私、持っています」


 オダは肩に掛けたバッグを下ろすと、中からボールペンを取り出した。トクガワは一目でそれが何かわかった。


「まだ持っていてくれたのか。しかもいつも持ち歩いているのか」

「ええ。大切な思い出の品だもの。トクガワさんはどうしたの。捨ててしまった?」

「いや、持っている、はずだ」


 書き換えられた歴史の記憶を探る。誕生日に互いに贈り合ったボールペン。この歴史のトクガワは一度も使わずに押入れの箱の中に保管している。


『前の歴史の俺と同じか。大切な物は使わずに取っておく性格は変わらないな』


「俺は一度も使わずに箱の中にしまってある。もう書けなくなっているかもな」

「そう……紙には私が書きますね」


 オダがモバイルの表示を写し始めた。一五七三年、武田と織田が岐阜にて交戦、両者とも討ち死に……


「豊臣が幕府を開くところまででいいですよね。では最後に私の署名っと。はい、トクガワさんも署名してください」

「あ、ああ」


 オダのボールペンを借りてトクガワも自分の名を書く。十数年ぶりの動作だ。手が震える。ぎこちない自分のサインを見てトクガワは苦笑いをした。


「随分下手糞になったものだな。小学生の字みたいだ」

「そんなことないです。高校の頃からこんな字でしたよ」

「ひどいな、ははは」

「ふふふ」


 取り成してくれるのかと思ったらその逆だ。やはりこの歴史のオダは明るい。元の歴史に戻らず、置き換えられた二人のままでいたほうが幸せなのかもしれない……オダの笑顔を見ながらトクガワはそう思った。


「箱はどうするんですか」

「どこかで鉄の箱でも買うよ。継ぎ目があるとそこから電波が侵入してくるから、鉄塊を削り出して作った容器が理想だな。その後は密閉して水中にでも沈めておくか。そこまですれば信長も歯が立たないだろう」

「なんだか信長に書き換えてもらいたいみたいな言い方ですね」

「一応対策は施しておくつもりだ。メインフレームのセキュリティレベルを数段引き上げる。その結果歴史の書き換えが起こらなければこの紙は無駄になってしまうが、それはそれで結構な話だ」

「そうですか」


 トクガワはオダを見詰めていた。反応を探っているのだ。もしオダが今回の書き換えに一枚噛んでいるのなら、今の言葉で少しくらいは動揺してもいいはずだ。


『わからんな。本当に無関係なのか、意識して無表情を装っているのか』


 トクガワはもう少し突っ込んだ話をしてみることにした。


「以前の俺は室長だったけど平社員の生活も悪くないな。オダさんも俺が室長でなければ気を遣わなくて済むだろうし、このままずっと平社員でも構わないような気がするよ」

「いいえ、それは嘘です。室長より平社員がいいなんて、そんなことを本気で思うはずがありません」


 オダの口調が変わった。コンピュータルームで出会った時の激しさを感じる。


「嘘? どうしてそう思うんだ」

「誰だって下より上のほうがいいに決まっています。トクガワさんは下にいる人の気持ちを知らないから、そんな呑気なことが言えるんです。私はいつも見上げていました。高校の時も社会に出てからも、私を見下ろす人の顔をずっと見上げて生きてきたんです。トクガワさんだって派遣社員の私より正社員の私のほうが好感を持ってくれるでしょう」

「いや、俺はそんな拘りはもってないよ」

「それも嘘です。高校の時から感じていました。母子家庭だと知った時のトクガワさんの目、あれは優しさじゃない、同情だって。きっと前の歴史の私もそう感じていたに違いないんです。あなたは粗末なお弁当を食べる私におかずをくれた。その時、私が何を感じたか、トクガワさんは分かりますか。こんな境遇から絶対に抜け出したい、トクガワさんと対等に話せる自分になりたい、そう感じたんです。そう思って今まで生きてきたんです。トクガワさんが平社員でも構わないと言えるのは私が派遣社員だから。私があなたより下にいるからその優越感がそう言わせているだけなんです。私は上へ行きます。トクガワさんがそんな言葉を言えなくなるくらいもっと上へ行きます。失礼します」

「オダさん!」


 オダは鞄を持つと勢いよく走り出した。トクガワは止められなかった。


「俺は彼女のことを少しも理解してやれていなかったんだな。昔も、そして今も」


 公園の出口へ走っていくオダの背中を眺めながら、トクガワはそうつぶやいた。

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