#5 旅立ちの前日

「うう、辛いわね……」

「足がパンパンだぜ……」

 夕飯を食べに食堂に向かう途中、廊下でアイナと会う。


「ギアーシュが張り切っちゃったから大変よね」

「最後また10周するとはな」

 曲げにくくなってる足を労わるように、1階に続く階段をおそるおそる降りた。




 トーヴァから「いつ襲ってくるか分からないので、なるべく早く冒険に出発してほしい」と話を受けた。


 とはいえ、冒険に必要なものを何も持っていないし、体も畑仕事くらいでしか動かしてない。今日1日だけ準備の日をもらい、明日早朝に出発することになった。



 今日午前中は、武具や道具を買いに、山を一つ越えて大きな町へ。


 武器はマティウスの剣、ギアーシュのクロスボウ、俺とアイナがいざという時に使用する短剣を準備。


 防具は、特殊な金属で編み込まれ、分厚い鎧に比べて防御性は劣るものの身軽さを維持できる防御服を全員分購入した。


 あとは旅に使用する道具として、火の付きやすい固形燃焼や川の水を濾過する瓶などを揃え、旅支度は一旦完了。




 問題は午後。急ごしらえの体力作りということで、ハウスの周りをランニングしたり、武器を持って実践的な動きを確かめたり。


 この2年間こっそり冒険をしてたんじゃないかと思うほど衰えを感じさせないギアーシュに比べて、釣りに散歩にと悠々自適に暮らしてきた他の3人にはブランクがとても大きく、現在のボロボロの体に至る。




「んじゃ、出発に向けて英気を養うとするかね」

「うん、食堂のお夕飯も明日からしばらくお預けだしね」


 正直疲労で食欲はイマイチだが、全力を食べようと気合を入れて、ドアを開ける。


「おおっ!」

「わっ、すごい!」


 色紙の輪で作った飾りつけに、木の長テーブルには赤いクロス、椅子の背にも銀のテープ。 

 いつもの食堂が、華やかに鮮やかに彩られている。

 既に俺達以外は全員集まっていて、立ってグラスを手に持っていた。


「おっ、主賓が来た来た!」

「早くこっちこっと。今日はアタシが腕によりをかけて作ったからね!」


 料理担当のスーキーが、テーブルの横、輪の中央に俺達を誘導する。

 近くにいたマティウスとギアーシュは、テーブルに山をなして並んでいるウィスキーとワインを手に取って眺めていた。


「オリ―、アイ、今日は立食形式で僕達の壮行会なんだってさ」

「料理もすごいものが出るらしいぜ」

「へえ! 楽しみ!」


 そして、大皿が次々と運ばれてくる。

 鳥の丸焼き、イモとウリのサラダ、魚のバターソテー、キノコをあえたスクランブルエッグ、マカロニたっぷりのグラタン。



「うおお、豪華だ!」

「熱いうちに全部食べないと!」


 大歓声の一同にスーキーが「その代わり、明日からは侘しい食事になるからね」と宣言すると、「えーっ!」「やだー!」と笑い声混じりのブーイングが飛んだ。


「えー、では皆さん、料理も揃ったので、グラスを持って下さい。お酒呑めない人はフレーバーティーを用意してあるから、そっちを注いでね」


 スーキーの進行で、全員がグラスを持つ。俺達4人は、全員ウィスキーをロックで。


「今回、トーヴァの依頼を受けて、マティウス、ギアーシュ、オリヴェル、アイナの4人がアラトリー討伐に行くことになりました」


 緊張した様子もなく、左右を見渡しながら喋る。年齢もこのハウスに来てからの年数も比較的俺達に近い彼女は、明日からのこの家の守り主になるだろう。


「その……参加することは……その…………いえ、すみません。ぜひ、頑張ってきてほしいと思います」

 淀みなく喋っていた彼女が、少しつかえた。



 飲み込んだ言葉は、なんとなく分かる。「行ったからエラい、行かなかったからダメ、そういうわけじゃない」

 優しい彼女のことだから、そんなフォローを他のメンバーにしようとしたに違いない。でも、口にしたら皆が余計に意識してしまうから、自分の心に閉まったのだろう。



「では乾杯の挨拶を、マティ、お願いします!」

「え、僕?」

「マティ、がんばれー!」

 拍手で迎えられ、彼は皆を見渡せる窓際の壁に立つ。



「ええっと……じゃあ1つだけ。10日経たずに帰ってきます。それまでに庭の芝生、綺麗にしておいてください。なんか変な雑草もあったから抜いておいて!」


 きょとん、とするメンバー。やがて、微笑とともに食堂を埋め尽くす温かい拍手。

 鬼気迫る表情や決死の覚悟でない、いつもと変わらない彼の言動が、むしろ安心を誘った。



「それじゃ、冒険の前途を祝して、乾杯!」

「乾杯!」


 そこからはもう全員が飢えた野獣のよう。皿に大量に料理を乗せ、旨い美味しいと舌鼓を打ちながら平らげていく。


 そして食事が落ち着いた後は酒盛り。贈答品だけでなく、誰かが買って余っていた酒もどんどん持ち込まれ、歌やバカ話に花を咲かせた。


 全員が同じ立場。同じ傷を持った仲間。それが、どれだけの安心感を与えてくれるか。




「オリー」


 ウィスキーを大分煽って、窓からの風で体を冷ましていた俺に、マティウスが声をかけてきた。


「マティも結構飲んだ?」

「うん、久々。飲みすぎないようにしなくちゃ」

「明日二日酔いじゃ出発できないからな」


 窓を大きく開ける。外の空気がひゅうっと飛び込んできて、彼の白く細い髪をサラサラと揺らした。


「良い仲間だよね、こうやってお祝いしてくれるなんて」

「だな」


 ポツリポツリと言葉を紡ぐ。会話が少なくても気まずくならないのは、居心地の良さの証。


「……ねえ、オリー、緊張してる?」

「俺か? うん、多少はな。もう勘も鈍ってるだろうし、北の方で今戦ってる連中と同じように動けるか、不安にはなる。それに……やっぱりアラトリーは怖いさ」

「だよね」


 マティはどう、と訊かずとも、少し強張った表情が物語っている。やがて、彼が言葉を迷いながら口を開いた。


「僕も怖いよ。また冒険して、みんなを失ったらどうしようって、そんなことばっかり考える」


 でもさ、と彼は続ける。


「なんというか、安心してる自分もいてさ。これでまたスタートだなって。その位置までは来れたなって気がする」

「ああ、またスタートだ」


 家族みたいな俺達だから、きっと大丈夫。

 そう思って、そう言い聞かせて、明日に臨む。



「ねえ、マティウス、オリヴェル」


 大騒ぎの続く食堂、いつの間にか後ろにいたロカンが話しかけてきた。

 半年くらい前にハウスにやってきた17歳、多分うちのメンバーの中で最年少に近い、凛々しい顔の男子。



「今回、行かなくて……行けなくてごめんね……」

「何だよそんなこと、俺達は気にしてな――」

「ホントは!」


 返事を遮る、彼の小さな叫び。周りの喧騒がもう少し静かだったら皆が気付いたかもしれないその声は、俺とマティウスに真っ直ぐ向けられている。


「ホントは行きたかったんだ! もう1回戦いたいし、みんなを救いたいし」


 クッと顎を下にして、前髪で見えなくなった目。

 食いしばる歯から、クックッと押し出すような切ない破裂音が漏れる。


「でも……でも……まだ怖くて、行けなくて……自分で望んだ冒険者なのに…………こんな時に……こんな時に……!」



 ああ、そうだよな。俺達が気にしてるかどうかなんて、関係ないよな。

 自分が一番、自分のことを気にしてるんだ。



 行きたくても行けない。アラトリーが、冒険が、孤独が怖くて、踏み出すにはまだ時間が必要で、動かなきゃと思っても動けなくて。自分の思い描く自分と今の自分の乖離に、心が軋む。



 そんな彼に、かけてあげられる言葉は。

 そんな彼に、伝えてあげられる慰めは。



「ロカン、俺もお前と同じ立場だったら、絶対参加しなかった。参加する選択肢すら浮かばなかったかもしれない」

 震えていた、彼の手を取る。トントンと、称えるように叩いた。


「今はダメでも、1年か2年したら変わるかもしれない。俺はそうだった。今回はたまたまそういうタイミングだっただけだ」

「……オリヴェル……」

 目を赤くするロカンの肩に、マティウスが触れる。


「ハウスは、そういう時間を作るための場所だからさ。いつかまた同じような機会があれば、そのときに手を挙げればいいさ」

「…………うん! うん!」


 それでいい。今回は、俺達の番だ。



「よし、もう一杯飲むか! マティ、ウィスキーでいいか?」

「うん、ロカンにはフレーバーティー持ってきてあげて」

「おーい、オリヴェル! 一緒に飲もうよー!」


 ワインのビンを持ったまま手を振るアイナに呼ばれながら、俺はまた酒盛りの場に加わった。




***




「忘れ物ないかもう一度確認しておこうぜ」

 ハウスの入口の前で、ギアーシュの提案で4人一斉に荷物を確認する。


 大騒ぎの夕飯から半日。いよいよ今日は出発の日。

 雲のない快晴の早朝。暑くなる前に動いておきたいのか、鳥がせわしなく鳴き合っている。



「それにしても、僕ちょっと筋肉痛かも」

「気が合うわねマティ、私もなの……」

 やや腰の引けた立ち方をしてる2人を、見送りに来た全員が笑う。


「3人とも、裏庭にはもう行ったよね?」

「もちろん!」

「俺も行った」

「オレも一応な」


 裏庭の貧相な墓。誰も眠らない墓。

 日が昇る前に、ガヤト、イージュ、アンギに挨拶を交わした。


 冒険に出るという報告と、今回は別のパーティ―で行くという謝罪。

 墓石を撫でると、少しだけ気持ちが鎮まった。 



「じゃあみんな、行ってくるぞ!」

「オリヴェル」


 残ったメンバーの中の最年長、スーキーが「これ、みんなから4人に」と厚手で小さい布の袋をくれた。


 中を見ると、まず出てきたのは柄の短い小さい鎌。


「何だこりゃ?」

「昨日の夜、マティウスが言ってたでしょ? 芝生の掃除やっといてって。アタシ達だけで終わるか分からないし。あとこれ!」


 もう一つ袋に入っていたのは釣り針。


「帰ってきたら、芝生掃除の続きと釣り、みんなでやろう!」

 その言葉に、4人で顔を見合わせて噴き出した。



 別れのはなむけの代わりに、再会を約束づける贈り物。


 ああ、うん。これもらったら、戻ってこないわけにはいかないよなあ。



「すぐ帰ってくるからな!」

「行ってくるね!」

「ハウスのこと、頼んだよ」

「お前ら、ちゃんと掃除しとけよ!」



 魔導士、オリヴェル

 白魔術師、アイナ

 剣士、マティウス

 射手、ギアーシュ。



 パーティーで生き残った、寄せ集めの俺達。



 家族4人で、家族以上の4人で、新しい旅が始まる。

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