#24 叫ぶ冒険者達

「え……?」


 アイナの目付きが変わる。恐れと、不安を、その顔に宿す。


「さっきスコップ借りた集落。多分あそこの誰かがアラトリーに遭ったんだ。アイ、この笛、聞いたことない? これ、人間がアラトリーに遭遇したときに吹く笛なんだよ。僕の村にもあった」

「ちょっと待て、マティ、アラトリーの声はしなかったぞ」


「森に身を潜めてることもある。僕達も1回、そうやって襲われただろ?」


 そうだ、確かにそうだ。木の陰に身を隠し、いきなり飛び出してアイナを襲おうとした。



「で、でも! いきなり飛び出してきたら、今頃死んで……」

「なら散歩中に、たまたま近くまで来たアラトリーを見かけただけかもしれない。いずれにせよ、まだ笛の音がするってことは、見つけた人はまだ生きてるってことだ」



 首肯するように、ピューイと笛が鳴り響く。



 どうする、どうすれば――



「ヴォオオオオオオ!」


 その声を聞いた瞬間、躊躇はどこかに飛んでいく。

 3人とも、睡眠不足の体とは思えないほどの全力で、集落に向かって走りだした。




 もし、アラトリーが笛の主を追ってるとしたら。あの異形が、集落まで追っていったとしたら。そこであの化け物が、暴れたとしたら。


 そう思うだけで、足は自分の意志と関係ないようなスピードで動いた。上半身が追い付かずに、倒れそうになるほど。


 何をどうするかは、よく分かってない。横にいるアイナともマティウスとも話していない。ただ、ただ、行かなくてはいけない。





「オリー、もうすぐ着くよ! 陣の場所は分かる?」

 並走しながら訊くマティウスに、前を向いたまま精一杯、苦笑いしてみせた。


「知らない場所に行くと魔導陣探すの、クセなんだよな」

 さっき、スコップを借りに行ったときに、ちゃんと覚えておいた。




 俺達は冒険者である前に人間で。だから、アラトリーが怖い。全てを奪っていくあの異形が、怖くて仕方ない。


 でも、俺達は冒険者で。だから、他の人の危機を無視できない。

例え勝てるか分からなくても、例え3人で勝てるか分からなくても、アラトリーが血の海に浸るのを、見過ごせない。




「アイナ、見つけたらまず笛のヤツを守れ!」

「分かった!」


 スコップを借りたときはあんなに足取りの重かった坂を、転がるように降りていく。


 降りていく途中で左側を見下ろすと、アラトリーが食べそうな果樹園が続く道。そこから集落に向かって、1人の青年が大股で走っていくのを見つけた。その後ろには、茶色の四つ足。



「いたぞ!」

 坂から道を逸れ、雑草地帯を滑っていく。早く、速く、彼のもとへ。


「……あっ!」

「ヴォオオオオオ!」


 転んだ青年に駆け寄ろうとする異形。その行く手を、3人で塞ぐ。


 人間の1.5倍くらい、比較的小柄。それでも、その得体の知れない不気味さに、普通の人間は足が竦んで、殴られ、噛まれ、千切られてしまう。



 普通の人間、なら。



「マティ、陣はここから10歩もない。すぐ行ける」

「分かった。僕が攻撃するから、その間に陣に向かって。アイ、そっちは大丈夫?」


 素早く振り向くと、倒れていた彼を少し離れた木陰に誘導し終えた彼女が、得意気な笑みを浮かべていた。


「足捻ったみたい。魔法使う体力は戦いに取っておきたいから、あそこで休んでてもらうわ」

「ありがとう」



 そうして、初めての3人での戦闘が始まる。

 始めようかと、思っていた。しかし。



「………………っ…………」

 決して大きくないその全長に、それでも、背中がぞくりとして、動けない。


 一目散にかけつけたにもかかわらず、全身が戦う準備が出来ていない。倒さなきゃいけないという気持ちはある。そこに、体がついていかない。


 蘇るのは、ギアーシュの記憶。あの爪で刺されたら、胸を刺されたら。


 しかも今回は1人少ない。戦力は大きく落ちている。その事実がさらに、俺の足をその場に縛った。



「オリーも、だね」


 横を見れば、マティウスが鞘に手をかけ、刀を抜こうとしている。しかし、その手は細かく震え、鞘と刀身がぶつかってカチャカチャと音を立てた。



「ヴォオオオオオオオ!」

「オリヴェル、安心して、私もよ」


 俺の少し後ろに隠れるようにして、アイナが頬に汗を浮かべていた。



「ダメね、いやなことばっかり思い返しちゃう。トラウマって消えないのね」

「……消えないんだよな」




 何度も何度も、消えてほしいと思った。浴びるように酒を飲んだり、ハウスの仲間と朝まで遊んだり、裏の墓に挨拶に行かないようにしたり、今思えばバカみたいなことをたくさん試した。


 思い出したくなかったから。


 でも、思い出したくないと思うたびに、思い出す。暑い日の花のように、空気が澄んだ日の月のように、どこまでもどこまでも鮮やかに、体に巣食って、逃がしてくれない。


 ギアーシュのこともそうだろう。また俺達3人は、大きな傷を負って、抱えきれそうにない痛みを宿して、ここにいる。



 それでも、ここにいるなら。




「ああああああああああああああああっ!」


 吠えた。声の限り、吠えた。


 前のパーティーを殺された。今のパーティーでも、家族を失った。次も殺されるかもしれない、また失うかもしれない。そう考えただけで、足も動かない。体も動かない。



「ああああああああああああっ!」



 でも、体は逃げようとはしていない。戦おうとして、動かないだけ。



 戦う覚悟はある。例え、またどうしようもないほど傷つく可能性があったとしても、立ち向かう気力はある。


 まだ俺は冒険者のままだと、国に選ばれたアラトリーを討伐できる存在だと、そう思えた。



「うわああああああああああああ!」

「わあああああああああああっ!」



 マティウスもアイナも、叫んだ。頭の中で渦巻く、濡れた灰に塗れたようにぐちゃぐちゃした嫌なイメージを吹き飛ばすように。目の前の、倒さなくてはいけない忌むべき存在に向き合えるように。



 トラウマは消えない。でも、消えないからといって、歩き出さないわけにはいかない。



「オリー、アイ、行くよ!」

「おう、行くぞマティ! アイナもいいな!」

「もちろん! マティ、オリヴェル、全力で守るわ!」


 声を出して、名前を呼び合って、そうしてまた、動き出す。自分自身を、動かしていく。


「俺は隙を見てあそこの陣に行く!」

「分かった! 僕が先陣きるよ!」

 助走をつけたマティウスが敵の数歩手前でグッと体を縮め、思いっきり跳ぶ。


「やっぱりこのくらいの大きさの方が狙いやすい、ねっ!」

 跳躍力を活かして敵の顔面を捉えた彼は、右上から左下まで、斜めに刀を振るった。


 左目と口を潰されたアラトリーが、「ヴォオオッ!」と短い悲鳴をあげる。



 吹き出す血が、すぐに煙に変わる。しかし、うまい具合に風が吹き、視界は良好に保たれた。



「よし!」

 幸先の良い先陣に喜びながら魔導陣に走ろうとすると、体を緑色の光が包んだ。


「後は任せたわよ」


 声のする方へ向くと、アイナが座り込みながら、手を翳している。寝不足の体に、長時間の発動が必要な、防御魔法。そして今は、目が見えていない。全身が限界に違いないが、その表情はどこか晴れ晴れしていた。



「ありがとう、アイ!」

「さすが一級品の白魔術師だ! マティ、俺は陣に行く!」


 地面を蹴って左に跳び、葉を揺らす木々の裏へ。そこには、俺が異形に立ち向かうための紋様があった。


「ヴォオオオオオ!」

「オリーの方には行かせない!」


 鉤を陣に打ち込んでいる途中、ザシュッという斬撃音が耳に飛びこんできた。


 続いて、軽い地震のような揺れ。一瞥すると、足を斬られたアラトリーが地面に膝をつけていた。



「マティ、助かる! そこをどいてくれ!」

「もちろん!」


 魔法の犠牲にならないよう、スッとその場を退いて、アイナの方に戻るマティウス。


 俺はすぐに小声で呪文を唱え始める。そして。



「ヴォオオオ……」

 横の俺に気付いた時には、化け物にとっては全てが手遅れ。


「人間の全部が全部、お前より弱いってわけじゃねえからな、覚えておけよ」

 図上から、隕石のように巨大な火球が落下してくる。



「ヴォオオオオオオオオオ!」


 それは見事にアラトリーを狙い撃ち、茶色の体から濁った煙があがる。


 四つ足の体勢に戻って、暴れ、もがき、近くの地面を乱暴に踏み鳴らす。喉を焼かれたのだろうか、もう声を出すこともない。



「これで……終わりだっ!」


 このまま力任せに突進する危険もあったが、マティウスが首に剣を突き刺したことで、完全に動きを止め、崩れ落ちた。


 憐れで、同情する気の起きない、異形の最期。



「ふう……勝ったな」

「3人でも、なんとかなったね……」

「うん……」


 寝不足の状態での急な攻勢、その疲れが一気に来て、思わずどさっとその場に座り込む。


 顔を覗かせた太陽が、「まあ頑張ったんじゃないか」と褒めるように体を照らし、マティウスの白い髪とアイナの金髪に光を与えた。



「あ、あの!」


 上ずった声に、首をぐいっと逸らして後屈の形で後ろを見る。

 17、18歳くらいだろうか。さっきの青年が、左手に笛を持って、唇をグッと噛んでいた。



「おう、大丈夫だったか?」

 そう訊くと、声を震わせて答える。


「はい……果実を取りにいつもの道まで行って……ちょっと興味本位で、もう少し奥に行ったらもっといっぱいあるかもと思って……そしたらアイツを見つけて……向こうが気付いたか分からないんですけど、もう、もうパニックになっちゃって……」

 それで夢中で笛を鳴らしたってわけか。



「助かりました! ありがとうございました!」

 青年は、礼儀正しく、深々とお辞儀をした。頭の下の地面が、水滴で濡れる。



「俺……死ぬかと思って……本当に、もうダメかと思って……ありがとうございます! ありがとうございます!」


 荒く息をしながら泣きじゃくる彼の肩を、アイナが立ってさする。



「そういうときのための、冒険者だからね」



 自分自身にも言ったのであろうその言葉が、深く、深く、渇いた胸に沁み込む。

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