#4 散歩と決意と

 すっかり眠ることを諦め、渇いた喉を癒そうと洗面所に行く。


「あ、オリヴェル」

「……眠れなかったのか」


 先客のアイナは、こめかみの辺りを右人差し指で掻きながら苦笑した。


「まあね」

 窓の外から、夜行性の鳥の声が聞こえる。俺達を誘うような、2羽のユニゾン。


「ちょっと散歩するか」

「ん」


 あてもなく、ハウスの周りを歩き始める。前を行く彼女の金髪を月明かりが輝かせ、まるで5歩先に光が在るよう。


「……どうする?」

「……悩んでる」


 ポツリと訊いた問いに、ポツリと返ってくる。

 お互いの気持ちは分かっていて、その答えだけで十分だった。


「俺達が行かなかったら、トーヴァさんどうするのかな」

「北のパーティ―から一部、急いで向かわせるんだろうね」

「だよな」


 そのままほとんど会話もなく近くの坂を下っていき、いつの間にかお昼に釣りをした川の下流。アイナはしゃがんで水面を見て「トーヴァさん、優しいよね」と微笑むような声で呟いた。



 トーヴァは「判断を急がなければ」と言ったが、その先は言わなかった。「でないと、多くの犠牲者が出る」とは言わなかった。


 それを言ったら、参加しない人を責める形になってしまう、追い打ちをかけてしまう。言葉を飲み込んでくれたその気遣いで、俺達は強い枷に囚われずにいられた。


 坂を戻りながら、2人で別々に、でも同じことを考える。



「……助けたいなあ」


 アイナの言葉が、澄んだ空気に溶け混ざり、煙のように空を舞った。希望と憂慮の混じった、ぼやけた願い。


 国からも認められた冒険者として行かなければならない、という想いと、あの瞬間の記憶と。

 比べきれない天秤は揺れるのを諦め、俺がどちらかに手を伸ばすのを待っている。



「でも私、また誰かいなくなったら、どうしていいか分からないかも」


 ハウスの裏庭、無数の墓で作られた道を横切り、ある3つの墓石の前で止まるアイナ。

 夜の暗がりの中で、ボコボコと生えている石は、蘇生を求めて地中から突き出した手のよう。


 彼女は、愛おしそうにゆっくりと墓石を撫でる。1つ1つ順番に、変わらぬ親愛の情を注ぐように。


 顔を伏せる彼女から素早く視線を外して、特に興味のない若葉を見る。鼻を啜る彼女に今できる、精一杯の優しさ。



「モーグもタバネもシオンちゃんも、思い出す度に思い出すの。1人だけど、1人じゃないのよ」

「……だな」


 言葉が変でも、言ってることは、なんとなく分かる。

 そうだよな、俺も同じだよ。思い出す度に、思い出してるよ。



「寝るか」

「うん、帰ろ。ありがとね、オリヴェル」

「いいや、ちょうど良かった」


 後ろから吹いた風が、袖に纏わりついた。

 背中を押しているようでもあり、引き留めているようでもあり。




***




 次の日の夜。

 膨らんだ雲が月を綺麗に邪魔し、視界の先には濃くて深い闇が広がる。


「…………オリヴェル」

「こんばんは、トーヴァさん」


 ハウスの入口に向かって歩いてきたトーヴァは、ドアの前にいた俺を見つけてどこか安堵したような表情を浮かべた。


「精一杯の礼を言わせてほしい。ありがとう。誰もいなくても仕方ないと思っていた」

 しっかりと頭を下げる。暗がりでも十分目立つ、赤髪ショートヘア。


「なあ、その、私に変な義務感は感じなくていいんだぞ」

 体勢を直し、辛そうに目を伏せる彼女に、俺は首を振った。


「ううん、自分で決めたんだ」


 自分のこと、元メンバーのこと、アラトリーのこと、ハウスのこと。色々考えた。


 さんざん迷ったけど、「助けたいなあ」というアイナの言葉がずっと頭に留まっていて、それが俺をここに向かわせた気がする。自分でも不思議なほどスッと「行くかな」と思えた。



「他に参加するメンバー、聞いてるか?」

「いえ、俺は特に――」

わりぃトーヴァ、遅れた」

 後ろのドアを勢いよく開けて、ギアーシュが出てきた。


「おお、お前は何か来るような気がしたぜ」

 口を結んだまま笑う彼に、「ギアーシュもな」と返す。


「ああ、なんか行かなかったら後悔するような気がしてよ」

 トーヴァのお礼も「良いってことよ」と軽く返す。無造作ヘアは固めてあるのか、少し強まってきた風にも揺れずにいた。


「しっかし、相変わらずトーヴァも気遣いの上司だよな、この集合場所」

「うん?」

「ハウスの中で待ってると、参加しない人がそれ見て罪悪感もつかもしれないから、敢えて外にしたんだろ?」

「……買い被りすぎだ」


 笑って流す、討伐局長官。そうか、なんでこの場所にしたんだろうと思ったけど、そういうことだったのか。


 そして。


「おっ、オリヴェルにギアーシュ! やっぱり来てたんだ!」


 だぼっとした部屋着のアイナが「トーヴァさん、よろしくお願いします!」と姿勢を正して挨拶する。


「辛い思い出とも向き合わなくちゃいけないんですけど、それでも行かない理由にはならないかなって。2年も経ったから、もう1回、この国のために頑張らなきゃ」

「ありがとうな、アイナ」


 トーヴァがまた、深く頭を下げた。言い出し辛かったであろう頼みだったからこそ、今彼女がどれだけ喜んでいるか、容易に想像できた。


「あれ、マティは?」

 俺とギアーシュの顔を見比べるアイナ。


「アイツは来ねえかもしれねえぞ。トーヴァの話聞いたときもずっと下向いてたしな」

 大きな手で頭をボリボリと掻くギアーシュ。


「そっか……一緒に行きたかったけどな。誘ってみれば良かったかな」

「まあ、来たくない奴ヤツ無理に引っ張ってきても使えないからよ」


 後ろで腕を組みながらぼやく。大して悪気はないのだと分かっていても、相変わらずの歯に衣着せぬ言い方にカチンと来る。


「おい、ギアーシュ。マティを責めるようなこと言うなよ。行く行かないは本人の自由だろ」

「あ? 責めてねえよ」

「なら使えないなんて言うなよ」

「別にマティウスのこと直接指してるわけじゃねえだろ。無理にやらせても本人にその意志がなきゃ上手くいかねえって話だよ」


 顎を上げて、身長の高いギアーシュを睨む。言ってることは正論だけど、強い言葉を使われるとつい苛立ちが募る。


「ちょっと止めなよ、2人とも」


 怒りの混じるアイナの声に呼応するように、落ち着いた優しい声がドアの向こうから聞こえた。


「どうしたの? またケンカ?」

「マティ!」


 アイナと一緒に駆け寄ると、「遅くなってごめんね、オリ―」と手刀てがたなを軽く振る。


「行った方がいいのかな、って相談受けてさ。でも本人がまだ冒険できる状態じゃなさそうだから、無理しない方がいいって話してたんだ」

「……へへっ、マティらしいな」


 相談を受けるのも、相手の名前を言わないのも。


「ギア、よろしくね」

 彼がいつもの愛称で呼ぶと、ギアーシュはフッと顔を綻ばせる。


「お前がいると心強いな」

 そこからしばらく待ったが追加のメンバーは現れず、パーティーはこのメンバーに決まった。


「よし。オリヴェル、アイナ、マティウス、ギアーシュ。改めて礼を言わせてほしい。今回の参加、本当に感謝する。ありがとう」

 アイナと俺が同時に、小さく首を振った。


「2年ぶり……マティウスは3年ぶりくらいか。戦闘の勘も鈍っているだろうし、今回は初めて組むパーティ―だから戦いづらい部分もあると思う」

「何たって寄せ集めのパーティ―だからね」


 マティウスの冗談に吹き出す。トーヴァも思わず「だな」と苦笑いした。


「何より、心の傷も残っていると思う。リハビリも兼ねた冒険になるかもしれないが……」

 深く、深く、元上司とは思えないような礼儀正しいお邪魔。


「アラトリーを倒してくれ」

 彼女にそのまま返すように、4人一列に並んでピンと背筋を張り、一斉に頭を下げた。


「精一杯頑張ります、長官!」



 釣りをして、家庭菜園をして、球技に興じて。俺にとってはそんな、家族と一緒に過ごした2年間。



 それが今日、大きく変わる。

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