第9話 百合姫
「まるで蟻みたいね」
そのダイヤモンドやサファイアのような豪奢な輝きとは違う、どことなく引き込まれる質素な黒い輝きを放つ瞳に、無数の黒い点が蠢いているのが映る。
蟻と称された黒い点、疫病なのか地球外生命体なのか、はたまたどこぞの国の生物兵器か、色々な説が浮上するがどれも確信には至っていなかった。分かっていることは、まずそれは
そして眼下に広がるビルの地上部では、一つの餌に群がる蟻のように
「この分じゃ無理そうね」
さて、どうしたものかしらと朝霞 小百合は今度は、天を仰ぐ。すると黒い細い髪が肩からサラサラと落ちた。
見上げた先、真夏だというのに太陽は雲に隠れ、今にも振ってきそうな曇天の空は、まるで小百合の憂鬱な気持ちを映しているみたいだった。
隣で寝込んでいたはずの小豆が立ち上がるとまるで後光が射すように光り、金色の蛇が体に纏わりついたと思えば、そのまま
地下にはまだまだ唸るほど食料があり、無理に危険を冒さなくても足りなくなったら取りに行く程度の気持ちになってしまったのが、いけなかった。いや正確にはいくら小豆が居るとはいえ、
小百合は制服のポケットからスマホを取り出す。
LION KINGトーク
《KING》知らん仲でもないしな
助けてやるって言いたいところだけどよ。俺も今アタマはってから
ダチをむやみに危険には晒せねーんだよ
《小百合》 分かりました。でしたら、ほかの方をあたってみます。
《KING》ほかの奴が助けに行けんのかよ。
俺意外無理だろ。
《小百合》場所は、ホーテです。地下にかなりの量の食料があります。エレベーターも動きます。私と玲奈を助けてくれるのでしたら……
私に出来ることはなんでもさせてもらいます。
「と、送信」とLIONに送信して小百合はスマホをポケットに閉まった。
そして小百合は眼下に広がる害虫(ペスター)の群れを見て、ため息交じりに寄りかかっていた手すりから離れた。
小百合は、今まで知り合った男性、先輩や塾の講師、町でナンパされた人、どれも 大人で玲奈が気に入ってた人たちに先ほどのLIONと大体似たようなやりとりをしていた。助けはほぼほぼ期待出来ない。しかしやらないよりはマシだろう。万が一もあるし、少しでも助かる確率を上げたかったからだ。
小百合は屋上の大部分を占める、2人乗りの小さなものが4つしかついていないレトロな観覧車の座席にすっと座る。小さいそれはそれだけでもギィと軋んだ音を上げた。
乗りながら考える、群がる害虫(ペスター)、小豆の問題、食料の問題、ほかにもビル内の生存者の関係性など、懸念事項の多さに小百合は辟易して、思わず白い花の百合の髪飾りに手を伸ばす。
それをぎゅっと握る。するとだんだんと気持ちが落ち着いてくるのを感じる。
子供の頃、母に誕生日プレゼントで貰った髪飾り、以来ずっと身に着けているそれはもはや体の一部と言っていいと思える。まぁ今では文字通りに体の一部なんだけどと口の中でごちる。
そう言えば、昔もここで百合の花の髪飾りを握っていたことがある。思い出のそれよりも幾分と小さく感じられる座席。すると沸々と記憶が蘇ってくる。本当は玲奈のために色々と考えなければならないはずのに……でもそれも仕方がないのかもしれない。
なにせここは母の姿を見た最後の場所なのだから。
私がまだ小学校に上がる前、そのころの母は父が交通事故で亡くなり、かなり情緒不安定になっていた。家に引きこもりがちになり、食事などは心配して来てくれた祖母からもらうことが多かった。
そんなある日、母が好きなところに連れってくれるというのだ。私は前々から行きたかったビルの上の観覧車と告げる。母は二つ返事でOKをくれた。
私はただただうれしかった。母と久しぶりに手をつないで、列を待つ。自分と同じぐらいの年の子が多い、みんなお母さんずれだ。4つしかないゴンドラはすぐに一周するためわりかし待たされなかった記憶がある。順番になり、幼い私は母に聞くのだ「一緒に乗らないの?」と、それに母は答えるのだ「勘弁してちょうだい、本当はこんなところに居たくもないんだから」
と言うのだ。本当は一緒に乗りたかったんだけど、連れてきてもらえるだけで満足しなきゃいけない、それに母は高いところが苦手なのだ。
私は文句を言わず、チューリップの形をしたゴンドラに乗り込み、外の景色を堪能する。自分の通う小学校が見える。あれは昔遊んだことのある公園だ。歩いたことがあるところ、行ったところがあるところ、自分がまだ行ったことがない遠い遠い世界まで見渡せる絶景に私は夢中になり、その時間がすぐに終わった。
もう一度乗りたいとお願いしよう。今日の母ならきっと大丈夫だ。幼い私はそう胸に思いゴンドラを降りる。ほかの子たちはいの一番にお母さんが手を引いて連れて行く。しかし、扉が開いた先に母は居なかった。
屋上を見渡す。きっと高いところが怖い母は下にいたんだと階段を降りてフロアを探す、また階段を降りてフロアを探す。それを1階まで繰り返して。それでも見つからない母を今度は階段を上がり探す。もしかしたら私を探してすれ違ったかもしれない。そう思い私は母に貰った百合の髪飾りを握りながら、探し、上がり、探し、上がる。それを繰り返して繰り返して、店員さんに捕まるまで続けた。それでも結局母は見つからず、夜暗くなってから祖母が迎えに来たのだった。
その後だが、母は遠いところに行ってしまったがいつか私のもとに帰ってくるのだ、祖母は言った。嘘だとすぐに分かったが、私はいい子にして待ってるねと言った。
そして数年後、「私の育て方が間違えたのかね。あんなに可愛い子を捨てて、男を作って逃げちまって。あの子が上げた髪飾りを今でも毎日して、私はここにいる。見つけてほしいって言ってるみたいでね。私はあの子が不憫でしょうがないよ」そう泣きながら、知人だろうか祖母が電話を離しているのを聞いた時、私は―――――。
バァン!というけたたましい音に、「―――――っ!」小百合は反射的に飛び起きた。
ちょっと頭がくらくらするどうやら寝ていたみたいだった。深呼吸を一回、脳に酸素を送って意識を覚醒させる。
うん、そう短く呟いて小百合は状況を確認するため、ゴンドラが降りた。
「久美、そっちはどう?!」
「ひぇ~何処も一杯だよ。キモイ!」
「なんとか少ない箇所を見つけて!」
絵里奈と久美が手すりから身を乗り出すように下を執拗に見ている。それにどうやら慌てているみたいにも感じる。
二人は後ろにいる小百合には気づいていないみたいだ。さて、どうしようかしらと小百合はしばし思案する。
むやみに首を突っ込んで面倒事に巻き込まれたくはない。ただ、もしかしたら下で何かがあったのかもしれないし、情報は聞いておいた方がいいかもしれない。
「なんか慌てているみたいだけど、何かあったの?」
「ふぇっ!あ、朝霞さんいたの?!」
声をかけると、最初に反応したのは久美だった。なかなか可愛らしい声をあげるなっーとみていると目が泳ぎ、絵里奈のほうへと向かう。
「今から、葵を助けるために辰雄達が助けに来てくれるの……協力して!」
辰雄?……誰のことだろうか?小百合は記憶を辿ってみるが、すぐには思い出せそうにない。
そもそも男にはあまり興味がないのだ。直接名前で言ってきているのだから、私が知っている人だとは思うのだけれど、いやそれよりも助けに来てくれるのとはどういうことだろうか。
その疑問には久美が答えてくれた。
「あっ、えっとミリオ君のことだよ。ほら、同じクラスの峰岡君。委員長のことを話したらね、助けに来てれるって!今向かってきてくれていて。それで絵里奈と屋上から見て色々と状況を伝えることになって、それで今着たところで朝霞さんと会ったの、でもあいつら多くて何かいいアイデアがないかなーって思って、朝霞さん何か思いついたりする?」
かなり慌てているのだろう、久美は矢継ぎ早にしゃべりかけてきた。マシンガントークって奴だろう。拙い説明、だけれど一生懸命に真剣に、話している姿はなかなかに可愛いらしくってついつい頬が緩んでしまう。
「朝霞さん、なにかアイデアあるの?!」
おっとこの笑みをそう取ってしまうか。嬉しそうに駆け寄ってくる久美はまるで犬のようで小百合は、久美のお尻からしっぽがブンブンと振られている姿を想像してしまう。
うん、とってもいい。
「……大したことじゃないだけれど」
「教えて!教えて!」
「まず竹内さんを救うのが今回の主な作戦なのよね?それだったら、地下に行けるのはエレベーターしかないと思うの。正面入り口からスタッフルームのバックヤードを通っていくのは……この数では難しいと思う。だからまずは私たちが使っていたエレベーターはすぐに乗れるように一階に下ろしておくのと、通りから
「おっ、おおう!すごいよ、すごいよ!朝霞さんよく思いついたね」
しっぽの代わりに手をブンブンと振って久美は小百合の提案を褒めた。だが、
「エレベーターは賛成。それしかないと思う、でも……害虫(ペスター)はどうやって誘導するわけ?」
「あっ、……そっか。確かに」
久美はしっぽが下がるように手も自然と下がりしゅんとしている様子によしよし、と頭を撫でてあげたい衝動に駆られたが小百合は我慢して話をつづけた。
「方法はあるわ。試したことはないのだけれど」
「あるの!どうやってやるの!」
再度、久美のしっぽ……もとい今度は顔が上がる。成功するといいのだけれど、小百合は二人を伴ってエレベーターのある区画の反対側の手すりに向かう。
「で、どうやってやんの?」
「もおぅ、絵里奈ったら何をそんなにつんけんしてんの?」
「べ、別に、私は……ってお腹をツンツンするな!」
「ごめんねー、朝霞さん。絵里奈は口が悪いだけで悪気はないの」
「ふっふふ、ええ別に気にしてないわ」
「これを下に落とすの」
「……いや、そんなじゃ、あいつらを倒せないでしょう。仮にやったところで1体2体倒したところでどうにも、」
「まぁ見てて」静かに小百合は絵里奈の意見を遮ってそういった。
「えいっ」と我ながら可愛らしい声を出して、小百合は植木鉢を放り投げた。
放物線を描きながら、勢いよく落ちていく植木鉢は、幸運なことに乗り捨てられていた車のフロントガラスに当たり、その勢いのまま辺りに騒音とガラス片をまき散らした。
「ふぅー、案外物を壊すのって楽しいのね」それを見て幾分かストレスが軽減されたのを感じて小百合が心境を吐露すると、絵里奈は「いや、朝霞さん、これに何の意味が……って
「「動いてる!」」
ハモリのままに久美と絵里奈は顔を見合わせ、小百合を見る。
「
久美と絵里奈の眼下で
「ただ物を落とすだけだと音が一瞬だから、これを使おうと思うの。野崎さんや浜崎さんは持ってたりする?」
そう言って小百合はスカートのポケットからチェーンがついたハート型の防犯ブザーを取り出した。
「持ってない」
「ああっ、私も持ってないなー」
「そう、したら玲奈も持ってたはずだから、貰ってくるわ。……小豆ちゃんも持ってそうね。聞いてみる。私お世話係だしね。ついでにエレベーターも1階に下ろしておくわ」
「……な、なんか申し訳ないねー。私たちに出来ることはある?」
そうね、じゃあ太ももを触らせてもらえる?最近玲奈が触らせてくれなくてね。という気持ちを封じで「植木を集めておいてもらえる?」と小百合は言った。
「了解であります!」
と久美がビシっと敬礼をして見せるのを見て、小百合は下の階へと向かった。
そしてそれを見ていた絵里奈が、「すごい……」と漏らすのを後ろでで聞きながら、屋上の扉を小百合は閉めた。。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます