第19話 小百合と玲奈

「ごめんね、呼び出して。まぁ座ってよ」

「うん……じゃあって、うわぁ!」

「えっ、何? どうしたの?」

 ヨハクが玲奈に指さされたソファに素直に腰をかけると、すぐに玲奈も隣に座ってきた。その時にお尻がぶっつかり思わず声が出ってしまった。

「な、何ってちか近くない……かな?」

 近いも何も、玲奈はヨハクにくっついており、ぴったりとくっついたお尻とふとももから熱と柔らかさが伝わってくる。

「こっちのほうが話しやすいかなって!……それとも嫌だった?」

 玲奈に上目遣いにそう聞かれ、ヨハクは「いや、えっと嫌というわけではないけど」としどろもどろに答えると、玲奈は悲しそうに眼を伏せた。

「そっか、私みたいのが近づいたら嫌だよね。ごめんね」

 玲奈はそう言って素早くその小さなお尻2個分ぐらいの距離を取った。

 ヨハクは、足から一気に玲奈の体温が離れ、ちょっと残念な気持ちになった。

「いや別にそんな離れなくても」

「うんうん、気にしないでいいよ」

 玲奈はそういってぶんぶん両手を降って、それに……と続けた。

「私、知ってるし。影で、“ハイレナ”って言われてるの。ヨハク君も聞いたことあるでしょ?」

 ヨハクは確かに、玲奈がハイレナと言われているところ、聞いたことがある。ずっとあだ名か何かだと思っていたが、違うらしい。疑問を口にしようとしたが、こういう時はツッコまないほうがいいなと思い別のことにした。

「それで話っていうのは?」

「もぅ!そんなに私とは話したくないんだ」

「そういうわけじゃ」と頬を膨らませる玲奈に、ヨハクは慌てる。

「ふっふ、別にいいんだけど。………ヨハク君ってさ?」

「―――――っ、何かな」

 玲奈が身を乗り出し、こちらをのぞき込むように見てくる。するとワイシャツの胸元が重力に従い広がり、ピンク色のブラジャーに包まれた控えな胸の先からへそで見えそうになり、ヨハクは慌てて目を逸らした。見ているのが見つかったら、朝霞さんに何を報告されるか分かったものではない、そう考えていた時、玲奈の言葉を聞いてそれを塗りつぶされた。

「さゆのこと、好きだよね?」

 咄嗟のことに、ヨハクは言葉を失った。いやしかし早く否定しないと確定してしまうが、口はパクパクと開くだけで言葉が出てこなかった。

「くっふふふふ。ヨハク君は素直だな」

 玲奈は、ウィンクしながら頭の上でピースサインをした。いうまでもなく満面の笑顔だ。

 今更否定したところで遅いだろう。ヨハクが小百合のことを好きなことをよりにもよって一番小百合に近い玲奈に知られてしまった。恥ずかしさと緊張で顔が赤くなっているのが、自分でも分かった。

 ヨハクが気持ちを落ち着かせようと手汗をズボンで拭いている時、

「で、ヨハク君にお願いがあるんだけど。いいかな?」

 いいかなも何もヨハクは秘密を知られてしまっているのだ、断れるわけもなかった。

「僕に出来ることであれば」というしかなかった。

「ありがとう!お願いっていうのはね。私も、ヨハク君や小豆ちゃんみたいに何か力が使えるようになりたいんだよね。アイリスちゃんにお願いできない?」

 力、というのはヨハクが害虫(ペスター)を雪の欠片に変えたり、小豆が召喚するように蛇を操る不思議な力のことだろう。そういえばアイリスは、花人(フロリアン)と呼んでいた気がする。

「えっと、たぶんだけど。アイリスにお願いしても無理じゃないかな」

「そうなの?!」

「うん、僕たちも、そのミリオたちね。も力を手に入れたかったんだけど、アイリス曰く無理みたいで、出来る人とできない人がいるみたい」

「出来る人と出来ない人の差は?」

「それが分からないんだよね。そのアイリスが言うには花があるかないかみたいだけど」

 ヨハクには確かに能力を使うときに感じるスノードロップがある。きっと小豆もあるのだろう。そうすると、……あれ?ヨハクはアイリスが言っていたことを思い出した。

 そういえば、アイリスは朝霞さん、灰原さん、小倉さんの三人を指して“花”がある、言ってなかったけ?それなら能力が使えるかもしれない。ヨハクが能力を使えるようになったのは、アイリスが光の翅を広げ、天使の涙を浴びてからだ。ヨハクはそれを伝えた。

「そうだね。でもあの時小豆ちゃんと一緒に天使の涙は浴びたけど、何も変化はなかったんだよね」

 言われてみれば、害虫ペスターからここを解放する際に、すでに浴びていたか。すると手詰まりだなっとほかに何か条件はあっただろうか、うーんと額に手を当てて考えているとそっと玲奈がヨハクのその手を握ってきた。

 えっ、なに?と思っているうちに手が玲奈の膝小僧まで誘導される。手同様にやはり膝もスベスベなのだろうか、と益体もないことを考えていると、

「手……ケガしているね」

「えっああうん、ちょっと運んでいる時にね。でも嚙まれたわけじゃ……」

「その心配はしてないよ。ちょっと見せて」

 ヨハクの返事を待たずに玲奈は、絆創膏が張られただけの傷口を見て、―――――

「結構傷深いねー。ちゃんと消毒しないと」

「ちゃんと、消毒え、あっ!」

 ヨハクが消毒液で消毒してあると言い切る前に、玲奈はヨハクの傷口を舐め始めた。

 小さい舌は、ねっとりと絡みつくように、血がまだうっすらと滲む傷口を踊るようになぞる。傷口全体が熱を帯び、少しざらついた舌先がひっかくように動き、傷口を広げ、ぷくっと膨らむように赤い花が咲き始める。無数に咲き始めたそれを玲奈は包むように口でふさいだ。

「灰岡さん、な何を?」

 傷口から唾液がもたらす熱、舌先がなぞるたびに傷口を抉る痛み、そしてクラスメイトが懸命に手をしゃぶっているという何と云えぬ背徳感が入り混じり、ヨハクの背中をゾクゾクと駆け巡った。

 しばらくそれが続き、ヨハクの中で違う世界の扉が開きかけるころ、玲奈はようやく顔を上げた。

「唾液ってさ。消毒効果があるみたいだよ。ツバ、つけておけば治る!はあながち間違えじゃないんだって」

 玲奈はそう言って笑顔で舌を出しながらそう言った。

 ツッコミどころの多い行動だが、ヨハクはそれよりも玲奈に起こった変化のほうに驚いた。

「灰岡さん、……その目は」

「目? 目がどうかした?」

 自分では気づかないらしい。まぁ自分では瞳の色などを見ることは出来ないのだから当然か。とヨハクは納得した。

「本当だ、真っ赤になってる」

 ヨハクが指摘すると、玲奈は自分のスマホを覗きこんでそう言った。

 玲奈の目はまるでヨハクから吸った血がそこに集まっているかのように、両目ともに赤赤としていた。

「それに……これは……うん、出来るかもしれない。そういうことだったんだ」

 どうやら玲奈は自分の世界に入ってしまったようで、目をつむり、しきりに右手をぐーぱー開きながら、ぶつぶつと呟いていたかと思うと、唐突に立ち上がった。

「うん、OK.。ヨハク君色々とありがとう、なんだが大丈夫そう」

 何が大丈夫なのか、ヨハクには分からなかったが、灰原さんがそういうのだからいいのだろうと思った。

「それとこのことは二人の秘密ってことでいいかな?お互い、秘密2つ持ちあうという事で」

 1つは当てつけなんだけど、とは言えずヨハクは頷くことしか出来なかった。

 玲奈はその答えに満足したのか、うんうんと頷き、目を開いた。

「どう、収まったかな?」

 先ほどまでカラーコンタクトでもしているかのように赤赤としていた瞳は、まぁ充血してるかなーぐらいにはなっていた。

「いや、少しは……薄くなったかな」

「どれくらい? 私の着けているピンクのブラぐらい?」

「いや、そんな色には……あっ、」

 ヨハクがしまった。と思うとくっふふふふと玲奈がいたずらぽく笑った。

「秘密三つ目はサービスしておいてあげるよ、じゃあ色々とありがとう」

 そう言って、颯爽と何処かに行ってしまった。

 ヨハクはぽつんと解放された階段に座り、灰原さんには勝てる気がしないなと独り言ちた。





  ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 何がどこにあるのか一見すると分からない雑多に置かれた商品群のなのかで、ガラスケースがたち並ぶそこだけは整然と商品が置かれていた。

 それもそのはずだ、中に並べられた商品たちは、指輪やネックレスなどのいわゆる貴金属、そのほかにも有名ブランドのバッグなどで、値札を見れば触るのを躊躇うほどだった。

 こんな安物買いが売りの店に、果たしてこのような値段のものを買う人などいるのだろうか?と並べれた貴金属にも劣らない黒檀のように美しい少女は思った。

 ガラスケースに映る、端正な顔立ち、夜空を切り取ったような美しい黒髪に映える白いユリの花の髪飾り、朝霞 小百合だ。

 小百合は、特に貴金属やブランドが好きというわけではなかった。ただ手持ち無沙汰でやるこもないので、なんとなく眺めているだけだった。

 それだというのに、まるでガラスケースに並べられた貴金属は小百合を彩る花々のように輝き、小百合を神秘的な美しさで包んでいるようだった。

 見るものが見れば、思わずため息をついてしまうような美しさだ。こんなふうに、

「ほぉー」

 それに気づいた小百合が振り向く、

「ああ、笹先輩。こんばんわ」

「…………えっ、ああ、こんばんわ。呼び出して悪いね」

 現れた笹が取り繕うように頭の裏を掻く。

「それで要件というのは?」

 まぁ、分かってはいるけれど…………という言葉は口の中で消して小百合は尋ねた。

「うん、まぁこんな時だし、言える時はっきり言っておいたほうがいいかなってね」

 緊張しているのか、珍しく笹の声は上ずっている。

「…………実は、ここのバイトを辞めようと思っていたんだ」

「…………? はぁ…………」

「でもその前に世界はこんなになっちゃってそれで…………」

 はっきりと言うんじゃなかったのか?笹はこんな絶望した世界でと…………自分語りを始めてしまった。

 うんざりする…………それを仮面のような張り付いた笑顔の裏に隠し、その時を待つ。

「つまり、」

 ようやく来たか、と小百合は思った。

「こんな不幸な状況でもそう思わないのは、君に出会えたということだよ。好きだ、今まで出会ってきた誰よりも」

 笹の熱い視線が小百合と交わる。

 それに小百合は…………さてどうしたものかと考える。

 断るのは簡単だ、ばっさりと、両断すればいい。笹はそれに激高するタイプでもないだろう。

 ただ今後、扱いやすいようにしないと、…………それに玲奈の件もあるし。

 スッと白魚のように繊細な指をガラスケースに伸ばす。

「笹先輩…………あのピンクダイヤモンドの指輪取れます?」

「…………えっ、…………ああ!鍵ならあるよ!!」

 なぜか嬉々として笹は、ジャラジャラと鍵束を鳴らしながら、懸命に鍵を探す。

「玲奈…………赤とかピンクとか好きなんですよ」

「えっ?」

「これピンクダイヤモンド、なんて玲奈の指にとてもよく似合いそう」

「あの、朝霞さん!」

「鍵見つかりましたか?」

「ああ、それはあったけど、僕が好きなのは―――」

「―――――私、男の人好きじゃないんです」

「…………それってどういう?」

「言葉通りの意味に取ってもらって構いません」

 ピシャリと小百合が言い放つと笹は、口をあんぐりと開け、動揺しているようだ。口がもごもごとして、目が泳ぎ考えるように拳を口に当てる。

 考えさせない、小百合はさらに畳みかけるように言う。

「玲奈はとってもいい子ですよ。明るいし、話題も豊富だし、感性も豊かで、なによりも一挙手一投足が愛らしい。それに……」

 小百合が間を溜め、最後のキメを言い放つ。

「アッチも結構いいらしいですよ?」

「ああ、アッチ?」

「そうアッチです」

それにゴクリと笹が静かに唾を嚥下したのを小百合は確認した。

「そんな玲奈は私は大好きです。愛していると言ってもいい」

 小百合の言葉を聞いて、笹は降参したように息を吐いた。

「君の気持はわかったよ……ただ一つ聞かせてほしい。どうして灰原さんを僕にすすめようとしてくるんだい?」

「それは…………」と小百合が口を開きかけた時、ドタッドタッと走る音がホールに響いた。

「ぜはぁーぜはぁー、…………二人とも、はぁーはぁーここに、いた、んだね」

 息を切らし、額から汗を流し、Tシャツは絞れそうなほどに汗を吸って変色している。なんだか、匂ってきそうで、小百合は思わず顔をしかめた。

「ごめん、今井さん。ちょっと大事な話をしてて――――」

「二人とも今すぐ来てくれ!下が大変なんだよ!」

 笹の言葉を遮るように今井が叫んだ。

 その表情からも尋常じゃない様子が伺える。

「分かった、みんなで行こう」

 笹と小百合はお互いに頷き合い、今井の先導とともに駆け出した。

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