第22話 絵里奈
「嘘、なんでなんで…………なんで葵がいないの?!」
葵は寝ているミリオをたたき起こし、二人で事務室まで翔けてきたのだった。しかし、そこには寝ているはず葵はなく、葵を包んでいたはずの毛布は床に広がっていた。
「落ち着け、まず状況の整理から―――」
「落ち着いてなんていらないでしょ!分かる?!ここで寝ていた葵がいないのよ!それに久美は?!久美いないの?! なんで、なんで二人ともいないのよ?!本当にさっきまで寝ていたのに。ああっ、どうしようねぇどうしたら――」
「落ち着け!」
ミリオに肩をがっと掴まれ、その強い意思を持った瞳と目が合う。それで自身の心臓は痛いほど高鳴っていくのが、分かって、なんでこんな時にと思う。
だからかもしれない、それにすぐに気が付いた。
「冷静になれ。騒いでいても委員長は見つからない。たぶんさっきの爆音が原因でめざめたのかもしれない。まず一から状況の整理を―――」
ミリオの言葉が絵里奈には入ってこなかった。
ただミリオの肩越しの先に、恨めしそうにこちらを睨みつける葵を見つけて、違うんだよ。誤解だよ。別に私はこいつとは何も…………と次から次へと言い訳の言葉が浮かんでは消えを繰り返し、口がパクパクとするだけでなぜか言葉が出ない。
俯き、表情は見えない。なのに葵が豹変したように怒っているように絵里奈には感じられた。
そんな葵が、一歩前に出る。
ゆらりゆらりと幽鬼のように上体を揺らしながら、一歩一歩不器用に進んでくる。
きっと葵は高熱を再発して、ふらついているのだろう。助けないと。
絵里奈は葵へと手を伸ばす、…………葵の垂れ下がった前髪、そこから覗く瞳と目が合う。充血しているのか、血のように赤黒い瞳が下から睨みつけるようだった。
「―――――っ!」
それに絵里奈は背をびくりと震わせる。
「いいか、絵里奈。…………絵里奈?」
絵里奈の異変に気付いた、ミリオが後ろを向く。
「委員長…………」
その言葉に絵里奈はハッと我に返る。
「ああっ、葵。これは違うの、誤解だから!」
「おい、ちょっと待って!」
絵里奈はミリオを振りほどき、傍に駆け寄った。
「もう葵がいないからって、たけ、あいつがあせちゃってさぁー。落ち着かせようと必死だったよ。ほんと、それだけだし、それより葵のほうは体調は大丈夫なの。あの爆音ならこれから調べに行くから、葵はまだ休んでたほうが、―――――」
「――――――っ!絵里奈、今すぐ離れろ!!」
「はぁ、いやなんで、そんなことを…………あれ、葵どうしたの?」
背中越しに抱き着いてきた葵の柔らかな感触、それに氷のように冷たい体温が伝わってきた。ミリオが何かを叫びながら、向かってきた。何をそんなに慌てているのだろうか。こんなご褒美タイムは譲らないぞ。
ああ、それにしても首筋が妙に温かい。
あれっ、赤い?嘘、なにこれ?うわぁー洗ったら落ちるかな。
それにしても葵、そんなきつく抱いてきたら、痛いよー。もう本当にあのバカとは何も、何もないんだから。
ミリオが何かを振り落とすと、ふいに絵里奈を縛っていた圧力と葵の感触が消える。
まるで自分には足がないんじゃないかと思わせるほどに自分の足に力が入らないのを絵里奈は驚きつつ、ミリオの胸に倒れこんだ。
ミリオの、毎日バカみたいに鍛えている厚い胸板を、その奥に流れる熱い鼓動を耳で感じる。
だが、それに絵里奈は、ちょっと、何いい感じに抱いてんのよ。この馬鹿!どうせ見上がれば役得だとか!似合わないニヒルな笑いを上げるか、お前いい匂いがするな!とかキモイこと言うんでしょ!この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿、この馬鹿。
―――――、この馬鹿、なんでそんな泣きそうな顔しているのよ。失礼な奴ね!いい匂いがするとかせめて何か言いなさいよ。
絵里奈は罵倒に罵倒を重ねる。
でも、
なんで。
なんでだろう。
なんで、声が出ないのだろう。
声を出そうとすると、ひゅー、ひゅー、とまるで空気が抜けているみたいな音がしか出ない。
それに先ほどまでは体全体が燃えているみたいに暑かったのに、いまやは凍えるほどに寒くて、指先など悴んで動かせないほどだ。
だからかもしれない、マグマみたいな熱い体が心地よくて、このまま寝てしまいたい。
うん、それはいいかもしれない。ごめん。葵でも本当にいいのだもん。あとで謝ろう。きっと葵のことだ、それで許してくれる。はずだ…………いや、意外と根に持つかならな―、はぁ今月ピンチだけど、駅前のパフェでもおごるか―。地下一階のジャンボパフェ、葵好きだもんねー。あれを一人で食べるとか葵は本当に好きなものにはとことん行くタイプだ。
だから、あんたにもとことん行くはずだよ。だから、ちゃんとふざけないで葵の言葉を、聞く、んだ、…………よ?
ああっ、もうだめだ。なんでだろう、本当に眠たい。
少しだけ、少しだけ、この胸を貸してね、葵。すぐ返すから…………。
おやすみ、それと辰雄は、私、あんたのこと、好き…………かも、なんて…………ああ、言っちゃたね。だめだなー私、あとで、目が覚めたら謝ろう。
「絵里奈、すまない。俺がもっとしっかりしていたら、」
あっは、すごくびっくりしてる。可愛いところあるね、達夫。
急激な眠気に襲わ、攫わるように絵里奈の意識は消えていった。
「え、絵里奈ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
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