残酷なワンダーランド
第25話 満月
職業変更の日から数日経った、ある夜。
俺はエミリーに体を揺さぶられ、目を覚ました。寝起きの特徴でもあるぼんやりとした意識を無理やり覚醒させる。ベットの横には、暗闇の中モジモジとしたエミリーが佇んでいた。
「どうしたのですか?エミリー」
「お、おトイレ付いてきて……?」
闇の中でもわかる真っ赤な顔をしながら、エミリーは答える。まぁ、エミリーは幼女なのだしこういう事は珍しく無い。
渋々枕元にある燭台に炎を灯し、部屋を出る。
「そろそろ、一人で行けると良いですね。怖がりな次期領主さん?」
「むぅ……。あしたはひとりでいくもん!」
「はいはい」
目的地であるトイレ───廊下の端にある手洗い場には、子供の足だと数分かかる。そして、その間ずっとエミリーは俺の寝間着の袖を握っていた。
エミリーは暗闇が苦手な為 夜、トイレに行く時は必ずと言っていいほど俺か、両親を起こす。最初の頃こそ煩わしいと思っていたが今は慣れたものだ。
カツカツ、と自分とエミリーの足音だけが廊下に響く。その響く靴音ですらエミリーは背を震わせていた。
「……大丈夫ですよ、今宵は満月です。月光によって廊下が幾分明るいでしょう?」
「んん〜!でもオバケはこわいよー!」
「そうでしょうか……?」
本音を言うと暗闇や化け物が怖いという発想が自分にはなかった。生まれた時から怨念がましい所で生きてきたし、部下には首や目玉がないもの、幽体になっているものだって大勢いた。まぁそれでも暗闇は、昔を思い出すので不快と言えば不快だが。
トイレ前までやってくると、エミリーがチラチラとこちらを見だし始めた。何か言いたいのだろう。しばらく無言で見つめ合う。
───あぁわかった。そういう事か。
「……流石にトイレの中までは一緒に入れませんよ」
「ちがうっ!ここでまっててほしいの!リュウのニブチン!」
「ニ、ニブチン……?」
どうやら予想は大外れしたらしい。敵意や害意を察するのは得意だが、こういうのは自分には向いていない様だ。
エミリーは頬を膨らませながら、トイレに入っていった。それでもやはり震えていたので、怒りと恐怖という二つの感情を同時に感じているのだろう。随分と器用な事だ。
「ねー、リュウ!?そこにいてね?」
「はいはい、居ます居ますよ」
壁にもたれかかり、前腕の内側を見る。そこにはステータスが彫ってあるのだ。
➖➖➖➖➖
リュウ 7歳 level 4
HP 15
MP 13
攻撃力 10
防御力 12
➖➖➖➖➖
ふむ、やはり何度見てもこんな低いステータスがあるとは驚きだな。リュウは己を嘲笑うように笑みをこぼす。
魔術は殆ど使えなくなり、周りの人間達から笑われるようにもなった。あいつは出来損ない、愚か者だと。武術も騎士に
ふむ、これからどうして行くべきか。
リュウの考えはそこで強制的に中断された。ついさっきまで誰もいなかった廊下に、ポツンと人影が見えるのだ。この屋敷に住んでいる誰とも違う背格好の"それ"はまるで本物の影のように、ゆらりゆらり揺れている。
───盗賊か!?
「エミリー!そこから動かないでください!」
腰に下げていた剣を抜刀すると、影絵の様なモノがフッと消えた。前兆もなく炎が搔き消える様に唐突に消えたのだ。
「────ダァメだよ。子供がこんな危ないの持っちゃ」
カラン、と乾いた音を立てて握りしめていた剣が床に叩き落される。背後からの声に振り向くと、そこには見たことのないシルクハットを被った優男が立っていた。
なんだ、こいつは。屋敷の住人では無いはずだが。
「こんばんは、お坊ちゃん。今日は良い夜ですね」
「あぁ、そうだな
「おや、確かに幼いながらも男女。その夜に出張ってしまうとは野次馬でしたかねぇ」
どうやらトイレにいるエミリーのこともバレているらしい。優男はニマニマと憎たらしい笑顔をこちらに向けてくる。
「不躾な笑顔だな。いや、盗賊らしいと言えば盗賊らしいか」
「失礼な事を言うねぇ……、そんな野蛮なものではないよ」
窓から月の光が差し込み、男の顔を照らした。紫の髪を後ろに束ね、赤ワインの様に赤い瞳がキラキラと月光に反射する。一般的にはこれを"美しい"というのかも知れない。
しかし今の自分には到底、そんなことは思えなかった。病的なまでに白い肌、白いマントにシルクハット。そしてそれらに不釣り合いな、禍々しい杖。その男に表現し難い違和感を、リュウは感じていた。
男はそれを悟ったかの様に、嫌らしい笑みを浮かべる。雪の様な肌に映える真紅の唇は、頬が裂けそうなほど広がった。これは本当に笑みというのか疑いたくなる。
「お前は何者だ、名を名乗れ」
「ふふふ、お遊戯は始まったばかりだよ?生き急いではいけない。……まぁ、足元に気をつけながらお城に来ると良いさ」
その瞬間、男はふわりと宙に浮いた。白いマントが風も吹いていない廊下で、ひらひらとたな引く。男は空中で、丁寧に一礼をした。
「じゃあ私はこれで失礼するよ、お坊ちゃん。お茶会に間に合わないと、私が女王に怒られてしまうのでね」
軽くウインクをした男は、線香花火の様に突然消えてしまった。目の前に残されたのは、男に叩き落とされた剣しかない。幻影の様に消えた男を幻覚として扱っても良かったが、そうもいかない様だ。
「……嫌なことというのは立て続けに起こるものだな」
先程まで正常に白く輝いていた満月が一転、いつのまにか紫檀色に輝いていた。異質な光を放つ満月を窓越しに視界に入れる。
異常事態が起きていることだけが、漠然と理解できた。
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