第16話 打上

「ええっ、ではひとまず生活の拠点を確保できたということで今日は大いに盛り上がりましょう!かんぱーい!!」


「「「「「「かんぱーい」」」」」」」


 ちゅりーぷ型の観覧車が置かれただけのコンクリートむき出しの屋上に複数の男女がBBQコンロを囲むように集まっていた。

 4階の事務所の冷蔵庫に廃棄前の肉が残っているのを発見したのだ。このままでは腐るだけなのでせっかくだからアウトドア用品もあることだしとBBQ会を開くことにしたのだった。

 夜空に肉の焼ける香ばしい匂いとともに煙が立ち込める。

 みなここ最近、缶詰やスナック菓子などばかりだったため、久しぶりのまともな食事に大いに盛り上がった。

 ヨハク達は主にジュースだったが、笹や今井などはビールなどを飲んでいるようで、その異様なテンションに当てられたのか、みなも変なテンションになっていた。

「腕立て対決だ!俺についてこれるか、ふんっ!ふんっ!ふんっ!」

「さすがに中学生には負けないよ!」

「お、俺だって、うぉぉおおおおお見てろよ」

「きゃぁあああ、笹先輩頑張て!」

「ミ、ミリオ君も頑張って!」

「みゃはは男子頑張れー」

「ほら、まだ20回もいってないぞ!」

「では、天使アイリスたんを讃えて讃美歌を歌います」

「いよっ、今井さん!」

「いや、そういうのいいですから」

「Amazig grace how sweet the sound」

「うまっ!」

 あるところではなぜか腕立て対決が行われ、あるところでは今井のリサイタルが開かれていた。

 みなの異様なテンションについていけずに一人観覧車の座席でジュースをちびちび飲みながら、今井さん歌がうまかったんだな~と思っていると、肉の焼ける匂いとはまた違う甘ったるい芳醇な香りが横から漂ってきた。

「ここ、正面いい?」

「あ、あ、朝霞さん」

「小百合でいいよ。クラスメイトでしょ」

 そう言ってうっすらと笑みを浮かべて小百合が正面の座席に腰を下ろした。

 扉が開け放たれているとはいえ、狭いゴンドラの中はほぼ小部屋といっていい、外の喧騒が別の世界のように遠ざかっていくのをヨハクは感じた。

「ねぇ立花君」

 外の喧騒などもうヨハクの耳には届かなかった。耳元で囁かれたような静かでそれでいて脳内に直接響くようなウィスパーボイス。半密閉のゴンドラの中には、小百合の体臭なのか甘ったるい芳醇な香りがむせ返るほどに鼻についた。

 そのせいなのか、昼間とは違い、LEDランタンの淡い光が、小百合を妖艶に照らしているように思えた。

「何を飲んでるの?」

「…………えっ、あっ!オレンジジュース…………朝霞さんは?」

「……………………」

「えっ、…………朝霞さん?」

「もう小百合でいいって言っているのにな~」

 小百合が困ったように首をかしげる。それだけでヨハクの心臓が高鳴った。

「―――っ!…………ご、ごめん。緊張しちゃって」

「まぁしょうがないか。こうなるまでそんなに話したことなかったしね」

 実際、クラスメイトで席も現在は隣なのだが、ほとんどあいさつ程度しか交わしたことがなかった。

 会話が途切れる。何か話さなければとヨハクは思う。というより最近は思ってばかりだ。

「か、観覧車…………観覧車乗るなんて子供の時以来だなー」

 観覧車に乗っているからって安直すぎるだろー!と話してからヨハクは自分につっこんだ。

 しかし、なぜだが、それが小百合の琴線触れたようで、そうね、子供の時に乗って以来かもね…………とつぶやき、

「うちの近所にね、悪い女の子がいたの」と語り始めた。

「へぇ、そうなんだ…………」

 小百合の視線を追うと、バカ騒ぎしているみんなのほうを見ているようだ。しかしその目は、何か別のものを見ているように感じた。

「その子はね、とっても悪い子でね、お母さんに意地悪なことばかりするの」

「お母さんに? 悪戯何かかな」とヨハクは話の流れが分からずとりあえず相槌を打つように答えた。

 小百合はそれに首を振る。

「そういうのではないの、もっと…………そう心をえぐるような何か」

 小百合はそういうと、その端正な顔を歪ませ、夜空に浮かぶお月様を思わせる黒髪に映える白百合の髪飾りに手をのばし、握りしめる。

 綺麗な花が散ってしまうんじゃないかと心配なるほどにくしゃりと歪んだ。

「その女の子はね、知っていたんだ。お母さんはなかったことにしたくなかったのに、早く忘れさせようとまるで最初からお父さんがいなかったように振る舞ったり、お父さんから貰ったものを捨てたりした。でもね。優しいお母さんはある時いったの、どこで好きなところに連れていってあげると、悪い女の子はそこでも悪いことをするの、お母さんが高いところが苦手なのを知っていて、観覧車にはお父さんとの思い出が詰まっていることを知っていて、つらい思いをするのが分かっていながら、自分が乗りたいからっておねだりして、ここに連れてきてもらったんだ。そんなことばかりするから、その女の子は、観覧車から降りた後、お母さんに…………」

「やぁ、二人ととも」

 唐突に声をかけられ、ヨハクはびくりとした。

 完全に小百合の近所にいたという悪い女の子の話を聞き入っていたようだ。

 声をかけてきた笹の後ろでは、BBQコンロの火を落とされ、バカ騒ぎも終わっていた。

「一旦お開きなんだけど、邪魔しちゃったかな」

 そういって笑う笹に、小百合は、

「そんなことないですよ」といつものように愛想笑いをうかべる。

「じゃあ、立花君またね」

「あっ、うん」

「あっ、そういえば朝霞さん」

 笹が小百合に声をかけ、ヨハクのほうをちらりと見ていった。

「この後、ちょっといいかな。話したいことがあってさ」

「ええ、いいですよ」

 そんな何気ない会話。LEDのランタンにの光に照らされた見つめあう二人はお似合いに見えて、ヨハクの心をざわつかせた。

 ゴンドラを降り、二人で去っていく。小百合の背中に向かってヨハクは、「あの、朝霞さん!」声をかけた。

小百合が「なにっ?」と後ろでに振り返る。

「…………それで、そのあとは、その女の子はどうなったの?」

 小百合は唇に手をあて一瞬遠くを見つめると、ふたたびこちらに視線を戻し、微笑んだ。

「それは、今度ヨハク君が、私の名前を呼んでくれたら話すわ」

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