第5話 仲間

 階段を降り切るとしぃーんと静まり返った廊下 “415”号室がすぐ横にある、中を覗くと死体が先ほどと変わらず倒れていた。

 その斜め正面、“414”号室の取っ手を回すが鍵がかかっているようで開かない、それから“413……410”と順に回してみたがどれも鍵がかかっていた。

 ヨハクが漫画喫茶ダブルハンドに入ったのは平日の夕方だ。利用客がそれほどいなかったのだろう、ヨハクは主人が消え無残に放置された衣類を踏まないように跨ぎ“409”号室に戻ってきた。部屋は変わらずLEDの淡い光に照らされ、PC画面にはアイリスがネットサーフィンした後のまま、色んなWEB記事のウィンドウが開かれていた。そのまま置かれた学校指定のカバンだけを取り肩にかけた。

 部屋を出て、“408”号室に鍵がかかっていることを確認する。そういえばアイリスはと横を見ると廊下に背中越しに座り込んでいるアイリスがいた。

 よく見ると洗濯物を選別するように、「何もないわね~」と残された衣類を漁っていた。まじかよ……ヨハクは少し引いてしまった。

 アイリスには、アイリスの考えがあるのだろう、ヨハクは見なかったことにして、部屋の確認を始める。エレベーター前、階は2階で止まっているようだ。ポスターに映った小倉小豆ちゃんは変わらずニッコリと微笑んでいた。こんなことがなければ会えたかもしれないな~とヨハクは少し残念に思った。

 エレベーター横には、コの字回るようぐるりとした階段が備えれている。階段下を覗いでみたが壁で遮られて、下の階の様子は分からない。耳をそばだててみるが、ヒューという風が抜ける音しか聞こえてこなかった。

 まずはこの階の確保だ。階段を通り過ぎ、“407”号室へと向かう。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「んっぐ、んっぐ、ぱぁー。とりあえず、この階と上は問題ないわね」

 まぁ私が確認しているから、当然だけど。とペットボトルの水を美味しそうに飲みながらアイリスは言った。

 4階の全部屋を確認したが、ヨハクがいた“409”と害虫ペスターが出てきた“415”あとはトイレ以外の扉はすべて閉まっていた。4階の確保が終わったので、トイレ前にあるフリーの自動販売機で水を飲んでいるところだ。最初はアイリスが喉が乾いたというので出したが、ヨハクもそれに釣られて飲んだら止まらなくなった。考えてみれば10日間も寝ていたのだ、喉が渇いて当然だ。そう思うと緊張で忘れていた空腹も思い出してきた。

 そういえば、オムライスを注文していたはずだ!さすがに10日間前のでは食えないがキッチンにいけば何かしら材料があるだろう。それに奥さんがいれば作ってもらえるかもしれない。

 ヨハクの脳内にオムライスが駆け巡り、ついに腹の虫まで泣き出してしまった。これは早く行かねばならない。水を飲みほし、紙コップを投げるようにごみ箱に入れた。

 アイリスを伴い、エレベーターホールといっても目と鼻の先なのだが、行く。少し迷ったが、階段で行くことにした。この手のことが起こると映画だと途中でエレベーターが止まったり、扉が開いた瞬間に害虫ペスターが殺到してもそのままジ・エンドなんていうシーンが脳裏をよぎったからだ。

 アイリスもそれに何も言わず、黙って後ろをついてきた。

 静かに音を立てないようにヨハクは気をつけて歩いたが、モルタル塗装特有のくっついて剥がれるぺたりとぺたりという音がどうしてもしてます。

階段は短くものの数段でコの字の曲がり角に差し掛かった。耳をそばだてるが、あいからわず、音は風しか聞こえない。恐る恐る壁越しから階段下を覗くと、LEDの照らされた4階と変わらぬ廊下が見えた。視界の先には害虫ペスターはいないようだ。

 ヨハクは忍び足で、階段下まで降りると壁にべたりと背をつける。すると4階同様に、自動売買機と奥のスペースが若干見える。視界内には害虫ペスターはいない。

 ヨハクは壁に背を付けたまま、視界ぎりぎりに壁の向こうを見るが、閉じられた扉が見えるだけだ。耳を澄ましても廊下はしーんと静まり返っている。ヨハクの心臓がバクバクと鳴り響いてうるさいぐらいだった。緊張を表すようにぐっと握ったUZIに力を籠めると、ヨハクを勇気づけるように光出した。

 よしっとヨハクはUZIを構えなおし、意を決して、体を180度回転させるように身をひるがえした。

 正面なし。左なし。右なし。ハリウッド映画に出てくる特殊部隊の動きを、頭でトレースしながら、UZIの機銃の先をそれぞれの方向に向けるが、害虫ペスターの姿は見えなかった。4階と変わらない廊下に等間隔に並んだ等間隔の閉められた扉があるだけだった。

 階段も覗いてみたが、間にもいないみたいだ。試しに一番近くの扉に手をかけてみるが、鍵がかかってるみたいだ。

「この階にはいなさそうね。あの陰気な気配がないもの」とちょこちょこと飛ぶように可愛らしくアイリスが階段を降りてきた。

「そうみたいだね」とヨハクは返事をしつつ、アイリスと部屋をチェックしていったが、どの部屋も鍵がかかっていた。

 考えてみれば、ネットによるとヨハクが眠ってからすぐにこの事件?が起こっているみたいだし、すると平日の夕方、夕飯の前だ。自分のような学生ぐらいしか利用しないだろう。実際に4階は自分とあのカップルだけだったみたいだし。案外、害虫ペスターに出くわさずに済むかもしれない。

 このままの勢いでヨハクは2階へと降りて行った。コの字の曲がり角で先を見ても何もおらず、先ほどと同じ要領で階段下まで降り、壁に背をつける。風景はまったく変わらない。自動販売機に閉じた扉、肩越しに見る後ろも同様だ。UZIを構え、180度回転させるように身を翻す、正面構えたUZIの機銃の先で、それと目が合う。

 濁った魚のような目、開いた口から何かがどろりと落ちると、ヨハクの全身が総毛だった。

「あっあ、ああああ」

 完全に油断をしていた。不意を突かれた形で遭遇した害虫ペスターにヨハクは硬直してしまった。害虫ペスターは緩慢な動きで腕をあげると、「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお」と唸り声をあげて向かってきた。

「ううう、うわぁあああああああああああ!!」

 害虫ペスターの動きに反射的に構えたUZIの引き金を引いた。

 ドララララララララララララララララララララララララララララララララララララララ!!とリコイルショックに銃口がブレ、あらぬところにBB弾が飛んでいく。害虫ペスターを外れた球も、プラスチック弾の柔らかさが功を奏して壁や扉にあっても跳弾して色んなところに弾けた。

 結果、上から下、下から上、右に左にと色んな方向から飛んでくるBB弾に、腕が、足が、胸が、太ももが、爆散していき穴だらけとなり、最後は頭へとあたり、害虫ペスター雪の欠片スノードロップとなって霧散した。

「はぁはあ、はぁ~あああああ、びっくりした」

 荒い息を吐きながら、あたりを見渡すと害虫ペスターの姿はなく、衣服と降り積もった雪のように白いBB弾が散らばっているだけだ。

 とんっと後ろで何かが降り立つ気配がして、ヨハクはUZIを反射的に向けた。

「むっ、何よ。そんな向けないで頂戴」とむくれ顔のアイリスがいた。

「ご、ごめん」

「まったく、害虫ペスターの一匹如きでそんなに焦らないでよ。あなたのほうが強いんだから」と全く臆した様子もなく、荒い息のヨハクの横を通り越してドアを次々とアイリスは確認していく。

全く頼もしい限りだが、ヨハクも臆病だが男の子だ。アイリスに負けじと慎重にドアを確認していく。

 その後、全部のドアを確認したが、どこも閉まっているようだ。ここにいたのは先ほどの害虫ペスター1体だけのようだ、

どうやらそもそもの客が少ないから害虫ペスターも少ないはずという予想もあながち間違えはなさそうだとヨハクは思った。

 次はいよいよ1階だ。外に通じている分、害虫ペスターとも多く遭遇するかもしれない。

でももしかしたら、バックヤードがなんかに立て籠もっている店長さんや奥さんに合流できるかもしれない。なにせあの厳つい店長さんだ。害虫ペスターにだってそうそうやられはしないだろう。

 アイリスに目配せして、1階に降りることをアイコンタクトで伝える。極力音を立てたくなかったからだ。すると、何を勘違いしたのか、アイリスはヨハクのアイコンタクトにウィンクで返してきた。

 OKということなのだろうか、なんとなく釈然としない感じだが、まぁアイリスなら大丈夫だろう。ヨハクは1階へと慎重に降りていた。

 モルタルの階段の先、板張りの床が1階エントランスだということを告げている。階段から見た限りでは変わったところはない。ほんの少しだけ身を乗り出しながら、様子をうかがうと、床の上に誰かが倒れているのか手が見える。害虫ペスターだろうか。慎重に音をたてないように少しずつ視線を広げていく。手から腕、肩、血が広がった固まったような赤黒い模様が木の板に広がっている。

 そして半身を出すころには、倒れたそれとエントランス入口までが全部見えた。倒れているのは男のようで後頭部に包丁が突き刺さっていた。

 その先の入口の自動ドアのを見やると、どうやらシャッターがおろされているようだ。その前には頭部が何かしら損傷した死体がいくつか倒れているのが見える。。そしてカウンターの中に人が立っているのが見えた。

 倒れた男を避けるようにすり抜け、カウンターに近づくと、そこには赤い生地に黒い刺繡で髑髏が書かれたバンダナを頭に巻いているのが見えた。

「店長さん!」

 こんな特徴的なバンダナを巻いている人なんてそうはいない。害虫ペスターとこんなに出来るなんてさすが店長さんだ。

 ヨハクの呼びかけに店長さんがゆっくりと振り返る。

よう坊主、生きてたか。そうニヒルに笑う店長さんの顔はなく「うぅうううううううう」と半開き開けられた口からうめき声が漏れていた。

「そんな……」

「うぉおおおおおおおお」とカウンターの中で叫び声をあげ、元店長さんだった害虫ペスターは暴れだした。しかし、何かが引っかかっているのかカウンターからは出られないようだ。

 今のうちに。ヨハクはUZIを正中に構えた。サイトと呼ばれる照準を覗き店長さんの額に合わす。

 射るような鋭い眼光を放っていたかつての目は、半分は白目をむき、もう半分は死んだ魚のように濁っている。不精ひげに覆われ引き締まっていた唇はだらしなく開き、言葉にもならない何かを叫んでいる。

 こんなもの、店長さんじゃない!害虫ペスターだ。そう思いヨハクは、そう思いUZIに力を籠める。

UZIに纏う光がヨハクの意識に呼応するようにより一層輝きだす。

 こんな状態の店長さんを置いてはいけないだろう。送ろう。自分にはそれが“死をできる”のだから。

 そう思っているのに。

 そう分かっているのに。

 まるでセメントで固められたように指が動かなかった。引き金を軽く引けば数秒後にはこれが嘘のように消えてなくなるのだ。

 そう引けさえすればいいのだ。

 それなのに引けない。唇はまるで水分が吸われたように乾燥していき、吸われた水分は頬を熱く流れた。

 視界が徐々ににじんで、景色も店長さんの顔も歪んでいく。すると次々にヨハクの頭に記憶がフラッシュバックしていく。

 最初出会ったとき、目を合わせたら殺られる。そう思うほど怖かった。でもミリオと楽しそうに話す姿をみてそんなことはないと思った。

 2回目には顔を覚えていてくれた。話してみると割と気さくで、怖いと思った瞳、目が合うと優しそうに笑っていた。

 グリたちとシューティングレンジの周りでサバゲ―ごっこをして、こっぴどく怒られた時は本当に怖った、ちょっぴり漏らしてしまったのは内緒だ。

 おなかがすいたとき、ここで食べたケッチャプがいっぱい乗ったオムライスは本当に美味しかった。

 そんなに数は多くないが、ここでの思い出。でもそれはヨハクにとって大切なもので、でもそれは当たり前にあって気づかなかった。ここは、ヨハクにとって大切な場所なのだ。第二の家といってもいいくらい。

 視界は完全に滲んでもう何も見えない。ああっ、このまま何も見えなくてなってしまってばいいのに、それで目が覚めるころには嘘のように日常が戻っているのだ。ミリオが嬉しそうに兄の武勇伝を話、グリが昨日のアニメがと語り、ゴンがそんなことよりと会話を回してく、それに自分は笑いながらそこにいて、横眼に今日もきれいな朝霞さんが灰原さんと楽し気に話して優雅に手をあてて笑う。放課後になったら、漫画喫茶(ダブルハンド)に来て、オムライスを食べながらネットして。そんな当たり前の日常が、

「ねぇ、ヨハク」

ヨハクを現実へと引き戻す鐘の音ように響くアイリスの声。甘くさわやかな清涼感のあるシナモンの香りが鼻を抜けると同時に、ヨハクの固まった指に冷たいしっとりとした指が絡みつく。

「さっさと撃てばいいじゃない」

 小枝のように細く小さな指は思いのほか力強くヨハクの指を押し込んだ。

ドラッラララララララララララとUZIが軽快にBB弾を発射した。

えっ、とヨハクが事態に気づくころにはまるで最初からそこには何もなかったように、店長さんは舞った雪の欠片とともに一瞬で消えた。

「あっああああああああ」

「うん、思ったより居なかったわね。あとはバックヤードを見てと」

「なっにを、何をしてるくれたんだ」

「ちょっと、何よ。ヨハクどうしたの?」

「店長さんをよくも!」

 咄嗟に向けた銃口の先、いつも余裕でにこやかに笑っているアイリスもさすがに金眼の瞳をすっと細め表情が険しくなる。

「ハッ、何よヨハク、まさかそれで私を撃つ気?反抗期ってやつなのかしら」

「店長さんは、店長さんは、僕にとって!」

「あれは害虫(ペスター)よ!あなたの大切な何かではないわ!」

「それでも!それでも、アイリスがやることじゃないだろう」

僕がやるべきだったんだ。その言葉が出てこない。本当にそんなことが出来たんだろうか、ヨハクの瞳に溜まった涙が床に落ちはじけていく。

煮え切らないそんな様子のヨハクにアイリスの細まった瞳孔が開いていく

「いい加減にして!」

「――――っ!」

 普段の余裕が消え、初めて激高したアイリスの剣幕にヨハクは言葉を飲みこんだ。

「私はね天使になるの。楽園(はのぞの)を作るの。こんなところでもたもたしてられないのよ。くだらないことに力を使っていないで、さっさとしゃんとしなさい」

 くだらない?店長さんを、殺したことをくだらないっていうのか!ヨハクの頭にかぁーと血が上っていく。

「黙れよ」

「何がよ」

「黙れって言ってるんだ!」

 UZIを再び正中に構える。無意識にではなく、“撃つ”という意識を籠めて銃口をアイリスに向ける。

 ただならぬ空気の中、それにアイリスは、上品な鼻を上に向けて“ふんっ”と笑った。

「そんなおもちゃじゃ、私はやれないわよ。それにヨハク。あなた私がいなきゃ何もできないよの?」

「何を言って……あっ」

 力強く光り輝いていたUZIが、その力が途切れたと言わんばかりに元の物言わぬ鉄の塊へと戻っていく。

 再度、力を籠める。スノードロップを握っているイメージを固めるが、UZIは鈍い鉄の特有の輝きを放つだけだ。

「ねぇ、ヨハク」

 甘く囁くように、先ほどまでの剣幕が嘘のように、優しくアイリスが語りかけてきた。

「使用制限もなく、無尽蔵に力が使えるとでも思った?」

 アイリスは目を三日月型に細め、嘲るように笑いながら続けた。

「水や光もない花が枯れていくのは当然のことでしょう。さぁ武器を下げなさい」

 暖かい。そうヨハクは感じた。

 アイリスから放たれる光の奔流。よく目を凝らせば、光のなかに蝶のように広がる左右1対の羽が見える。

 奔流からあぶれて消える雪のような白い結晶。“天使の涙”のような光の粒子がヨハクの体に触れて吸われるように消えていく。

「ご、ごめん。アイリス。僕は……」

「いいのよ、ヨハク。私はとても寛容なのよ。なんたって天使だからね、許してあげるわ」

 自然と下がった腕、それにそっと添えるようにしっとりと冷たいきれいな指が絡んでいく。

 甘く清々しいアイリス特有のシナモンの香り、人ではありえない金眼の瞳はやさしさを称え、その容姿と相まって天使のように見えた。

 その邂逅は数秒で終わり、ふぅっと消えるようにアイリスの背中からも光に包まれた羽が消えた。

「アイリス、その」

「もういいのよ、ヨハク。それにまた使えると思うわよ?」

 アイリスに言われ、意識をUZIへと向けるとまた光を纏い始めた。

「問題ないわね、さぁバックヤードを確認しましょう」

 つい先ほどのことなどなかったかのようにアイリスはいつものように堂々とカウンターへと歩き出した。

 その態度にヨハクはありがたく思いながら、腕で涙をぬぐい一緒にカウンターの中へと入った。

 カウンターの中には、レジや備品類が置かれ、そして店長さんの衣服が無造作に落ちていた。

 ところどころに血がついたそれを例のごとくアイリスが漁っている。そしてその上になにやらブラブラと紐で結ばれた手錠が揺れていた。

 店長さんが自分で止めたのだろう。人を襲わないように。店長さんの厳ついながらも本当は優しい瞳を思い出す。

「あったわ」とアイリスが店長さんの衣類の中から鍵を取り出していた。

 バックヤードの後ろのドアをガチャリと開けると、

「おらっあああああああああああああ!」

「うっわ!うわわわ」

何かを振りかざし、こちらを威嚇する角刈りの男がいた。ヨハクは反射的に飛び退き、

「……ヨハク、ヨハクじゃないか!」

「へっ、…………」

 よく見れば角刈りの男は、

「み、ミリオ!」

 ヨハクのクラスメイトであり、一番の親友とも呼べるミリオだった。

「どうして…………ここに、」

 だって通学路で別れたはずでは?というヨハクの疑問にミリオは振りかざしていた木刀を下ろしながら、答えてくれた。

「あのあとすぐに例の光に遭遇してな。襲われたんだ。それで俺たちはここに逃げ込んだんだ」

 俺たち…………ということは?!

「ヨハク!無事だったのか!」

 ゴンがミリオの横を取りぬけて抱き着いてきた。

「この野郎、無事なら返信ぐらいしろよ! この、この、」と背中をバシバシ叩いてくる。

 ゴンは普段はクールぶっているが、意外と熱い男のなのだ。

「――――うぉぉおおおおおおお!!」

 そこにグリの叫び声が木霊した。

「っ、うるせーぞ!グリ、ヨハクとの感動の再開を!そんなんだから俺たち以外に友達がいねーんだよ」とゴンが抗議の声を上げると、

「友達が少ないのは関係ないだろう! 何その子?、超!絶!かわぃいいいいいいいいいいい!」とグリが叫んだ。

叫ばれた当人アイリスは、興奮しているグリを、なんだこいつ、と訝し気に見えている。

ああ、ミリオ達にもアイリスを紹介しないといけないな、

「ヨハク、知り合いか、マジ☆天使なんですけど!」

「そこの雑草ウィード、私のこと今なんて言ったの?」

「うぃ、うぇーど?いや、そのマジ☆天使と……」

 天使、天使ねぇ~とアイリスがぶつぶつと口で反芻すると、にまりと口元が緩んだ。

「ふん、やっぱり私の高貴さ、気高さ、美しさは、そこらの雑草ウィード如きでも分かるようね」

 とアイリスは平面の胸に手を当てて鷹揚にうなづく。

「いいわ、雑草ウィード如きと本来なら話さないんだけど、特別に私を褒めたたえる許可をあげるわ、これは栄誉あることよ」

「おおっ、高飛車お嬢様系幼女か。これはこれでいいぞぉ~」

「おい、ヨハクなんなんだ、このガキ。くそ可愛いのは確かだけど……」

「頼もしいじゃないか、もう少し大きかったら、俺のノズルマークにしたいほどだよ」

「ふっふふはははははははっはあははっはは」と、このかみ合っているようでかみ合っていない会話がなんとも懐かしく、ヨハクは目覚めてから初めて自然と笑えたのだった。





「それでは、ヨハクとの再会、アイリスちゃんとの出会いを祝して」

「「「「「かんぱーい」」」」

 ゴンの祝辞とともにヨハク達はコップをたかだがと掲げる。

 バックヤードの後ろは事務所兼キッチンとなっており、水道・ガス、電気などはまだ使えるようだ。冷蔵庫にも食料や水などがあり、ミリオ達はそれでしのいでいたらしい。

 久しぶりの再会にお菓子やジュース、缶詰、店長秘蔵の戦闘糧食(レーション)など食べながら、当然今までどう過ごしていたのかや、アイリスのこと、ヨハクの能力のことなどを話した。

 当然、うんそういう設定なんだね。という空笑いで返されたが、ミリオが隣へと来て小声で聞いてきた。

「なぁ、ヨハク。聞いてもいいか」

 ミリオの険しい態度にヨハクはミリオが聞きたいことがなんとなくわかった。

「うん、なにかな」

「マスターは、どうしていたかなと思ってな」

 やっぱりかとヨハクは思う。店長さんの最後を思い浮かべようとして、胃から酸っぱい何かがせり上げってきた。

 ヨハクはそれを手で押させて辛うじてこらえた。ごめん、それしかヨハクは言うことが出来なかった。

 それにミリオは「そうか」とだけうつむき、すぐに朗らかなに笑った顔を上げて、ヨハクの肩を叩いた。

「すまんな、ヨハク。お前が何も言わないんだ。分かっていたんだがな、やっぱりはっきりと聞いておきたくてな!」

 はっきりと答えられたわけでないのに、そうヨハクは自分が情けなく思った。

 店長さんとの思い出はヨハクなんかよりよっぽどミリオのほうが多いだろうに、ミリオは豪快に笑っている。

「ミリオ、僕は――――」

「はい!天使のように可愛いアイリスたんに質問があるであります!」

ヨハクの声は、まるで宣誓するかのように立ちあがり腕を上げるグリの声で遮られた。

「ふん、聞いてあげようじゃない。言ってみなさい」

天使と言われて殊更上機嫌なアイリスは満更でもなさそうにグリの質問の許可を出した。

 その宝石のようにきれいな金色の瞳に見つめられ、グリはビクッと体を硬直させるが、「お年はおいくつでしょうか?」と高らかに声を上げた。

「そうね……ひぃ、ふぅ、みぃの」と小枝のように可愛い指を折ってアイリスは数え始めた。

 ヨハクもその質問には興味があった。背格好からしたら小学生だが、雰囲気とか落ち着きとかが、大人のように感じることもあり、年齢不詳なところがあるからだ。

 しかし、アイリスからはとんでもない答えが返ってきた。

「うん、十一日歳ていうことになると思うわ!」

 じゅ、十一日歳?! 生まれてから十一日しか経っていないていうこと?ヨハクは思わずアイリスの顔を見つめてしまう。

 アイリスは何か間違ったこといったという感じで首をかしげている。

自称妖精、背中から光る羽を生やし、自分に異能を与えた少女は確かに普通とは違う力があるのは確かなのだが、ヨハクはまだアイリスが人ではないということを信じてはいなかった。ということは、

「そ、そっか、アイリスたんは妖精さんだからね」とグリが合わせ、

「ちっこいけど、十一歳かぁ、まぁまだ成長期だからな」とゴンが納得し、

「人は見た目で判断は出来ないからな。ほら、これでも食って大きなれ」とミリオが干し芋スティックをアイリスに勧めた。

「いらないわ、わたし人の食べ物は食べないの」とアイリスが断ると、

「そんなことじゃ、大きくなれんぞ!」とミリオがアイリスの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

「ちょっ、やめっ、やめなさい!この、無礼者!!やっ!めっ!ろっ!」

アイリスは、ミリオの腕から逃れるとヨハクの背へと隠れた。

「こ、このミリオね!アイリスたんに何を!!うらやまけしからん。その手を触らせろ」

「はっはははは、俺も昔は兄貴にやられたもんだな、グリそれは普通に俺でも気持ち悪いぞ」

 アイリスはうぅううううと警戒した猫のように唸りながら、ヨハクの背にしがみつき、当のヨハクは取っ組み合いを始めた二人をどう止めようかゴンに視線を向けるが、ゴンはやれやれと顔を振っている。

 ヨハクの前についこの間までは確かにあった。変わり映えのないいつもの光景が広がり、それが次第に滲んでいく。まるで害虫(ペスター)など現れず、世界の崩壊など何かの間違えであるように感じた。

 ああっ、この光景をずっと見ていたい。でもぬぐってもぬぐっても景色はすぐに滲んでいってしまう。ああっ、だめだ、泣いているところなんて見せたらまたバカにされてしまうのに、

 そう思うのだが、ついに瞼から溢れ、頬を伝い始めた。

「ご、ごめん。ちょっとトイレに言ってくる」と見られないよう腕で顔を隠して、立ち上がる。

「ああんっ」としがみついていたアイリスを振り落としてしまったが、そんなことを気にしている余裕はヨハクにはなかった。

 扉をしめ、静かな廊下に出ると、誰にも見られない安心感からか溢れた涙が、頬を流れ水滴となって下に落ちていくのがわかる。背中には友達が笑う喧騒を感じながら、その場にぺたんとしりをつけた。

 こうして、ヨハクの目覚めてからの壮絶な一日は終わったのだった。


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