#3 眠れぬ追想

「ちょ、ちょっと待って下さいトーヴァさん! このハウスのメンバーでパーティー組んで戦えってことですか!」


 アイナが目を見開いた。霊を見たかのような、とても信じられない、という表情。


「……ああ。他に手立てがなくてな……」

「でも! でも私達、アイツに!」

「アイナ、落ち着け」

 叫ぶ彼女を、ギアーシュがゆっくりと宥めた。


 彼女の気持ちは痛いほど分かる。俺達がここにいるのは、あの化け物のせいだから。



 50年ほど前からこの国に棲み付いた、異類異形、アラトリー。

 体色は茶色、血は灰色。細長い顔に、耳の代わりに角がついている。人間の顔でいう「目」の部分は窪んでいて眼球があるのか分からないけど、どうやら物を見ることが出来るらしい。


 体格は全体的には筋骨隆々。人間の1.5倍の大きさのものから、3倍近いものまでいる。手足は人間と同じようについていて、指と爪が異様に長い。移動は4足歩行だが、戦うときは2足歩行。ある程度の知能はあり、防御や回避、追走もできる。


 武器や魔法は使わない。ただただ、力。力を振るう。それ故に、自分達の素手との力量差が如実に分かるからこそ、恐ろしい。




「トーヴァ、もう少し状況を詳しく教えてくれよ。オレ達も即断しづらい話だ」

「ああ、ギアーシュの言う通りだな」

 そして、元上司はグルネス北方の戦況を説明し始めた。


「あの辺りの森は深いから、パーティーごとに担当エリアを決めて、索敵しながら北端に向けて進んでいる。だが先日、南側で近くの森に入った村人がアラトリーの足跡を目撃している。近くに人間がいるか探っている可能性があるということだ」

「北と南……同じタイミングで……」


 マティウスが手を口に当て、目を細めた。脇を締めているせいか、いつもより更に痩せて見える。


「分断したってことか?」

 目を遣るギアーシュに、アイナは肩に触る髪をりながら「んん」と曖昧に答える。


「昔は書物でよく生態調べてたけど、そんな話は聞いたことないけどね」

 そう、一番驚くべきは、そこ。



 アラトリーは基本的には、大きな群れを中心に動いている。完全に組織立っているわけではないけど、南から西へ東から北へと、何匹かのリーダー格を中心にグループを成しながら、群れで移動している。だからこそ過去には、一旦戻って体制を整えようにも次々と襲われて逃げきれず、全滅してしまったパーティーもいるのだ。


 それが今回は北と南、完全に反対。どんな理由かは分からないが、グループが分かれ、それぞれが別々に行動している。



「足跡があったということは、近いうちに人間と接触するだろう。今からパーティーが南側に移動したのでは、おそらく間に合わない」


 淡々と、しかし決意に満ちた顔で、トーヴァが続ける。テーブルの俺達にも、そこからの話は見えていた。


「そもそも馬が越えられないような山を抜けて戦っている。平地まで戻って馬車に乗っても12~13日かかるだろう。だが南東端のここからなら、4日、いや、早ければ3日で着くだろう。だから…………力を貸してほしい!」


 勝手なことを言うな、と責める気にはなれなかった。


 俺達の境遇を分かっている彼女が、今はもういない仲間のためにかつて泣いてくれた彼女が、何の配慮も無しに頼むわけがない。

 他に方法がなくて、藁にも縋る思いで、こんな時間に来たのだ。



「……もちろん、強制はしない。元長官の権限を振るう気もない。だが、判断は急がなければならない」

 余っている椅子に置いてあった荷物を持ち、彼女は一礼した。


「明日の夜、今くらいの時間にここに来る。参加する気のある者は、入口の外で待っていてほしい」


 それ以上の嘆願の言葉は口にせず、「眠気の覚めるような話、すまなかったな」と言ってトーヴァは帰っていった。



 食堂に漂う、静けさ。

 重力があり、容易に消え去らない。



「……シャワー、遅くなっちゃったね」

「だな。よし、オレ先に入らせてもらうぜ」


 マティウスとギアーシュがすぐに立ち上がる。それは生活を「普通」にチューニングし直すかのように、素早い動き出しだった。




***




「…………アラトリー…………」


 真夜中、部屋で1人、小さく声に出す。

 口に出さないと、考えることから逃げてしまいそうで、自分の耳に聞かせる。



 トーヴァが帰った瞬間の、食堂の光景が脳裏に蘇った。


 マティウスとギアーシュに続いて立つ人はおらず、特に最近入ったばかりのメンバーは俯いていた。それはそうだ。つい最近、大事な人を失くしたあの冒険にまた赴くなんて、考える気にもならないに違いない。



 俺はどうだろうか。一緒に冒険したこともない、初めてのメンバーと組んでまたあの化け物と戦うなんて、できるんだろうか。


 横になりながら自問すると、すぐにアイツらの顔が浮かぶ。


 勝気でみんなを引っ張ってくれた、剣士のガヤト。

 紅一点で、大人しいけど冷静に俺達をサポートしてくれた白魔術師のイージュ。

 最年少でやんちゃなムードメーカーだった、射手のアンギ。



 その回想は、楽しいシーンだけで終わることはない。「時が辛いことを洗い流して、いつか良かったことだけ思い出すようになる」なんて慰めは飽きるほど言われ、それを聞くほどに鮮明さを増して心に居座る。



「……ぐうう…………うう……」



 頭痛と吐き気と嗚咽を堪えるように、全身に力を入れる。


 望んでないシーンまで進む脳内の再現、何度握っても止まらない手の震え、近くにあるマットもタオルケットも殴り甲斐のないものばかり。





 魔法を使おうとパーティ―から離れ、3人が見えなくなった後、すぐに戦っている音が聞こえなくなった。耳に届くのは、アラトリーの唸りだけ。


 まさか、と。そんなはずはない、と。だってこれまでもそうだったじゃないか。同じように戦って、同じように勝ってきたじゃないか。きっと一旦避難しただけだ、或いは気絶してるのかも。


 生きることを疑わない歩みで元の場所に戻る途中、もう一つの可能性が頭に満ちて足がどんどん重くなっていく。


 見つけたのは、体。穴が開き、欠け、染まった、いつもの3人。




「…………あああっ! …………はあああっ!」

 息を吐くのがやっとで、タオルに涙を吸わせる。


 自分の魔法のせいで、この力のせいで、3人はいなくなってしまった、と。


 新しい仲間を、家族を作ってのうのうと生きている自分にとって、こうして責め続けることが唯一、己に科せられる罰である気がして。



 隣室に迷惑にならないようにタオルを噛んで、夢中で叫んだ。

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