#28 もう1人

「これなら……どうだっ!」


 俺とアラトリーが対峙する中、マティウスが敵の背後に回り、跳び上がって背中に斬りつける。


「ヴォオオオッ!」


 痛みのせいなのか、一度四つ足の体勢に戻る異形。

 背中ががら空きだったので、深い一撃を入れられたのだろう。



「マティ、助かった! アイナは?」

 血でできた煙が広がる中で寄ってきた彼に訊く。


「そこにいるよ」

「……さすがに強いわね、アイツ」


 いつの間にか彼女も俺達の近くまで来ていて、バラバラの場所にいた3人が少し固まった。

 敵の注意が向かないよう、少し離れた場所を歩いてきたんだろう。



「やっぱり顔や胸を攻撃しないと勝てそうにないな」

「そうだね。だから今の姿勢はチャンスだと思う」

 四つ足で咆哮するアラトリーに向けて剣を構えるマティウス。


「僕が突撃するからオリーは――」



 作戦を話し始めた、そのタイミングで。



「ヴォオオッ!」


 ドザア、と土砂崩れのような音が聞こえたかと思った瞬間、目の前が茶色の空間に様変わりした。



「なっ……!」

「何! 何これ!」

 咄嗟に腕で目の前を覆いながら、その匂いから正体を突き止める。


「あの野郎……土を撒きやがった」


 散々暴れて歩き回ることで地面から蹴り出され、堆積していた土。それを両手で、こちらに向かって思いっきり飛ばした。


 粒が細かく、マティウスの能力で作られる血の煙と同等、あるいはそれ以上に視界を遮る土埃。

 目に入れないように、吸い込まないように、顔をカバーする。


 そして、異形の割に知性のあるその戦術は、相手に大きな機会を生み出した。



「ヴォオオオオオオ!」


 防御に徹して次の動きが定まっていない俺達を狙って、四足歩行のまま一気に加速する。


 徐々に大きくなる鳴き声が、やけに耳障りで。

 俺は咄嗟に魔導陣と繋がっている腕の針を抜き、手に握りしめた。



「ヴォガアアアアアッ!」

 遮るもののないまま、全ての体重をかけて突進。


「ぐああああああっ!」

「きゃあああっ!」


 円を描くように走りながら俺達にぶつかり、3人で別々の方向へ大きく飛ばされる。



「クソッ……力任せにやりやがって……」


 しかし、その力任せがどれだけ恐ろしいものか。相手の爪にひっかかったせいか、俺の左足には裂傷ができ、防御服の上から血がだらりと溢れた。


 体を捩じり、さっきまでいた陣の方を見る。かなり深く打ち込んでおいたのが幸いし、鉤は外れていないようだ。

 手にも針付きの紐は握られたまま。よし、まだ魔法は使える。



「マティウス! アイナ! 大丈夫か!」

 仰向けに倒れながら名を呼ぶと、離れたところから息の荒い返事が聞こえる。


「僕はなんとか、ね……」

「私は厳しいな……内臓やられたかも」

 そう言って咳込む彼女。


 その言葉を聞いたかのように、異形が反応する。



「おい、アイナ……お前のところに向かってるぞ!」

「分かってるけど……足もやられてるからそんなにすぐには逃げられないかな……」


 その声のトーンに、幾許いくばくかの諦めのようなものを感じて、腕の毛が逆立つ。


 死なせてはいけない。回復魔法を使えるからとか、そんな話ではなく、彼女を死なせてはいけない。


「アイ!」


 同じことを考えたのだろう。マティウスが跳び上がるように起き、足を若干引き摺りながら、抜刀してアラトリー目掛けて駆けていく。



「相手は……こっちだ!」

 顔を前に突き出している四足歩行では死角になる、真横からの攻撃。

 思いっきり振りかぶった剣戟が、敵の首に大きな傷をつける。


「ヴォオオオオオオオオオ!」


 しかし。


「がっ…………あ…………」

「マティ!」


 怒りで薙ぎ払うように突き出した右手。その爪の2本が、完全に彼の左肩を貫通した。

 剣を構えることもままならず、そのままドサッと崩れ落ちる。



「ヴォオオオ……ヴォグウウウウ……」


 異形は、ふらつきながらようやく立ち上がった白魔術師のもとへ歩みを進める。


 止められる仲間は、誰もいない。



「待て……よ、この野郎……っ!」


 使い物にならない足の痛みを堪え、うつ伏せになって上体を起こし、腕の力だけで這っていく。追いつけるわけがないと知りつつも、動かずに見ているなど出来ない。

 それはマティウスも一緒で、剣も持たずによろよろと向かっていく。



「逃げろよ、アイナ!」

 立ち尽くす彼女の真正面まで迫る異形。そして。


「ヴォオオオオオ!」

 口を開ける。


 アイナには、鋭いトゲのような歯が見えているのだろうか。


 彼女に噛みつくというのが、どれだけ残酷なことか。


 視力を失った中で全員を殺され、噛みつかれて自分も瀕死になった彼女にとって、それは何よりも恐怖の対象なのに。



 トラウマが芽を出す。瞬く間に成長して、全身が絡めとられて、絶叫に変わる。


 そう、思っていた。



「…………私達のこと、3人だけだと思ってた?」



 彼女は真っ直ぐに敵を見つめ、いつの間にか右手に持っていたそれを、ゆっくりと構える。



 ああ、そうか。そうか。



、旅してるのよ」


 棄てられなかったもの、埋められなかったもの。


 アラトリーの額に向けた、そのの引き金を、ガチャリと引いた。


「ヴォアアアアアア!」


 ほぼゼロ距離射程で飛び出した2本の矢が、ザシュッと真っ直ぐに刺さる。

 灰色の血を噴きながら、茶色の体を激しく揺らした。



「アイナ!」

「アイ!」

「大丈夫よ、マティ。が助けてくれたから」

 近づいた俺とマティウスに、擦り傷だらけの顔で笑いかける。


 今はちょっとパーティーを離れている4人目。

 「抜き打ちで打ち抜きハロー・ラピッドファイア」、射手のギアーシュ。


 頭の中で、「ったく、しっかりしろよ」と声が聞こえる。

 相変わらず乱暴な物言いで、相変わらず頼りになるヤツで、相変わらず、俺達の傍にいる。



「今のでかなり弱ったと思う」

「あと一撃、だな」

 追い詰めたけど、気は抜けない。



「ヴォオオオオオオオ……」

「ぐっ…………!」

 顔や胸を狙いたいと思っていた俺達を見透かすように立ち上がった異形。


 逆光になっているその顔を見上げ、足が竦む。


 気を抜いてないからこそ、その体格差・力量差に戦慄し、頭の中で必死に戦略を練る。



 やがて気付かされる。そんなものは大して役に立たないのだと。全く意味を為さないのだと。



「…………っ! 来るぞ!」


 アラトリーが平手打ちをするかのように、左手を大きく振って勢いをつけた。


 対抗する術はない。避ける方法もなければ回復も間に合わない。


 死の匂いを感じて思考速度の上がった頭で、どうすればダメージが最小限になるか、それだけを考え、頭を両手で覆った。



 ダガアアアアアアン!



「う…………」


 痛みと衝撃で声も出ない。さっきの突撃と違い、3人まとめて同じ方向へ飛ばされる。アイナやマティウスと体がぶつかり合い、地面をザリザリと引き摺られ、気が付けば魔導陣から大分離れた崖際で、目の前の土を眺めていた。



 両手の指に力を入れてみると、僅かに曲がった。そのまま腕、肩、首と順番に動かし、戦闘不能とまでなっていないことを理解する。


 もっとも、多少動かせるというだけで、戦闘不可能に近い状態であることは間違いない。


 首を少しだけ持ち上げ、周囲の状況を見る。



「マティ……ウス…………アイナ…………」

 精一杯声を出すと胸にジクジクと鈍痛が走った。



「ぐ…………オリ…………」

「…………あ、う………………」


 微かな呻き声が聞こえた。まだ生きている。それだけで、動悸が少し治まった気がする。



「ヴォオオオオオオ……」


 横になっている俺からは見えない場所で、アラトリーの声がした。喉を鳴らすその音で分かる。近い。かなり近いところにいる。


 足をバンバンと叩いて気合いを入れ、一気に跳ね起きた。すぐさま膝を曲げて、痛みを堪えながら立ち上がる。


 頭はぐらぐらし、膝から下が震える。さっきのアイナも、こんな感じだったのだろうか。



 また四つ足に戻っていた異形と目が合った、その時。


 手の感触に、ぞくりとする。


 何かが触ったわけではない。何も無いことに、気付いた。



 攻撃の直前は針を持っていたのに。魔導陣と繋がっていたのに。


 ちらと陣に目を遣る。さっきまで打ち込まれていたあの鉤がなくなっている。

 あの化け物の攻撃で、鉤も紐も、結んだ針も、全てどこかに飛ばされてしまったのだ。




「ヴォオオオオオオオオ!」



 目の前には、顔を突き出した、異形の姿。

 「制限内の規格外ストレンジ・ストリング」、鉤と針がなければ、魔法は使えない。

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