第2話 目覚め
久しぶりに夢を見た。それは、最近見ることのなかった母の夢だった。
「せかいでいちばん、やさしいお花?」
そう、世界で一番優しいお花。そう言って母は語り始めた。
むかし、むかし。
世界には色を持たない雪さんがいました。
色んな色が鮮やかに彩る世界にたった一人、色を持たない雪さんは悲しい気持ちで過ごしていました。
そんなある日、雪さんは一人の天使に相談します。
「天使さん、天使さん、僕は色がありません。どうしたら、色を持つことができるのでしょうか?」
そう、尋ねる雪さんに天使さんはこう答えます。
「う~ん、ではお花さんに色を分けてもらいましょう。お花さんは色々な色を持っていますから、一つくらいくれるはずです」
それはいい!と思った雪さんは、世界中の花に尋ねます「花さん、花さんどうかその美しい色をおひとつ分けてくださいな」と。
しかし、どの花もその美しい色を分けてくれることはありませんでした。
困り果てた雪さんは、途方にくれてしまいます。
そんなとき、世界で唯一声をかけてくれた花があります。
「雪さん、雪さん、どうか泣かないで。僕の色でよければあげるから」
それは乳白色の綺麗なお花さんでした。
「だからね、雪さんは白いのよ」
「それがこのお花なの」
そうよ、と母は優しい微笑んだ。
「それにこの花からお名前を取ってたのよ」
「なまえ?」
「そう与白(よしろ)。どうかこのお花(スノードロップ)さんみたいに人に何かを与えられるような優しい人、人の何かを受け入れられる余白のある人。そうなって欲しくて名付けたんだよ」
病院のベッドで寝そべり、起き上がれないほどになってもそう母は何度も自分の名前の由来を語るのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、何がぶつかる鈍い音が響く、うるさいな、そう思いヨハクが目を覚ました。
薄暗いLEDの光、PC画面は検索ブラウザのホームページを表示している。
背中には、硬めのクッションシートの感触、ヨハクが立ち寄った行きつけの
どうやら、着て早々に寝てしまったらしい。
もったいないことをしたなーと盛大に欠伸をしつつ、体を伸ばす。
体が重い。上に何かが乗っているようだ。
「……えっ、え、えぇぇええええええええええええええええええ!」
スヤスヤと、可愛らしい寝息を立てながら、幼い少女が自分の上で寝ていた。
まず目に飛び込んで来たのは、鮮やかな藍紫色の長髪、金髪の前髪の分け目からは、長いまつ毛に目鼻が整った端正な顔立ち、お人形さんのような芸術的な美しさがあり、しかしそれでいてあどけなさが残る幼女の顔立ち。奇抜な髪の色とは対照に飾りっ気のない若草色のワンピースからは、触ったら折れてしまいそうな茎のごとく細い手足が伸びていた。
なんで、どうして?!漫画喫茶(ダブルハンド)でウトウトとそのまま寝入ってしまって、起きたら、とんでもない美少女が自分の上で寝ていた。そんな非現実的で唐突な出来事にヨハクが衝動的に、体を動かそうと、身をよじると、
「う……んぅ」と幼い少女の割に妙に艶めかしい吐息が漏れた。
ピタリとヨハクは本能的に動きを止めた。起こしたらまずいような気がしたのだ。
ヨハクの脳内に次々と残酷なストーリーが立ち上がる。動くと、少女が起きる。可愛いまん丸の瞳を驚愕に見開らかれ、きゃあああという叫び声がこだまする。すると目を怒らせた店長さんが扉を破り、「いや違うんですこれは」という説得もむなしく、泣き叫ぶ少女を見て、問答無用で羽交い締めで取り押さえられる。
ファンファンというけたたましいサイレンの音、手錠された両腕を掴まれ、強引に引っ張られる。店の前には、パトカーと人々の群れ、担任や近所の人が集まる。
ミリオが「おまえって、奴は!」と怒鳴り、
グリが「だから、二次にしとけとあれほど」と天を仰ぎ、
ゴンが「いつかやるんじゃないかと思っていた。友人としてもう少し話を聞いてやれていれば」と記者に対して真摯に対応していた。
「違うんだ、違うんだよ。話を、話を聞いてくれ!」とヨハクは叫ぶが誰も話を聞いてくれない。
名も無き人の群れからは、「死ねだの」「このロリコン野郎が!」だという罵倒の数々を浴びせられた。そして、目の前に小百合が現れた。黒檀のように艶やかな黒髪に、ワンポイントで映える白いユリの髪飾りが特徴の、ヨハクの天使。
囁き近い声量。それでいて声が通る魂が揺さぶられるような、ウィスパーボイスで一言。「最低」と侮蔑の視線と共に呟かれた。
終わった。なにもかも。その一言で、全身から力が抜け、膝から折れるように垂れ込んだところで、ヨハクの妄想は終わった。
額に汗が浮かび、背中に冷や汗がつぅーと流れた。
絶対にこの少女を起こしてはいけない。
そう確信したヨハクだった。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、
しかし、扉か壁を叩いているのか、ドンドンという鈍い音が絶え間なく続いてる。
どこのだれか、知らないが、やめてくれよ!声に出さない叫び声をあげつつ、ヨハクは意を決して脱出を試みることにした。
このままではいずれ少女が、この音に目を覚ましてしまうかもしれないからだ。
少しずつ、そっと、揺らさないように少しずつ、体を起こしていく。
サラッと少女の藍紫色の髪が広がる。糸のように細く美しい少女の髪の毛が腕にあたる。ふわりと心地よい、肌触りに思わず頭を撫でたくなる衝動に駆られるが、
「最低」妄想で小百合に言われた言葉が、ヨハクを少なからず冷静にさせていた。
途中、途中、「んぅ」という吐息や身じろぎのたびに動きをとめ、神に祈りつつ、なんとか最後、頭をフラットシートの上にのせ、脱出に成功した。
「ふっ~、なんとかなったぁああああ」
緊張感からの解放で脱力する。まったく一体何なんだ。この少女は、と改めてみてみる。
毛先がカールした藍紫の髪に、前髪は金髪、髪と同様にまつ毛も藍紫だ。地毛?なわけがないので、たぶん染めているのだろうが、コスプレ?それにしては恰好がみすぼらしいし、ヨハクには思いつくキャラも居なかった。
ワンピースから伸びた細い手足、肌はすべすべで柔らかく、髪は絹の糸のごとく繊細で艶やかだ。
ヨハクは動かすために触れた少女の体の感触を思い出し、女の子ってこんなにも柔らかくて、スベスベなんだ。と思わず、自分の手のひらを見つめてしまう。
…………冷静になれ、ヨハク「最低だ」と魔法の言葉を自分に言い聞かせ、頭を振って少女の感触を追い出す。
まずは部屋を出よう。そして、店長さんに事情を説明してなんとかしてもらう。そう思い、鍵を回し扉を開けた。
やはり、施錠はされているみたいだった。
少女が寝ていることを確認しつつ、音を立てないようにゆっくりとドアを閉めた。
さて、1階に降りて店長さんに事情を説明しよう。
そういえば今何時なんだろう。体をまさぐり、ポケットからスマホを取り出す。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、
廊下に出ると、扉だが壁だがを叩いてる音がより大きく聞こえた。本当にうるさく迷惑な奴だ。一緒に店長さんに言おうそう思い、スマホを起動した。
起動画面には、表示された通知をみてヨハクは驚愕の声を上げた。
「……はぁ?! なんだこれ!!」
画面には通知の数々が表示されていた。電話やメールは百件以上は軽くあり、LIONと呼ばれる世界中で流行っているチャットアプリに到っては999+と千件以上の通知がされていることを示している。ヨハクは交友関係がそんなに広いわけでもなく、当然数時間でこんなに連絡がきたことはない。当然誰かのいたずらだろう。
ヨハクはそう思い、内容を確認していった。電話はどうやら父やミリオ、それに普段あまり絡んだことがないクラスメイトからもかかってきている。LIONアプリを起動してみると同じような感じでたくさんの個別トークやグループからも多くの通知が表示されていた。その中からクラス全員のグループを選び、斜め読みしていくと、何かの冗談みたいな会話が繰り広げられいた。
LION 御中(おんちゅう)3年A組グループ
《ミリオ》ヨハク見てたら、返事くれ。
《水元 隆》ニュース見てみ、渋谷やばすぎんだけど。
《竹本 葵》外なんかおかしい。みんな。危ないから近づいちゃだめだよ
《ミリオ》委員長は、無事でなにより。
《絵理奈@委員長は嫁》うるせーぞ!
《久美》はい、委員長!
《ミキティ》ミキも見たぁ。これなんなの?みんな暴れてるんだけど。
《シンちゃん》ウチ、親父狂った
《TOSHIKI》健二の奴、完全に狂ってるから近づくな!俺、噛まれた。
《ア~ミン》敏ちゃん、噛まれたの?!
《愛斗@世界を制する》噛むとか餓鬼かよwww
《武井 望》俺も暴れたくなってきたわ
《キリト》ア~ミンは俺が守る。
最初は、全国的に発生している人が人を襲う暴動事件を他人事のように面白おかしく話している感じだったが、だんだんと悲壮さが混ざり始めてきた。
《ミキティ》うちもう食べる物ないんだけど、、、、ケーサツ何してるの?コンビ二行きたい。
《hiroto》ライブいきてぇ。戒厳令タヒね。
《武井 望》ガチで噛み付いてくる。マジでヤバイ。絶対外出るな!
《ミリオ》ヨハク、大丈夫だよな?
《なのか》家族でねーちゃんの通ってる高校の避難所きだんだけど、飯まずい。
《ア~ミン》パパが向いにきてくれるといったけど、連絡こない。
⦅愛染》俺もなのかみたいに女子高いきたいわー
《キリト》俺が向かいにいこうか?
《Ryo》ミリオの溢れるヨハク愛に、涙だわ
《愛斗@世界崩壊》FYIの動画見ろよ。世界で映画みたいな感じになって
るwww/sekaihoukai.foryourinformation.com
ガチで銃で狂った人を撃っているぞ
《のんのん》もぅ、ほんとぅやだぁ。ウチの近くにぃ血だらけの人がいる。
《ここのえ》そういうのやめろよ。でもTVもつかないチャンネル出てきたな。
《愛斗@世界崩壊》日本終わりだ!
《智キング》いや、日本というか世界崩壊だよね。飛行機も新幹線も運休して
いるいし。日本から出られないじゃん。
《竹本 葵》学校に電話してみたけど、つながらない。みんな外は出ちゃだめだよ。絶対!
人が人を襲って食べている。そんなホラー映画みたいなことが実際に動画で出回っているらしい、グロ画像みたいなものもいくつか張られていて、ヨハクは吐き気が催してきた。そういったものを飛ばしていく。会話もだんだんと減っていき、グループトークの最後のほうは、
《愛斗@世界崩壊》の生きている奴、返事しろ!にぽつりぽつりと返事が来て終わっていた。
《ミリオ》生きてる。ヨハクも、委員長も生きてるよな!
《なのか》体育館で人が暴れだして、2階まで逃げてきた。
《なのか》画像(ボケていてよく見えない)を添付しました。
《ミキティ》生きてる。とりあえず水道水しかない。さいあくぅ。
《水元 隆》ノッ
《武井 望》いktって
《竹本 葵》久美と絵里奈と三人でいます。
《ア~ミン》パパ来ない。
^^^^^^^このトークは、三日前です。^^^^^^^^
「三日前!」
スマホの日付を確認すると、驚いたことにここに入ってから、十日ほどが経過していた。
「ありえないだろ、十日も寝ていたなんて」
他のトークも確認しようとしたところ、ガチャッと後ろから扉が開く音がした。
どっ、と心臓が高鳴る。
「だ、だれ?」
名前を聞いた……ということよりも、条件反射的に言葉が出たというほうが正しいだろう。
体の向きを変えて、恐る恐る目を向けると、愛らしい花が咲いていた。
いや、花ではない。
くりっとした丸い瞳がイタズラっぽく光り、その幼稚な唇がそっと開く
「あっ、やっと起きたんだ。私の可愛いお花さん」
藍紫の髪ををした幼い少女が満開の笑顔を咲かせていた。
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