第29話 菓子の家


「あ!なんかおうちがみえてきたよー!」

「……小屋?」


歩き始めて数十分。道なりに行き、漸く林を抜ける事が出来た。エミリーが照らすランプの光により、荒野の中に小さな家らしき物体がある事を確認する。

周りを警戒しながら、家屋付近に忍び寄った。すると半径三メートル程まで近づくと、鼻をつんざく、糖質系の臭いがするのだ。鼻穴に甘味料を放り込まれた様な刺激的過ぎる臭いに、思わず鼻頭を手で覆う。そうでもしないと胃液が喉元まで出かかってしまいそうだ。

しかし横を見るとエミリーは自分とは真逆の、むしろ嬉しそうな表情を浮かべている。臭いにも臆する事なく、破竹の勢いで菓子の家に向かっていった。


「すご〜い!おかしのいえだ!かべはクッキー、ドアはチョコレートになってる!」

「キュー♡キュー♡」


子ドラも持っていた紫のロープを女ごと落とし、小さな羽を忙しく羽ばたかせながら菓子の家に向かってしまう。

当然のごとく女が頭から地面に落ち、鈍い音が聞こえた。その後、女の断末魔の様な小さなうめき声が遅れた様に聞こえる。


「っ〜〜ちょっと!?人質は丁寧に扱いなさいよ!頭ぶつけたし……て言うか、縄をほどきなさい!」

「この縄は、所有者が敵だと判断した生物の魔力を奪う特殊な縄だ。ちょっとやそっとでは外れない。まぁ、外さないがな」


最初の森にいた時、暇つぶしに作った縄である。本来は研究材料モンスターを捕獲する為の縄なのだ。しかしその時はまだ、力によって弱いモンスターが逃げてしまい、結果多数の縄が使われず余ってしまった。

当時としては使い物にならないガラクタだが、今の自分にとっては武器にもなる大切な道具だ。過去の自分を嫌っておきながら、過去の自分に助けられるとは何とも皮肉なものだ。

暴れる女を近くの木に縛り上げた。すると女はまた逆上し、ギャンギャンと喧しく吠えたてくる。


「勝手に人の家に上り込むなんて最低よ!不法侵入で訴えてやるわ!」

「どの身分で法を語っている。豚に人権があると思っているのか?」


女を一瞥し、家の周りを興奮して駆けずり回っているエミリーを呼び止めた。先程まで綺麗だった筈の顔や服にはチョコレートがこびり付いていた。どうやら菓子で出来た壁を食べていた様だ。


「エミリー、あまり側を離れないでください。今、モンスターが近くにいても対処出来かねますので」

「でも、おかし……おいしそーだよ!」

「あとで携帯食あげますから、我慢して下さい」

「やーだー!クッキーがいいの!」

「キュー!」


不気味な林から抜けたことに対する安堵感からか、一人と一匹の腹虫が一斉にグルグルと地響きの様な低音が鳴りだす。確かにこの小さな身体では、定期的に休まならければすぐに限界が来てしまうだろう。その限界が来ている時に、モンスターなどに襲われたら笑い話では済まされない。


「では、せめてこの家の中で食べましょう。あの女の家らしいですから、一応安全ではあるはずです」

「そーなの?」

「はい、家というのは比較的安全地帯に造られるのが鉄則です。危険地帯に家を構えたりする馬鹿なんていない……と信じたいものですが、この世界に常識は通用しません。あくまでこれは予想の範囲です」

「ふ〜ん、リュウはものしりだね!ギュー!」


突然エミリーに前から抱きつかれると、ふんわり花の香りが鼻をくすぐる。いつも母親に付けてもらっている香水だろうか?何にせよ、先程まで臭いの暴力に遭っていた為、ほんの少しだが癒しにはなる。


「えへへ!げんきになった!?」

「……上々、ですかね」


我ながら無愛想だと思うシンプルな返事にも、エミリーはニコニコと微笑み返してきた。何がそれ程嬉しいのか全くわからない。


「"いえのなか"って、なにがあるのかなー?かわいいおかしが あるといいな!」

「……入りましょう。念のため、俺の後ろにいてください」


クッキーで出来たドアノブを回すと、カチリと扉が開く音がした。鍵はかかっていないらしく、そのまま開ける事が出来る様だ。細く空いた扉の隙間から室内を覗き込む。

暗く光がない為あまりよく見えないが、罠の類いのものは仕掛けられていない事を確認出来た。警戒しながら玄関らしき間に入り、ライトを照らす。壁には四つほど燭台があり、その周りに無数の薔薇が飾られていた。


「……すいません、エミリー。そこの四つの燭台に火を灯してくれませんか」

「はいはーい!」


エミリーは持っていたランプから燭台へ、淡々と火を移していく。移すというのは『ランプの火から自分の手の中に火を移動させ、さらにその手から燭台に火を移動させる』という簡易魔術を使っているのだ。

簡易魔術は、生活する上に置いて使えなければ不自由な生活を送る事になるという最低限の魔術だ。しかし、やはり自分では この最低レベルの魔術でさえも発動することは出来ない。彼女のボディーガードとしては肩身が狭いな。


「リュウ、あかり つけれたよー!」

「はい、ありがとうございま……」


魔術を使い一気に明るくなった玄関を見て、俺は一瞬息を止めた。甘ったるい臭いのせいではない。瞬時に悟ってしまったからだ。────嵌められた、と。


「エミリー!今すぐ外に出てください!」

「ふぇ?どーしたの?」


しかし時すでに遅し、というやつだろう。まだ暗闇だった部屋リビングから伸びてくる無数の手によって俺達は引き摺り込まれてしまった。

引き摺り込まれる瞬間、あの女の笑い声が聞こえた気がした。

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